名作が生まれる前には数々の出会いがあります。
銅版画家と南画家、不思議な取り合わせの二人の物語です。

 浜口陽三(1909-2000)は40歳を過ぎてから本格的に銅版画の道を進み、20世紀を代表する版画家になりました。それまでの長い模索期間には、彫塑、油彩、水彩など様々な表現を手掛け、1941年には京都の南画家・白倉嘉入のもとで水墨画を学んでいます。それから十数年後、パリで銅版画が認められた後も、浜口は略歴に、白倉に師事したという一行を加えていました。
 新潟に生まれた白倉嘉入(白倉二峰)(1896-1974)は、洋画家を志した後、京都に出て、小室翠雲の門下として近代的な作風で南画の新境地を開きました。戦前の活躍にも関わらず、いつしか作品が散逸し、長く作風がたどれなくなっていましたが、2024年に枚方市の(公財)天門美術館で『白倉二峰展』が開催され、ようやく作家像が見えてきました。今回は初公開の作品も加え、関東でははじめての展覧会になります。二人合わせて約50点の構成です。

 それぞれの絵の中には世界があります。
浜口陽三のさくらんぼ、白倉嘉入の水や風のさざめき、絵の中に入るようにゆっくりと眺めると、心の中に沢山の光を感じることでしょう。


 南画家・白倉嘉入は、水墨画を浜口陽三に教えた存在である。白倉は若年には、洋画家を志して石井柏亭に師事したこともある。江戸期に生まれた南画自体、中国の南宋画から発展したものだが、沈南蘋の写実的な花鳥画や洋画の遠近法を取り入れて、雑食性を発揮するのを憚らない。箏の奏者でもあった浦上玉堂は束縛を嫌い脱藩して国内を自由に移動した。そうした越境性も南画の特性といえる。南画家の蕪村は優れた俳人であるのは周知の通り。浜口陽三も版画以外に美術学校では塑造を学び油彩画を描いた。雑食性と越境性にも無縁ではあるまい。そんな白倉と陽三の二人展、共鳴しあうものを読みとり願いたい。
顧問 林 浩平(詩人、前恵泉女学園大学特任教授)


*白倉嘉入の作品は、会期中、展示替があります。