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美術館館長の4割が女性に──スイス現代美術界のパワーウーマンたち

木村浩之

2011年05月01日号

 女性の社会進出・雇用機会均等が叫ばれて久しいが、近年美術業界においても女性の割合が高くなってきている印象が強い。ハラルド・ゼーマンやハンス・ウルリッヒ・オブリストなど多大な影響力をもったキュレーターを輩出してきたスイスでも近年、女性の割合が急速に増えている。2008年アート・バーゼルの新ディレクター(共同)に初の女性、アネット・シェーンホルツァーが指名されたこともまだ記憶に新しい。今回はパイオニア的存在から新世代まで注目すべき12名の女性美術館館長・ディレクターたちを紹介しよう。

ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist 1962〜)
第5回スイス博覧会芸術監督(辞任)


Pipilotti Rist, Photo: giorgio@vonarb-fotografie.ch, Courtesy the artist and Hauser & Wirth

 彼女はニューヨークMoMAでの個展(2008年)などで知られる現代スイスを代表するアーティストであり、いわゆるディレクター・キュレーターを生業にする人ではないが、1997年に、2001年開催予定の第5回スイス・エキスポ(博覧会)の芸術監督に任命されていた。第1回が1883年という歴史をもつ国民的イベントであるこのエキスポの総合ディレクターも歴代初の女性で、彼女の強い希望によりリストが選ばれたという。物産展のようなものにするのではなく、「スイスとは何か」をアーティスティックに表現するというのが狙いであった。これが21世紀のスイスのヴィジョンを表明するだけでなく、スイスの女性史においてひとつのメルクマールとなるはずだった。しかし、資金繰り問題から派生した政治的困難に直面し、開催2年前にリストは総合ディレクターと共に辞任を余儀なくされるというスキャンダルに至っている。
 リストによるコンセプトが実現しなかった虚しさが残るものの、このスキャンダルとそれを取り上げたメディアにより、さまざまなレベルで女性ディレクターと女性芸術監督の存在感が国民に強く印象づけられることとなった。
 スイス博覧会自体は1年遅れの2002年に、新たな別の女性ディレクターと男性の芸術監督のもとで開催にこぎつけている。ちなみに、この後任の女性ディレクターはスイス博覧会の後、博覧会の大スポンサーであったネスレ社のディレクターとなり、会場内にパヴィリオンを設計するなどして交流のあったフランスの建築家ジャン・ヌーヴェルにチョコレートのパッケージデザインを依頼している。

テオドラ・フィッシャー(Theodora Vischer 1956〜)
元シャウラーガー館長


Theodora Vischer, Senior Curator at Large, Fondation Beyeler, Basel-Riehen, Photo: Peter Schnetz

 テオドラ・フィッシャーは、ルネサンス史家ヤーコブ・ブルクハルトなどを輩出したブルクハルト家などと共にバーゼル市の有力家系であるフィッシャー家出身。おそらく彼女がスイス人女性キュレーターのなかで知名度・影響力共に最大の人物であろう。同じくバーゼル出身の建築家ジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロン(共に1950年生まれ、ヘルツォーク&ド・ムーロン)とは旧知の仲であり、『ヘルツォーク&ド・ムーロン全作品集』第1巻に収録されているインタビュー(1988年)はフィッシャーによるものである。ちなみに同第2巻(1990年)のインタビューはベルンハルド・メンデス=ビュルギ(1953年生まれ)によるものであるが、フィッシャーが1993年より現代部門のチーフ・キュレーターを務めていたバーゼル市立美術館に彼は2001年に館長として就任している。前館長(カタリーナ・シュミット、1935年生まれ)こそ女性館長のパイオニア的存在で、フィッシャーを館長に推すも成らずであったようだ。その後フィッシャーは、同美術館内に委託されていたあるコレクションを独立させる企画の代表に抜擢される。それはヘルツォーク&ド・ムーロン設計の画期的な収蔵=展示施設「シャウラーガー」として2003年にオープンする。年に1本の企画展開催中以外は基本的に閉館(研究者のみアクセス可)という限られたチャンスのなかで、彼女は「シャウラーガー」を数年のうちに国際的に認知されるインスティテューションへとつくり上げたのだった。ディーター・ロート展(2003年)、ジェフ・ウォール展(2005年)、タシタ・ディーン/フランシス・アリス展(2006年)、ロバート・ゴーバー展(2007年)、モニカ・ソスノフスカ/アンドレア・ツィッテル展(2008年)、マシュー・バーニー展(2010年)など、どれも広大な空間をつかった質の高いエポックメイキングな展覧会であった。2010年末をもって突然シャウラーガーの館長職を辞任した彼女は、その後バイエラー財団美術館の非常勤シニアキュレーターの肩書きが与えられている。しかし、そこに留まるとは思われず、今後の動きに注目が集まっている。

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