フォーカス
TRA-TRAVELとLoad na Dito Projectsに聞く、パンデミック以降のアーティストの国際交流
Yukawa-Nakayasu(TRA-TRAVEL[アーティスト])/Qenji Yoshida(TRA-TRAVEL[アーティスト])/平野真弓(Load na Dito Projects[キュレーター])/マーク・サルバトス(Load na Dito Projects[アーティスト])
2022年06月15日号
対象美術館
ミュージアムやアートセンターの事業に依らず、インディペンデントにアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)を主体的に実施したり、海外のアーティストを展覧会やイベントに招聘したり、招聘されたりと、自らの企画で国際交流を行なってきたアーティストたちがいる。
LCCで安価に頻繁に海外を行き来していた時代から一転して、パンデミックで物理的な移動ができなくなった2020年の春以降、彼らの活動はどう変化したのか。大阪のTRA-TRAVELとマニラのLoad na Dito Projectsにオンラインでお話を伺った。(artscape編集部)
──この記事の企画は、京都芸術センターで2020年1月に開催された「ポストLCC時代の 」という展覧会で、TRA-TRAVEL(以下、TT)の活動を知ったことから始まりました。まずは、その活動と立ち上げの経緯についてお話しいただけますか?
Yukawa-Nakayasu(以下、Yukawa)──TTは、従来のアート活動に旅行会社の機能を導入し、「芸術的な目線から観光と人の導線を生み出すこと」を目的に活動するアートハブです。おもに来日したアート関係者や研究者と交流を計ることで、展覧会、トークイベント、アートスクールなどの企画を行ない、日本でまだ目を向けられていないこと、あるいは海外の先駆的な活動をとりあげ、社会にあらたな状況を開く活動をしています。
TTを立ち上げた2019年は、コロナ以前でインバウンドやオーバーツーリズムが叫ばれていたときでした。アーティストに限らず人々が格安航空会社(LCC)を使用し、気軽に他国へと往来し、活動していた事が懐かしいですね。TTのメンバーも海外でアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)をしており、個人がボーダーレスにあらゆる可能性に出会える体験を、より拡張できるのではと思い、TTを立ち上げました。そんな想いは、「コレクティブ」でもなく、「アートセンター」でもなく、「アートハブ」という名前で活動していることにもつながります。フラットにあらゆる可能性と接続できる分散型のアートハブとして、機能できたらと考えています。
──平野真弓さんには、「フォーカス」で何度かフィリピンの現代アートシーンをレポートしていただいていますが、今回はご自身の活動であるLoad na Dito Projects(以下、LD)についてお話しいただきたいと思います。パートナーのマーク・サルバトス(Mark Salvatus)さんと一緒に活動されているんですよね。
マーク・サルバトス(以下、サルバトス)──LDは2016年に活動を始めました。2016年はフィリピンにとって大きな変化の年でした。ロドリゴ・ドゥテルテが大統領に就任して、社会全体が大きく変わったのです。彼は大統領選でフェイクニュースをSNSで流して勝ったということもあり、不透明で不穏な空気が流れていました。私たちは政治的なことに対して直接動きかけるようなことをしているわけではありませんが、インターネットを介して、あるいは人と人との直接のコミュニケーションのなかで、どのように情報を公平に交換できるのかを探りたくて、LDをたちあげました。
平野真弓(以下、平野)──Load na Ditoという名前は、フィリピン式の携帯電話のシステムに由来しています。フィリピンでは携帯電話は契約なしで、少額の現金で何分間かの通話やインターネット接続が買えるんです。Load=チャージ、na=いま、Dito=ここで、という意味です。フィリピンは経済的に苦しい状況に置かれた人、社会的なつながりがないと食べていけない人が多い。Load na Ditoはどちらかというとそういった大衆向けのプランなんです。このシステムのおかげで、海外にいる移住労働者の家族ともつながっていられる。フィリピンの社会がどのように成立しているのか知りたいという思いもあって、名付けました。
サルバトス──パンデミックの前は人が集まって対話するようなプロジェクトを多くやっていました。アート業界に属する人に限らず、ひろく参加を募りたいと思っていたので、ギャラリーなどに場所を固定するのではなく、突発的にいろんな場所でやっていました。展覧会は社会的な空間でもあると思うのです。人と人が同じ場所にいること、体験を共有すること、社会空間をアートでどのようにつくっていけるのかということに関心があります。
場所をもたない自由
──TTもLDも場所をもたないということで共通していますね。
サルバトス──場所をもっていることにはいい面もよくない面もあります。よくない面をお話しますと、ここは私たちの場所だ、誰をいれるか、いれないのか、といったような領域争いのような問題が起こります。場所によって活動が制限されてしまうということもあります。
LDはマニラのスペースであるというような、場所で自分たちの活動を定義するのではなく、センター(中心)を設けず、自分たちの体を移動させることで、プロジェクトをつくってきています。
そして、フィリピンでは、場所をもつことは植民地の歴史とつながるともいえます。外から誰かがやってきてその場所を支配する。過去でいえば、スペインだったりアメリカだったり日本だったり、いまだと富裕層が土地の大半をにぎっているということもある。私たちは場所を所有することに対して批判的でありたい思っています。
平野──でも、場所があること自体には否定的ではなく、私たちの課題はどうやって場をひらいていくのかだと思っています。LDを始める前のコレクティブの活動では特定の場所を拠点にしていました。パンデミック対策の規制が緩和されて、子どもが自由に外出できるようになったので、最近、自宅の1階の小さなガレージの扉を開きました。ここがLDの活動スペースというわけではありませんが、ご近所に対してひらかれた場所、通りを歩いている人や子どもが入ってきたり、社会とつながる窓口のような場所になっています。
──さきほど、LDはマニラ拠点の活動にはしたくないとおっしゃってました。TTは大阪を拠点に、ほかの国や都市につながっていくということをイメージされていますよね。
Yukawa──はい、ただ大阪を中心にするという気持ちは強くありません。たまたま生活圏だった大阪に、まずはひとつのアートハブを立ち上げ、そこからLCC圏のマッピングを広げていくというイメージです。
──もしかしたら、飛行機の座席のポケットに入っている、大阪の関空からこれだけ航路がひろがっているというあの世界地図のイメージですか?
Yukawa──そうです! まさに立ち上げたときに、春秋航空の関空発の運行路線図をイメージとして使っていました(笑)。
関空から、マニラに行き、乗り継いでインドに行くなど、あらゆる運行路線図をつなぎ合わせると、世界のあらゆる場所に接続できますよね。TTの活動に対して、そのようなイメージを持ってもらえたらわかりやすいと思います。ただTTとLDともに、活動が日常の延長であろうとしていることは、似ていると思います。
即興的に動く
Yukawa──TTは活動する際に、デルタ(Δ)の三角関係を重視しています。つまり、活動を自分たちだけで完結させてしまうのではなく、ほかの人や組織を頼り、お互いに寄りかかれる協働関係をもって活動をしています。たとえば、昨年のレジデンスプログラム(AIRΔ vol.1)では、Super Studio Kitakagaya(おおさか創造千島財団)
に、ハード面としての滞在できる場所を提供してもらい、TTはアーティストの理想を実現する為のサポートというソフト面に注力しました。レジデンスアーティストx Super Studio Kitakagaya x TTという3者間を結んだ、デルタの関係性によって偶発的にさまざまなものごとが起きました。全体を管理しないという姿勢は、遠目でプロジェクトをみれる機会をもたらし、状況に応じて有機的に伸縮できる関係性をつくるキッカケにもなりました。個人のつながりから生まれる突発的な出来事に、柔軟に動ける体制でいたいんです。即興的にイベントを行なえるなど、いつも自由がきく状態でいたいという思いを尊重していくと、予算やスケジュールを年間で決めてしまうスペース運営は、現時点では少し相性が悪いのかもと考えています。
Qenji Yoshida(以下、Yoshida)──大阪にはギャラリーやアートセンターは数多くあるので、僕たちが新たにスペースをつくっても、100あるところに101ができるだけです。僕たちは国内外のさまざまなAIRに作家として参加していたので、レジデンス事業を運営する姿を肌身で経験しています。その経験があるからハードとソフトのマッチングシステムをつくったほうが有意義だろうと考えたんです。その考えはトークイベントやほかのイベントでも同じです。その方法だとさまざまなレベルの問題や欲求に即興的に動けることもあって、現時点ではこの在り方が気に入っています。
──パンデミックの初期には、インスティテューションであれば、どう対応すべきかわからないので、とりあえず防御に向かう、あるいは課題をスタックするということがあったと思うんです。でも、LDやTTは早い時期から動いていましたよね。
サルバトス──ロックダウンが始まったときは不安でした。2020年のプランは、一旦すべて止めないといけなかった。京都でのワークショップと展示のプロジェクト
がありましたが、現地に行けなくなったので、考え直しました。問題を解決するというより、時間をかけてゆっくり考えることに移行したんです。また、フィリピンでは感染症対策を口実に、人と人とのつながりを切ろうとする政府の動きがありました。私たちは人のつながりを守りたかった。インターネットは人と社会とをつなげる唯一のツールだったんです。私たちはパンデミックが始まる前に、いろんな人が話をするためのFLEX*というファシリテーションのツールをつくっていました。集まった人のなかから偶然に選ばれた1人が、偶然に引き抜いたキーワードをもとに話をする。実はFLEX*は対話というより、聴くためのファシリテーションとして機能するんです。これをネットでやってみたら、思った以上に、それぞれがいまどういう状況にいるのかがわかりました。
平野──京都では、展覧会のつくり方自体を考え直したいと思ったんです。オンラインでFLEX*を何度か繰り返しながら、京都のアーティストとゼロから展覧会像を立ち上げていきました。誰かがリーダーとなって仕切って完成度を高めようとするわけではなく、余白を大事にしたんです。
Yoshida──日本で緊急事態宣言が初めて出たとき、僕は台湾にいて、子どもがちょうど幼稚園にあがるタイミングだったんです。ところが、4月に幼稚園が開かないとなって、いつ開くようになるかもわからない。アーティストの友だちからは展覧会がなくなったとか、延期になったとかいろんな情報が入ってくる。それなら、オンラインで子どもとアーティストをマッチングして、アートスクールみたいなものを実験的にでもやってみようかと考えているなか、子ども向けアートワークショップを長年されてきた山添joseph勇さんと友人を介して知り合ったことで実現に至りました。
実際にお会いしたことのない方と運営し、会ったことのないアーティストや子どもたちとオンラインで一緒にプログラムをつくる経験ができたことは大きく、そのあともオンラインでさまざまなイベントを続けることができました。
Yukawa──生活と地続きのところでアートスクールを始めて、それがいまでも続いています。「ポストLCC時代の 」展からちょうど1年後に、京都芸術センターのホームページ上でオンライン・スクリーニング「コ・ミラーリング」
を実施し、タイから東京藝大に留学しているサリーナ・サッタポンさんを、Super Studio Kitakagayaにレジデンス・アーティストとして招聘する など、他の組織と協働で、かつ即興的に企画を実施できたと思います。コロナ禍の記録
──パンデミックと一言でいっても国や地域によって違っていましたよね。フィリピンではどうでしたか?
サルバトス──政府はコロナの感染を封じ込めようと、市民の動きを厳しく制限したので、ロックダウン中は許可証なしに家から出られませんでした
。その日暮らしをしている人の収入がなくなり、食べられない人がたくさん出たなかで、ポジティブになれたのは、インターネットで必要な人に必要な資源を送るような横のつながりができたということでした。海外のアーティストからは、早い段階からマニラにレジデンスにきたいという相談を受けましたが、私たちも家から出られない状況で、そういうところでギャップも感じました。
平野──いままで疎遠になっていた人との縁がインターネットを通して復活して、一緒にプロジェクトをしたり、広く参加を呼びかけて、新しいつながりもできたのは嬉しいことでした。
サルバトス──コロナでどういう体験をしたか、なにを感じ、考えたかということを記録に残しておきたいと思い、「4 questions」というインタビューシリーズ
を始めましたね。──アートセンターやコレクティブとのオンラインミーティングのシリーズ「Should I Stay or Should I Go?」もされていましたね。
平野──アート業界で、私たちが影響を受けた人のなかにもパンデミックのあいだに亡くなった方たちがいました。個人でやっているコレクティブは美術館と違って、本人になにかあればそこで終わってしまう。コレクティブをどう継続していくのか、いつどのようなかたちで終わるのか、東南アジアや日本のコレクティブの話をききたいと思っていました。彼らは、場所を継続していきたいのではなく、考え方や価値観をどう次の世代に伝えていくかという思いが強いということが共通していました。
──TTは、パンデミックで旅行ができなくなったなかで、自分たちの方向性を考え直したというようなことはありましたか?
Yukawa──「ポストLCC時代の 」のタイでの巡回展を予定していたのですが、開催延期が続く状況でした。そんな不確かな状況のなかで、展覧会関係者とどう共感できるのか、また相手に対して余白のあるコミュニケーションをどうとれるか、ということを考え始めました。日本、フィリピン、タイ、それぞれ異なる力学のなかで、展覧会実施に向けて、運営や制作を行なう。またオンライン上で英語にてコミュニケーションしているので、思うことを完璧には伝えきれない。そのような状況をまず受け入れて、お互いの不明瞭な部分を想像力で補いながらプロジェクトを進めてきました。
Yoshida──自分たちで明確な方向性を考えて、言語化して動くというやり方はできませんでした。その都度変わっていく状況のなかで、いま、「自分はこうしたい、どう思う?」みたいな問いかけが思考の土台となって、即興的に組み立てるやり方をするようになったと思います。
──では、展覧会「ポストLCC時代の 」にお話を移したいと思います。これを開催されたのは、パンデミックの直前で、奇しくもLCC全盛時代の最後みたいなタイミングでしたね。
Yukawa──「ポストLCC時代の 」は、京都芸術センターの公募プログラムに採択されて実施した展覧会でした。テーマは、LCCの台頭など、移動の力学が加速度的に強くなっていくなかで、近未来(ポストLCC時代)をどう描けるかということでした。インバウンドという言葉が馴染み深い言葉になりつつあった、可能性と軋轢が混在した時勢を背景に、タイとフィリピンと台湾と日本の作家7名の視点を指示線に、一度近い将来を考えてみるという機会をもちました。
展覧会の企画当初はサルバトスさん、台湾のモンジェン・ウー(Mong-jane Wu)さんとYoshida君とで意見交換をし、どういう展覧会にするか話し合っていたのですが、協働性を重視し可能性を模索した結果、最終的には7名の作家まで増えました
。平野さんにも寄稿してもらいましたね。また展覧会後には、タイの作家のワンタニー・シリパッタナーナンタクーン(Wantanee Siripattananuntakul)さんからタイでの巡回展の提案が自然に出てきて、それならばフィリピンでもと、ついには参加作家の国を巡る展覧会に発展していきました。タイでは、京都の作品をそのまま巡回するという展示のやり方ではなく、話しあいのなかで新たな展覧会をつくりたいと思っていました。結果、タイのペンワディー・ノッパケット・マーノン(Penwadee Nophaket Manont)さんが、ゲストキュレーターに入り、またLDにも参加してもらうということになりました。そしてメンバーで話し合いをすすめるなかで、それぞれの出品作品をかためていきました。
時間をかけて断片を集積していく
──タイ側からもアーティストコレクティブの人たちが参加していましたね。
Yoshida──ペンワディーさんとTTもLDもコレクティブ的なチームであることを話しているときに、タイからもマハーサーラカーム・ミッドフィールド・アートスペース(Mahasarakham Mid-field Artspace)というイーサン地方のコレクティブを呼ぶアイデアが出ました。タイはバンコクと地方で経済格差も大きく、ある種の対立があるんですが、マハーサーラカーム・ミッドフィールド・アートスペースはタイ語で略すとバンコクの中心にあるBACC(Bangkok Art & Culture Centre)という一大アートセンターの発音にそっくりなんで、かなり皮肉ですよね。メンバーのひとりは教授職ですが、ほかのメンバーは別の仕事をしながら、収穫時には畑仕事を手伝うような生活をしています。タイのメインストリームにいない、ある意味タイ国内では「見えない」存在である彼らを、王宮の目の前にある王立大学のアートセンターに招くこと自体も、ペンワディーさんの明確な意思を感じました。
サルバトス──タイの展覧会は、ゆっくり話をしながらすすめていけたのが面白かったです。異なる経験を聞くことができ、つくっていくプロセスに意味がありました。私たちはコンサベーターと文化人類学者を招聘し、彼らと身体的な移動のないフィールドワークというものをオンラインで試してみたんです。文化人類学等の研究者も、ロックダウンで家を離れることができないでいる。そこでメールやSNSをつかって断片的に情報収集するというフィールドワークの方法が少しづつ実践されつつあるそうです。私たちがここでやってみたことは、この断片的なリサーチでした。
平野──私たちは今回、一緒に展覧会をつくっている人たちと対話をしたいと思って、「Almost There」というワークショップを考えました。「Traveling」というキーワードでそれぞれが思い浮かぶ短い言葉をぽんぽんとボードに書き出していくんです。3回目には一般の参加者も募ってやりました。
言葉の違いがおもしろかったですね。タイの作家さんたちは英語を話さなかったんです。インターネットの接続も不安定で、お互いに話している内容がわかっているのかわかってないのかもよくわからない(笑)。うしろで犬の鳴いている声が妙にリアルで、そこに行っていないのに、その場所にいるような気がしてしまう。ずっと耳をすましているうちになんとなくお互いのことがわかりあえるというような不思議な経験でした。そういった場所のもつノイズが重要なんですね。カチっと答えを出そうとするのではなく、周辺にあるものの存在をみんなで少しづつ確かめあいながら形にしていくこと。
タイのキュレーターが、自分たちが抱えている感情をこんなふうに率直に出す機会はなかったと言っていました。そのことに「Almost There」で気づいた、と。考えてみたら、感情を言葉にする機会は私たちにもあまりありませんでした。
パンデミック以降のTravelingの意味
──Travelingの新しい意味をつくっていく、というようなことがあったかもしれないですね。以前は物理的に移動することだったのが、パンデミック以降には体まるごとの体験ではなく、断片的なものを時間をかけて集積していくというようなことへの変換が起きているのかもしれません。
平野──外に出られないから、隣に住んでいる人が何を考え、どんな生活をしているのかこれまで以上に断片的にしか想像できない。人の経験を理解できるということ自体を考え直さないといけない、と気づいたんです。
私は現在の状況について自分の物語を話す、他の人はそれを聴いている。他の人が話しているとき、私はそれを聴いている。そういう状況のほうが、対話のなかで変に「わかっている」というフリをしなくていい。話を整理しきらないやり方はネットでは難しいのですが、一瞬ではなく時間をかけて、犬の鳴き声のような雑音が集まって、経験を共有していくということがタイの展覧会ではありました。
Yukawa──TTは、世界中のいろんな人の夢の話をつなぎ合わせて、ひとつの夢の物語にしたサウンドインスタレーションを展示しました。展示中央にプロジェクションしている顔のイメージは、夢の提供者に、AIがつくった顔の映像から、自分が見た夢の人物像に近い顔を選んでもらったものです。そして僕たちはモーフィングを使用し、ある提供者が選んだ顔から、別の提供者が選んだ顔へと、徐々に変化する映像を制作しました。また映像と音声を通して、他者の夢と夢とが接続していくという展示空間にはベッドがセットされています。鑑賞者はそこで寝ころびながら体験をする事ができます。いま思い返すと、断片的な夢を集めてひと続きにしている点で、LDの作品とも共通しているかもしれませんね。
サルバトス──実際にギャラリーに行かずに作品を設置するのは非常に難しかったですね。「Almost There」をどう経験してもらえるかということを考えて、結果的にサウンドの作品になりました。QRコードを設置してもらって、「Almost There」のワークショップのジャムボードにつながるようにしました。作品をどこにどのように設置するかはキュレーターやスタッフに全面的に任せました。スタッフが私たちのコラボレーターになったんです。
Yukawa──パンデミック以降、移動や交流がどう変わるのかと考えたとき、話している内容が完全に理解しあえない事を前提に、同じ時間をゆっくり共有していくなかで、なんとなくお互いの状況がわかるなど、自分の体を移動せずとも、ほかの人の体を頼りにする制作や交流とか、そういう協働性を軸にした活動は増えるのではないかと思います。
延期やアクシデントもありきで、プランB、C、Dと、いろんなケースを考えながらも計画をすすめる際には、忍耐力や想像力で補っていく必要があるとも思います。一回一回の延期に対して、喜怒哀楽で応じるより、向こうの事情に寄り添う。日本より大変なタイの状況で、展覧会を開催できたことを素直に喜べるのは、理解しあえないことをまず受け入れるというような姿勢が背景にあったんじゃないかと思います。
サルバトス──Travelingというと、物理的な距離のことを考えがちなのですが、フィリピンが置かれた状況からは、タイムトラベルということも考えられるのではないでしょうか。フィリピンでは、歴史修正主義者が負の歴史を書き換えて自分たちの存在を肯定するということを行なっています。社会に蔓延しているフェイクニュース問題を解決しないと、次には行けないという気がするのです。まさに明日、フィリピンの大統領選を控えていて、そう思うのです。
ポストLCC時代の
会期:2020年1月11日〜2月16日
会場:京都芸術センター(京都府京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2)
道にポケット
会期:2020年8月8日〜8月30日
会場:京都市立芸術大学Gallery @KCUA(京都府京都市中京区押油小路町238-1)
Co-Mirroring
会期:2021年1月11日〜1月25日
会場:京都芸術センターウェブサイト(京都府京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2)
de-CONSCIENTIZATION
会期:2021年12月16日〜2022年2月5日
会場:シラパコーン大学アートセンター(31 Na Phra Lan Rd, Phra Borom Maha Ratchawang, Phra Nakhon, Bangkok 10200 )