2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

Dialogue Tour 2010

2000年以降の日本各地のアート・シーンを振り返る──〈Dialogue Tour〉総括にかえて

芹沢高志/鷲田めるろ/光岡寿郎2011年09月15日号

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artscape開設15周年記念事業として、2010年の7月から約1年をかけて全国各地の実験的な試みをリサーチしてきた〈Dialogue Tour 2010〉。その総括として、芹沢高志氏、光岡寿郎氏、そして本企画の監修者・鷲田めるろ氏にお話しいただいた。地域のアート・シーンを振りながら、おもに2000年以降の活動・関心とartscapeが訪ねたスペースとの繋がりを探ることで、現在をとらえ直し未来を望む議論へと展開していった。

人の繋がりにかたちを与える

鷲田めるろ──この1年間、全国8カ所の小さなアートスペースを巡る〈Dialogue Tour〉に監修者として関わりました。私自身もそのなかの一カ所である、金沢のCAAK★1というスペースの運営に関わっていますが、artscapeの開設15周年を記念するこの事業では、ほかのスペースと情報交換しながら、いまの美術の動向や日本各地のアートシーンをどうとらえるかについて考えてきました。
 私は、1999年に金沢21世紀美術館の開館準備のために金沢に来ましたが、2004年にオープンするまでの5年間も、街中のさまざまな場所、たとえば市民芸術村やミニシアター、公民館、図書館、商店街などを一時的に借りて、展覧会やレクチャー、ワークショップなどをプレイベントとして行ないました。また、美術館の建物を新しく建てることは前提でしたが、当時、倉庫や廃校などを転用したアートスペースが増えてきて、廃墟をほとんどそのままにしたようなパレ・ド・トーキョーが開館したりしたころで、どのようにして、開かれた参加型の美術館をつくれるか、設計者のSANAAとも考えてきました★2。開館してからも、引き続き、どうすれば美術館と街を関連づけられるかを考えてきました。そのなかで、金沢21世紀美術館内の「プロジェクト工房」を使った継続的な参加型アート・プロジェクトが美術館の事業として定着し、私はそこでアトリエ・ワンの「いきいきプロジェクトin金沢」を担当しました。2007年のことです。このプロジェクトは、街を調査するというものでした。
 その頃から私は美術館の外で起こる人の繋がりへかたちを与えていくことに関心を持ち始めました。たとえば、「いきいきプロジェクト」のために毎週末、金沢に滞在していたアトリエ・ワンの二人を囲んだ学生たちとの飲み会のような場です。はじめはアトリエ・ワンの二人が訪問した世界各地の写真を見せてもらう簡単なレクチャーでしたが、そのかたちを徐々に整えて、外部にも告知したりCAAKとして組織化することで、アトリエ・ワンとのプロジェクトが終わったあとも継続できるようにしました。金沢21世紀美術館は継続性を持った公立の施設ですが、展覧会という枠組みをとおして美術館の外で生まれた人の繋がりを街のなかにも残しておくことで美術館と街がより繋がりやすくなるのではないか、あるいは、美術館の方向性が変化してしまうようなことが起きたりしても、それ以外の美術の場が街のなかに残っていくことができるのではないかと考えていたわけです。
 そのようななかで、ほかの地域に目を向けると、非常にカジュアルなかたちでしたが、各地で似たようなことをやっている人がいることに気が付きました。また、Twitterなどのソーシャルメディアが出てきたことによっても、そのような活動が見えやすくなってきたように感じていました。そのときにartscape編集部でも近い関心を持っていたようで、15周年を機に、類似のスペースを巡りながら意見交換をして、ゆるやかなネットワークをつくれないかと考えました。これが、私から見たDialogue Tourにまつわる関心と問題意識です。
 このようなスペースの特徴として、ひとつには助成金を頼りにした活動というよりは、小さくてもいいから自主的に始めた人たちが多いことが挙げられます。そして、運営費の安さを考えると、地方のほうがそのメリットを生かした活動ができますし、地方ならではのジャンルを横断した人のネットワークをうまく活用していることも特徴といえます。それをどう名付けるかは難しかったのですが、ボトムアップ的な考え方と親和性があるのではないかということで、web2.0の概念を援用して〈2.0〉をキーワードとして掲げました。
 まず、芹沢さんに伺いたいのは、アサヒ・アート・フェスティバル(以下、AAF)のことです。これは企業活動としての非常に大きな助成金のシステムですが、この制度がどういうものかということ。それから、別府(別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」、2009)や北海道(とかち国際現代アート展「デメーテル」、2002)などを通して、地方のアート・シーンをどうご覧になっているのかということです。

芹沢高志──AAFは2002年に始まり、今年でちょうど10周年を迎えます。この10年を振り返ると、総合ディレクター制度を廃止した2003年と、公募制に切り替えた2005年、これが自分のなかでの大きな節目です。その段階で、ほぼ、いまのようなかたちになりました。
 いま、鷲田さんは〈助成金〉とおっしゃいましたが、正確には〈協賛金〉です。アサヒビールのメセナ活動としての特別協賛、さらに、アサヒビールの芸術文化財団による助成です。それらをAAFの実行委員会に移して、選考委員会によって25〜30件を選んでいます。
 AAFがスタートした2002年がどんな年だったか思い返すと、「デメーテル」の舞台となった帯広などを歩けば中心市街地のシャッターが目立ち始めるとか、限界集落の話も出始めて、2000年代の初めから2005年にかけては、「地域が疲れ始めているな」という印象をもったことを覚えています。おそらく、小泉構造改革によって輪郭だけが見えてきたグローバル経済──いわゆる金融を中心とした資本主義の高度版の世界──を、日本の地域が急に目の当たりにした影響でしょう。そんな状況のなかでしたから、AAFを公募制にするのには迷いがありました。そもそも現代美術の範疇から出発したものとは言いがたく、初期は美術関係者からは無視されてもいましたから、〈アート・フェスティバル〉という枠組みに本当に応募が集まるのか不安でした。一方で、5年もやると参加者が固定してきて、企画も煮詰まってきた状況で、もっとオープンな制度にしたいという気持ちも強かったので、「自分たちも知らないものがあるだろう」ということで、2005年に公募に踏み切ったわけです。
 公募にしたことで、いまでも忘れられない印象深い出来事が起こりました。AAFは、公募を始めた段階から、年に3回、参加者全員に吾妻橋のアサヒ・アートスクエアに集まってもらう機会を提供しています。最初の顔合わせであるネットワーク会議、オープニング、そして報告会の3回です。とくにネットワーク会議はまったく面識がない人同士が集まるので、事務局としてはうまく盛り上がるようにと、紹介の方法などをあらかじめ考えていました。でも、なにも口出しする必要がなく、そこで勝手になにかが起こり始めました。アートで地域を変えていこうとしてきたものの、自分たちがやっていることに意味があるのかということが全国共通の悩みだったようで、それぞれが共感しあい、相談会や企画の貸し借り、商談みたいなものがどんどん勝手に進んでいき、たいへん印象深い出来事でした。1995年の阪神・淡路大震災を契機に、特定非営利活動促進法としてNPOが法制化されて、こうした活動が徐々に盛んになり始めてきたころでもありました。AAFはNPOでなくても参加できるのですが、そうした制度の成立もこのころの時代背景のひとつとして挙げられます。


AAF2005ネットワーク会議
提供=アサヒ・アート・フェスティバル実行委員会

★1──CAAKの設立については下記を参照。Dialogue Tour 2010 第8回:これは〈作品〉なのか? 〈作者〉はだれか?
URL=https://artscape.jp/dialogue-tour2010/10000588_3388.html
★2──artscapeでの鷲田氏による妹島和世氏へのインタビューにて、金沢21世紀美術館の設計プロセスについて論じている。「妹島和世インタビュー:新しい公共性について──2000年以降の建築実践」
URL=https://artscape.jp/focus/1229986_1635.html

関連リンク

artscape開設15周年記念企画「Dialogue Tour 2010:はじめに──現代美術2.0宣言」

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  • Dialogue Tour 2010とは

芹沢高志

1951年生まれ。都市・地域計画家、アートディレクター。 P3 art and environment 統括ディレクター。神戸大学理学部数学...

鷲田めるろ

1973年生まれ。キュレーター。元金沢21世紀美術館キュレーター(1999年〜2018年)。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館...

光岡寿郎

1978年生。メディア研究、ミュージアム研究。早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可...

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