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香川  毛利義嗣
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exhibition「手で見るアート」展

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「手で見るアート」展 会場風景
会場風景

伊藤悦子作品
伊藤悦子作品

 視覚障害者のための展覧会やワークショップは決して多くはなく、その経験を蓄積している美術館もあまりないのだが、そうした試みは近年少しずつだが増えてきているように思う。この展覧会も、特にそのようにうたっているわけではなく、もちろん晴眼者も触ることができるが、事実上は、目で見ることのできない、または困難な人をおもな対象に構成されたものだ。会場では、この展覧会のために9人のアーティストによって制作された、触ったり、動かしたり、上に乗ったり、音を聞いたり、といった視覚以外の感覚でもある程度知覚できるような作品が並べられた。例えば、作家の中でただ一人の視覚障害者で、また県外からの出品者である伊藤悦子氏の作品は、粘土を球状に焼いた直径40センチほどの黒い陶の物体で、ゆっくり動かすと、中空の内部に入れられた何かが転がって音をたてるようになっている。また会期中には、その伊藤氏と、ごく幼い頃に視覚を失った半田こずえ氏(日本点字図書館職員)をゲストとしたシンポジウムや、「くらやみのパフォーマンス」「ホットボンドで絵を描こう」といったワークショップも開催された。昨年、高松市美術館で「ロダン展」が開かれた際、視覚障害者を対象とした「手による鑑賞」によるギャラリートークが行われた。私が視覚障害に関わる企画に多少なりとも関係したのは今回も含めて2回だけであり、感想めいたことを述べるのもやや気が引けるが、といいつつ以下感想を。
 さて、生まれた時から、または記憶に残らないほど幼い時から目が見えない場合の知覚というものを、晴眼者は理解できない、そしてまたその逆も、なのだろうか? 以前、ある美術関係者と話をしていて、そういったことが話題に上ったことがあった。彼女の判断はイエス、であり、したがって、視覚障害者を対象とした、例えば触れる展覧会といった企画も、教育的・社会的な側面を別にすれば、つまり基本的に視覚に基づくとされる「美術」の受容という点では、その意義に懐疑的な見解だった。これはもっともらしく聞こえるし、実際、そのような意識の人も、むしろ美術関係者の中に多いようだ。もちろん、視覚障害といってもその状況は人によって様々なわけだが、少なくとも生まれつき視覚を持たない場合、おそらく、例えば色彩というものを認識することは無理だろうし、たとえ彫刻にしても、晴眼者が制作した作品を触覚他の感覚で把握するにも自ずから限界があるようにも思える。しかし、今回この「手で見るアート」を通して、またシンポジウムを聞いていて感じたのは、そのような結論とは別の可能性についてだった。
 美術が、目という感覚器に依存する認識の体系であるなら、そして、目が正確に外界を写し出すレンズだとすれば、今回のような展覧会も、様々な社会的効果をあえて除外すると、確かに、晴眼者が知覚しうる経験の不完全な模倣にすぎない、といえる。しかしそうではなく、美術と呼ばれているものが、視覚も含めた、外界とのインターフェイスによって脳内に模擬的に構成された世界像に何らかの物理的なかたちを与えたものだとすれば、どうだろう。人は作品を前にする時、視覚と戯れているだけではなく、いいかえれば見ているのではなく、作品という痕跡を手がかりにしつつ、自らの世界像と、他人の世界像をいろいろな形式でリンクさせているのだとしたら。であれば、重要なのはリンクの張り方であってその経緯ではない。視覚における障害は、色彩の細かな認識、あるいは構造の俯瞰的な把握、といった点では不利かもしれないが、一方で思いもかけないリンクが張られることもあるだろう。それは、視覚に頼った作品や世界認識の単なる代賛物ではないはずだ。
 シンポジウムの中で、この展覧会の企画者のひとりである栗田晃宜氏(県立盲学校教諭)が次のような発言をした。「盲学校の生徒が絵を描く時、例えば『階段』を描写する場合、直線が平行に並ぶような表現になってしまい、垂直や斜めの線によって繋がるような描き方がなかなかできない」と。これを受けて半田氏は、「その理由は簡単です、視覚障害を持つ人は、光によって影ができるということが分からない、平行線以外の階段の線は、『影』によってはじめて把握できるものだからです、また私たちは、遠くのものが小さく見えるということが分からない、だから、遠近法というものをなかなか理解できない」というような主旨のことを述べた。これを、視覚を欠くことの限界として取る態度もあるかもしれないが、私はむしろ、目からウロコが落ちるような(というのはこの場合矛盾した表現ではあるが)印象を受けた。つまり、視覚を働かせて捉えている世界はそのほんの一側面でしかない、というか、どれほど深く私たちは視覚的・美術史的世界に沈んでいるか、ということを再認識させられたわけである。
 といって私は、例えば視覚抜きの感覚に基づいて描かれた絵画を、その点において受容する、ということを勧めているつもりはない。何かしら珍しいものを眺めて楽しむように一方的に奪う(あるいは与える、どちらでもたぶん同じだが)ことはどのような分野でも退屈なことだ。回線は双方向に張られた方が多様で突発的な結果を生み出すだろう。今回の展覧会も含めて、もしこういった企画に意味を求めるなら、認識についての拡張された選択肢を互いに見出す機会になりえる、ということだと思う。
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出品者:伊藤悦子/大貝滝雄/坂十死生/坂本直昭/田内徳重/高橋直美/田辺光彰/英豪之/林厚良
会場:香川県社会福祉総合センターふれあい交流ギャラリー 高松市番町1-10-35
会期:1999年11月8日〜11月14日
問い合わせ:Tel. 087-866-4371(実行委員会 栗田晃宜)

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