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岡山  柳沢秀行
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exhibitionわくわくどうぶつミュージアム

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わくわくどうぶつミュージアム

 すさまじい展覧会である。
いわゆる「展示物」は、国立民俗学博物館の所蔵品を主に(展覧会協力として同館の名前を明示)、いずれも動物の形状をした置物、埴輪、棺桶、仮面、兜などが並ぶ。その名もずばり「わくわくどうぶつミュージアム」。
 広報用チラシには、こうした「展示物」が『カメルーンの仮面』『カニのかぶと』『ガーナの棺桶』と言った活字とともに写真掲載されているが、各々から吹き出しで『のほほん のほほん』『わしゃーカブトじゃーカニ』『みんな来るニョロー』『ぎょうさん来てもカメへんよ』『わたしたちオーストラリアから来たざーます』とあったり、『ケロケロ』『ガハハハ』と添えられていたりする。そしてチラシの表には大きな赤の活字で『たのしさ 大バクハツ!』。
 これを見れば「地域を限定せず、民俗資料も含めて、動物の形状をしたものを展示するのだな」と察しはつく。また料金設定、チラシのキャッチコピーからして、どちらかと言えば低年齢層や、今までのいわゆる美術館通とは違った客層をターゲットにした展覧会だとも推測できる。
 もっともこのチラシには展覧会内容について紹介する文章は「アジア・アフリカ・オーストラリア・南北アメリカ・日本 世界のどうぶつたちが大集合!」としかなく、上記のような推測から踏み込んで、より細かく展覧会内容を知るためのインフォメーションがない。
 あくまで察しはつくが、チラシからはこの展覧会が提示しようとする内容や志向、またターゲット客層についての確認が出来ないようになっている。(この点、広島市現代美術館の「アート・スウィート・ホーム」展が内容は別段子供だけに対象を絞らず、立派に大人でも美術館通でも楽しめながら、展覧会の対象を積極的に「子供のための」と銘打って、多くの親子連れを集客していたのとは対照的だ)では実際の展示場はどうか? これが凄まじいのである。
まず会場入口はまったくの暗闇の通路(実感5mほどか)。それも徐々に上方に向かい傾斜があるため、そのうち頭が天井につっかえる。こう書くとわかりづらいが、お化け屋敷の導入路と言えばイメージがわきやすいだろう。
 会場の入口に小看板で「介助の必要な方は申し出てください」との掲示があるが、この暗闇の斜路という仕掛けは少なくとも車椅子の人間には体験できない。あるいは自力歩行の可能な者でも、この暗闇を手探りで進むのはかなりの緊張感を強いられる。
 私もつねづね日常の慌しいペースで展示場に入ってくる観客を、特に意識させることなく一度ペースダウンさせギヤチェンジしてもらうため、展示場の入口あたりの導線をわざと細かく折り曲げたり、逆に広い空間に作品を1点だけ展示したりしてみる。おそらくこの暗闇の通路も同様のねらいがあるのだろう。あるいは子供たちに探検隊ムードを高めてもらう工夫なのだろうか。
 もっとも私としても、そこまで緊張させられるのはちょっと辛かったし、一緒に行った3歳の息子は怖がって駄々をこね、1歳児を抱いた妻も足元がおぼつかなくて私のベルトに手をかけて身を添わせて着いてくるありさまだった。様子を見ていると、この導入路で泣いている子もいたようだが、我が家の体験と私の観察が、ごく限られたものであることを願いたい。
 こうしてようやく暗闇の導入路を突破して主会場に足を踏み入れると、そこは幅1mほどの鮮やかな(ショッキングな)5色(7色?もう数えませんでした)の布の帯が会場一面縦横に乱舞し、そのなかを尾瀬の木道よろしく観客が進む順路(掛け橋)がいくつかの段差や屈曲を見せながら巡らされている。
 この順路設定では車椅子の来客がシャットアウトなのは明らかである。我が家の3歳の息子は足がすくみ、向こうの方では途中で道から落ちている(降りている?)子もいた。暗闇の導入路から、この掛け橋を元気に楽しみ、わくわく散策していくのは、まあ元気の良い小学生以上から大学生ぐらいまでか?
 それ以上に私が気になったのは布帯の色彩同士のハレーションであり、またその中にぽつんと置かれた「どうぶつたち」のなんとも、しょぼい見え方であった。
 「どうぶつたち」の多くも、もとは相応の極彩色に身を包んでいたのだろう(もっとも、展示場に広げられた布帯のような工業企画製品のチープな色ではなく)。
 ただ色彩もはげたり、彩度が落ちたりしながら、露出した生地と経年変化を帯びた色彩とが馴染んでいるのが、「どうぶつたち」の今の姿である。その今の姿は、会場に一面に広げられた布帯の鮮やか過ぎる色彩の前に、「よく見えない」のである。
 それから、電動ロクロを用いて、とある「どうぶつ」が展示ケースのガラス越しに、かなりの速度で左右に動いて、その姿を見え隠れさせるという仕掛けもあった。
 美術館は保存と展示という矛盾する二つの論理の妥協点を模索する場である。作品を守ろうとすれば収蔵庫にしまい、光をあてず、温湿度を完全に管理し、不特定多数の第三者が接近しないようにするのがベストである。もっとも、それが作品の幸せか、美術館の使命かと問えば、答えは明らかにNOである。それゆえ、光もあたり、虫もやってきて、温湿度も完全にはコントロールできず、もしかしたら悪意のある者が近づき、そうでなくても過失によって作品を短時間で損傷する恐れがあってでも、展示場で作品を公開するのである。
 しかしながら、保存することばかりにウェートが置かれ、それだけに展示という来館者への最大のサービスに大きな規制がかかった状況にあった「美術館」も「変わらなきゃ」ということで、展示状況の改善やら、それ以外のサービスの充実 <文字や音声による情報提供や教育普及の様々なプログラムなどなど>が近年急速に進んでいるのではないだろうか。
 こうした状況に照らしてみると、展示物が左右に移動し続けるという仕掛けは、保存偏重のこれまでの状況に対抗して、来館者へのサービス万点の仕掛けではある。あるいは、作品を守るために存在していた展示ケースの中で、あえて作品を損傷しかねない状況にして、作品を見せるという、展示ケース(ひいてはこれまでの美術館の展示のお作法)に対する強烈な皮肉とも受け止められる。
 しかしそんな皮肉のために「作品」を使って良いものだろうか。それも他者から借りてきた作品を。これはいささか「美術館も変わらなきゃ」の反動の触れが、大きすぎるのではないだろうか。
 もちろんこうした点も含めて、この展覧会には、従来の美術館展示のお作法を脱構築するために、ずいぶんとあれやこれやと考え、そして限られた予算の制約からか、せっせと自らの手を動かした痕跡が満満ちている。だから、これまでの保存編重の美術館の姿しか知らない人間にとっては、これは壮挙であるし、私としても、ここまで思い切ってやった美術館の行動力と勇気は、すさまじいものだと思う。
 惜しむらくは、展覧会実現に向けた思考の積み重ねや労働の積み重ねの熱さや重さが、「どうぶつたち」を飲みこんでしまっていること。それから、その思考の積み重ねが、いったい誰のためを思い、誰に向けられ、そしてこの展示が実現することで喜ぶのは誰なのだろうか?が、今ひとつ腑に落ちないことだ。
 数多くの優秀な同世代の学芸員の中でも、私がいつも敬服している芦屋市立美術博物館の山本淳夫さん(「そうそうそうなの。いつも僕も漠然と思っていること。ありがとう、こんなに明確に言葉にしてくれて」と彼の文章を読むたびに思う)が、同館の館ニュース(これまた才人の倉科さんの音頭取りか?立派にリニュアル)最新号に、ちょうど『展示のくふうの話』として、こう書きとめている。最後にご紹介しておく。
『作品をより良く見せる工夫、つまりディスプレイについて考えることも学芸員の大切な仕事です。ちょっとしたことで展示室の表情は一変し、とても面白いのですが、もちろんやり過ぎは禁物。主役はあくまで作品ですから、ディスプレイはそれを引き立てるための脇役に徹しなければなりません』
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わくわくどうぶつミュージアム
会場:倉敷市立美術館
会期:1999年11月2日(火)〜12月19日(日)
料金:一般900円 高校・大学生400円 小・中学生200円
問い合わせ:Tel. 086-425-6034

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