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「横浜トリエンナーレ2001」第3回記者発表会 |
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国際交流基金・国際会議場[東京] |
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ようやく出品作家全員の顔ぶれが決まった。そのせいか、今日はキュレーターもアーティストも態度がナレナレしく、やけにさばけている。新たに加わったのは、アブラモヴィッチ、フロリアン・クラーク、島袋道浩、ステラークら39人で、計110人となった。ひょっとしたらおもしろくなるかも。でも最後は相変わらず名古屋覚の足を引っ張るような質問で終わり、イッキに場を盛り下げてくれた。貴重な人材だ。
[5月25日〈金〉 村田真] |
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鈴鹿芳康展「FACES」 |
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5/19〜6/3 ギャラリーそわか[京都] |
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特殊なポラロイドカメラを使って、人の顔の側面と正面を分割して接写し、つなぎあわせた写真作品が並んでいた。一人の人を写したもの、二人の写真をミックスして一つの作品にしたもの。とにかく「FACES」展なんで、顔、顔、顔であった。目、鼻、口、耳、眉、当たり前のように見ていた顔を、こうやって改めて見ると顔ってヘンだ。
[5月26日〈土〉 原久子] |
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栗田咲子展 |
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5/15〜27 ギャラリーココ[京都] |
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いつも自然体な栗田咲子のペインティング。タソガレてしまっている時もあれば、活力いっぱいのときもある、生活をそのまま写し出したような作品。肩に力の入っていない小さいサイズの作品が見たいなァと身勝手にも思いつつ画廊を後にした。
[5月26日〈土〉 原久子] |
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西奥起一展 |
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5/22〜27 ギャラリー16[京都] |
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床も天井も壁もすべてが白い画廊の角に、壁に背をもたれて手足を投げ出した等身大の白い人。ぽっかり口を開けて座っている。中は空らしいのだが、不思議なオレンジ色の光を発しているように目には映った。何の機能も持たない、全てが抜け出てしまった人間というのは、危機的な情況も通り過ぎ、もう「人」ではなくなっていて怖かった……。
[5月26日〈土〉 原久子] |
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長谷川博士展 |
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5/3〜27 ヴォイス・ギャラリー[京都] |
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これは豆腐の角で、これは鶉の卵を沢山割って下から光りを当てたもので……。聞けば「あァ」と頷く被写体をごくシンプルに撮っている。今回出品したフォーカスを甘めにおさえたシリーズは、長谷川の新境地を開くものになるのか?!
[5月26日〈土〉 原久子] |
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高橋信行「夏みかんのころ」 |
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5/15〜27 ギャラリーTAF[京都] |
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日本の風景の断片やフレームだけをとりだして、独自のタッチで絵画作品に仕上げてゆく高橋。枝についた大きな丸いみかん。みかんはどこの国にもあるはずなのだが、郷愁にも似たものを感じさせる日本の風景に描き上げてしまうのが彼ならでは。アトリエに伺ったとき、みかんをどのように実らせようかと丸く切った色紙をキャンヴァスの上に仮置きしながら構図を考えていたのを思い出した。
[5月26日〈土〉 原久子] |
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鹿子木孟郎展 |
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4/28〜6/17 府中市美術館[東京] |
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昨年秋の開館以来、行こう行こうと思いながら果たせず、ようやく訪れた府中市美術館。京王線東府中駅から徒歩15分と遠いけど、公園内に建てられただけあってけっこう大きい。そのせいでもないだろうが、ぼくが展示室にいたあいだに出会った観客はたったひとり。監視員のねーちゃんは5−6人いたのに。おかげで展覧会は気もちよく見られたが、ねーちゃんがベタで張りついてくるのには閉口した。もっとぴったり張りついてくれればうれしかったけど。鹿子木といえば関東大震災の絵やスケッチくらいしか知らなかったけど、明治時代にフランスで学んだアカデミー派の画家。10代からピカソ並みの描写力を発揮したものの、その後はフランスで学んだにもかかわらず、あまり変わりばえしなかったのが哀しい。とくに大作になればなるほどダサくなり、習作のほうが生き生きと見えるのは本番に弱い彼の特質か、謙虚な日本人の性質か、それともそれが絵画というものなのか。彼の場合、大作になるとデッサンは狂うし色づかいは不自然だし、陳腐でキッチュで俗悪なのだ。まあその意味で興味深いのだが。きわめつけは「赤手空拳」。男女が裸でポーズをとった悪趣味な神話画だが、まるで横尾忠則である。
[5月29日〈火〉 村田真] |
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