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Column Index - Feb. 11, 1997
a)【建築物件から見た現代の東京 ―〈メイド・イン・トーキョー〉貝島桃代+T.M.I.T】 ……………………● 塚本由晴
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《カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館》
会場風景
撮影:平 剛
スーパーカースクール
撮影:T.M.I.T
パチンコカテドラル
撮影:T.M.I.T
倉庫コート
撮影:T.M.I.T
生コンアパート
撮影:T.M.I.T
神社ビル
撮影:T.M.I.T
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《'96 アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー》展
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建築物件から見た現代の東京 ●塚本由晴
カー・オブ・ザ・イヤーならぬアーキテクチュア・オブ・ザ・イヤーというのをご存知だろうか。建設業に関わる団体はいくつかあって、それらは独立した活動を行なっている。しかし、年に1度くらいは団結して何かしよう、そして建築というものを皆に知ってもらおう、ということで1993年から建設業関係の5団体(日本建築学会、日本建築家協会、日本建築士会連合会、日本建築士事務所協会連合会、建築業協会)が毎日新聞社の協力で始めた賞および展覧会の名称である。第4回の1996年度は磯崎新がプロデューサーになって、従来通りの建築作品展という枠組みをはずして新しい展示を試みた。題して《カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館》。4人の若手の研究者・建築家(田中純、中谷礼仁、松原弘典、貝島桃代)が選ばれ、フランス革命、明治の日本、社会主義国家(ソ連と中国)、現代の東京のそれぞれで、独自の視点を生んだ建築物についての展示を行なった。ここで紹介する〈メイド・イン・トーキョー〉は、この中で現代の東京のセクションに対応するものであるが、展覧会全体の枠組みをはずしてしまっても、十分に成立するだけの内容と形式を備えたものである。制作は、建築家/アーティストの黒田潤三と藤岡務、および東京工業大学坂本一成研究室の建築を専攻する大学院生、研究生を中心に行なわれ、貝島とは日頃からチームを組んで活動している私自身も、コンセプトメイキングに参加した。 トーキョー・コミュニケーションの場 展示は無名だが東京らしさを伝える30件の建物がプリントされたTシャツを、通し番号を背中に入れて7組計210枚作り、それを架空の服飾ブランド〈メイド・イン・トーキョー〉の製品としてブティックのような会場にハンガーで吊すというもの。Tシャツにはオリジナルの織ネームを付け、商札にはその建物の立地、機能、構成などの説明が入っている。ブティックでTシャツの絵柄を選ぶように、一枚一枚引き出して確かめながらの観覧には、不思議とパーソナルなコミュニケーションの感覚がある。会場にはアンケート用紙があり、Tシャツを購入したい人は値段を付けて、透明なビニール製のTシャツに入れる。一種のオークションで高い値段を付けた順に通信販売するというわけだ。予想をはるかに超える808のアンケートが集まり、激励、共感、批判といった数多くの意見が寄せられた。アンケートの結果はまた別の場所で詳しく報告できればと思う。 ダメ建築
展示の方法が建築の展覧会としては奇抜なので、そこに流通や表象不可能性などの問題を見ることもできると思うが、そこでの意味は『カメラ・オブスキュラあるいは革命の建築博物館』の中での相対的な関係で決まっていると考えた方がいいだろう。だから〈メイド・イン・トーキョー〉の核心は集められた建物の方にあって、展示方法自体は展覧会の枠組みによるのである。今回こうした作品を制作したのは、ロックのミュージシャンがライブの度にTシャツを作るように、建築の展覧会でもTシャツを作りたいという不埒な発想であって、それが展覧会全体にもなんとかはまりそうだと予測。 東京の都市建築論へ 今回のプレゼンテーションでも輸出の方はおそらくいいとして、ここからどのような建築論を組み立てるかが残された課題である。展覧会に併せて編集された『磯崎新の革命遊戯』という本の中で、その一つの試みとして「空白恐怖症の東京」という一種の東京論みたいなものを書いた。詳しい説明は除くが、私が興味を持っているのは、単に長いとか平面的に広いとか棚状であるといった物的な特徴の共通性だけで、全く無関係な機能が複合されている建物である。複合していることの理由が、単なる物的形式性の水準に還元されてしまって、理由を問う際に前提にされている社会的、文化的な価値が相対化されてしまうのだ。そこには常識に囚われない自由な組み合わせが可能になっていて、建物という物自体はいかなる価値をも投影しうる空白であることが相対的に示されているようだ。この「物自体が空白であること」を成立させる様々な方法について、これからもう少し深く考えていきたいと思っている。また、論全体では東京という都市と建築の間に相互定義的な関係を見出すことができるのかという大問題を、〈メイド・イン・トーキョー〉の建物とこれまでの建築学や建築作品という枠組みとの距離を計ることを一つのエンジンとして考えようとしていたが、その前提には「都市と建築の間の相互定義的な関係があっていいはず」というイデオロギーがあった。この部分を共有できないと話は御破算なのだが、それがいい考え方なのかどうか自分でもよくわからない。西洋的な考えを日本に当てはめているだけなのか? 建築の創作に安定した根拠を確保したいだけなのか? といった疑問が自分の中にもありながら、でも冷静に考えて東京がこのままなのも、同じことが東京以外で繰り返されるのもいいと思わないからである。反発するにしろ守っていくにしろ、環境に対する明確な価値がない状態ではどうしようもない。などと責任を背負込むことが、建築家の職能の理想像に自分を近づける努力=自らを建築家として定義しようとするせこいやり方だという批判がないわけではない。しかしそうした批判が意味を持つかどうかは、徹底的に実践してみないとわからないくらいにあやふやなのも、また日本的な現実なのだと思う。とにかく今しばらくは、この心揺さぶられる不可解なメイド・イン・トーキョーのダメ建築達をじっくり観察していくつもりである。 [つかもと よしはる/建築家]
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