Feb. 18, 1997 (a) Mar. 4, 1997 (a)

Column Index - Feb. 18, 1997


a)【ギルバート&ジョージは、
 本当にゲイで女性差別主義者で人種差別主義者(だったの)か?】
 ……………………● 毛利嘉孝

b)【国際会議「アジアが都市を超える」】
 ……………………● 太田佳代子


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「アジアが都市を超える」

会期:
1996年10月18日〜20日
会場:
TNプローブ
問い合わせ:
TNプローブ
Tel.03-3505-8800





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Rem Koolhaas and the Office for Metropolitan Architecture
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カストゥーリ
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リュー
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国際会議「アジアが都市を超える」

●太田佳代子

 

複雑な胸のうち

アジアがブームである。どこの新聞も、これまでとは打って変わった勢いでアジアネタを取り上げているし、某テレビ局などは香港班だけでも今5つあって、それぞれがいくつかの番組を制作中だそうである。
  香港にしろ、中国にしろ、ベトナムにしろ、タイにしろ、ずっと身近にあったのに、どうして突然みんなの関心が高まったのか。ひとつの答えは単純だ。景気が日本を見離して、アジア大陸に移ったから。なにせアジアの好景気は2010年までは続く、と世界銀行もタイコ判を押しているのである。アジアの都市が過激なスピードで近代化することで、日本人は何か自分たちとの連帯感のようなものを抱き始め、しかもこの「閉塞」状況の中では果たし得ない欲望を、そこに投影しているのではないだろうか。
  それは西洋人にとっても同じであるらしい。というより、アジアで現在起こりつつあるハイパーな近代化現象は、近代(モダニゼーション)の行き止まりで立ち尽くしている西洋にとっては、もっと複雑でアンビバレントな問題だ。自らの過ちをみすみす繰り返してほしくない、という親心のようなものと、まったくワケの分からない新世界へのファンタジーとが、マーブル模様のように絡み合ってしまう。そのことをハッキリ直視し、アジアの近代都市化を東西共通の課題として議論とよう、というハードコアな国際会議が昨年10月、東京のTNプローブで行なわれた。
  この会議はちょっと凝った構成になっていて、3日間にわたり、2人のスピーカーがひとつの都市あるいは地域について異なる視点・立場からプレゼンテーションした後、モデレーターを交えて討論する、というセッションを5回行なうというものだった。登場した都市はバンコク、クアラルンプール、シンガポール、上海、そして香港。スピーカーは都市行政のリーダー、都市計画者、建築家、学者、官僚といった都市開発に関与する様々な立場の人たちで、それぞれが現地の現状と問題、今後の計画ないしは都市戦略を発表した。

アジアの死角に突っ込め

だが、なんといってもこの会議をユニークにしたのは、通しでモデレーターを務めたオランダの建築家、レム・コールハースの仕切りである。ハーバード大学院の教授として自らもアジア都市研究を進め、シンガポール論も書いた彼は、アジアの都市に対し、もちろんアンビバレントな心境を抱いている。しかし、ショックと憧憬のあいだで宙づり状態になった自分の心境を、彼は決して抑圧したり隠そうとはしない。絶句してしまうほどの強烈さと不可解さに満ち満ちたこの現象に安易な判断を下したり、意味づけすることが最も危険であり非生産的である、と考える彼は、自分の感情さえ相対化、対象化して、あくまでも全体に忠実であろうとする。私はそこにアジアへの敬意と愛情すら感じる。
  プレゼンテーションが終わるや否や、モデレーターはかなり攻撃的にツッコミを入れる。それはしばしば本音でしか答え得ないような切迫感とともにプレゼンターを襲った。もちろん、それはすべてポジティブで生産的な「知」を見つけだし、共有するための仕掛けなのだ。プレゼンターたちも閉口するどころか、彼の「挑発」に進んで乗っていた。ひたすらお行儀がよく、予定調和でまとまるのがお決まりのシンポジウムにはあり得ない光景の連続だった。
  都市機能が破綻しているといわれる現状を乗り越えて「快適性(コンビニエンス)」を追求するバンコクの都市行政、農業国から一気に未来的な情報産業国への転身を図るマレーシアの新首都、自らを都市のプロトタイプとしてアジア各国にマーケティングしているシンガポール、マンハッタン化する上海の浦東(プドン)。どこも高度経済成長という突然のシナリオの中で起こり始めた極端な変容であり、極端なビジョンである。こうして、これらの都市には今、ふたつの時間が流れている。高さ世界一を競うスカイラインに象徴される未来と、河面にひしめくバラックやマーケットに象徴される現在と。

同星異夢?

現実離れした開発や未来構想への批判を受けて、マレーシアの建築家カストゥーリは熱弁を振るう。「今、アジアの都市は一斉に競争状態に入っている。そこで生き抜くためには、よりスピーディに走り、より高くジャンプするしかない」。シンガポールの都市計画家リューは訴える。「確かに今のアジア都市は矛盾だらけに見えるかも知れない。しかし、たった数十年で我々はここまで頑張って来たのだ。もう少し長い目で見てほしい」。彼らの都市のエネルギーは2010年、2020年といった未来に向かってダッシュするという構図の中でこそ、生まれてきているのかも知れない。
  一方、バンコクや中国でプロジェクトを持つアメリカの建築家キプニスは「破綻というけれど、バンコクの現実をよく見れば、問題と言われていることこそが都市の魅力になっていることが分かる。インサイダーの問題意識は、あまりに西洋的モラルに縛られすぎではないか」と疑問を投げかけ、バンコクを西洋の論理を超えた新しいポテンシャルを持つ都市として捉えた。香港の建築家タンは、今は解体された九龍城や香港の新興開発地区に見られる「自然の生命体」としての都市を分析した。
  こうした都市の「現在」を愛そうとする態度は、この会議の流れの中ではアジアの「アウトサイダー」にこそ持ち得るものだという風に思えてくる。しかし、だからこそきわめて重要な価値をもつ、批判的かつ建設的な視野なのだとも思う。

アジアに地平線をみる

最後に、ハーバード大学院での珠江デルタ地帯の研究を発表したコールハースへの、会場のリアクションは賛否両論、まっぷたつに分かれた。とくに日本の建築家や歴史家たちの目には、それがアジア市場への売り込み作戦だと映ったらしい。まったく情けない。この会議でのコールハースのスタンスは、建築家や都市計画者の存在意義そのものが危機に瀕している、そのことを何にもまして強く突き付けてくるのがアジアの現状である、という深刻かつ、ある意味では危険なものだったのだ。唖然とするほどの意識のズレに、私はまさに建築家の危機を目のあたりにする思いがしたものだ。
  だが、私が得た最大の実感は、とかく自らをアジアとは切り離して見がちな日本だが、それなら投資や観光旅行以外にもやることはあろう。まず、スタンスをはっきりさせるべきで、例えばこの会議のように、アジアから何か大切なものを学んでみんなでシェアしようという国際的なイニシャチブを取る、といったようなアクションが今、求められているんじゃないかということだった。

[おおた かよこ/編集者]

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 本当にゲイで女性差別主義者で人種差別主義者(だったの)か?】
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