Feb. 18, 1997 (b) | Mar. 18, 1997 (a) |
Column Index - Mar. 4, 1997
a)【世田谷の馬六明】 ……………………●長谷川祐子
|
▼
《デ-ジェンダリズム〜回帰する身体〜》
「馬六明 in De-Genderism、
現象する身体
馬六明パフォーマンスの記録
|
世田谷の馬六明 ●長谷川祐子
トランスジェンダーという解答
世田谷美術館で2月8日から開催されている《デ-ジェンダリズム〜回帰する身体〜》の関連企画として、北京在住の作家、馬六明(マー・リューミン)のパフォーマンスが9日と11日行なわれた。馬は69年、中国湖北省生まれ、湖北美術学院油画科で学び、絵画制作の一方でパフォーマンスを始める、93年前衛の作家たちが北京郊外につくった東村に参加、限られた観客を対象にパフォーマンス活動を行なってきた。
パフォーマンス1〈2/9〉
9日に行なわれたパフォーマンスはむしろハプニングであり、観客は何も知らされていなかった。メークアップを施した全裸の馬が突然ミュージアムショップの中から現われる。馬はムダのない動作でカメラと三脚をセットし、カメラにむかって右手を体にそえるフェミニニティを香らせるわずかのしぐさをし、セルフポートレートを撮ってゆく。まったくの無表情、大股ですばやく歩いて次のポイントに移動し、同様に撮る。バーニーの作品の前で、草間のファルスの森のなかで、そして自身の絵画の前で……。デジェンダリズムという一見難解なこの展覧会のテーマが馬によって、各場面で簡単に確認されてゆく。午前中ということもあり、観客はまばらだったが、そこで生じている事態に対して、声にならない好奇心と驚きの反応は現場でリアルに感じられた。観客は静かに馬のすることを見守り、馬は緊張感のある身体と儀礼にも似た簡潔な行為のくりかえしによって、この状況を維持した。最後玄関に近くなったところで、観客がふえ、美術館の管理側から中止を求める声があがった。これを伝える通訳の指示にもかかわらず、最後の一枚まで馬は表情を一切かえることなくプロジェクトを終了した。
パフォーマンス2〈2/11〉
2月11日、午後3時より世田谷美術館講堂においてもうひとつの馬六明のパフォーマンスが行なわれた。会場のなか、馬の姿は舞台中央に設置されたスクリーンに現われる。鏡にむかってすわる彼の顔が正面からクローズアップされ、素顔の彼がメークアップによって次第に女性の顔になってゆく過程が映し出される。メークが終わると会場は暗転し、会場後方のオペレーションルームから馬が現われ、舞台の端に移動する。体全体をおおう黒いレオタードを着た馬はそこにかけてあったゴルチエの赤いドレスを着る。ぴったりとしたセクシーなドレスを着て一度ポーズをとった彼は、ヨージヤマモトのシックな黒い男性用スーツをその上から着て、再度ポーズをとる。かたわらにおいてあった鋭利な裁断用のはさみでやおら、服を切り裂きはじめる。初めはゆっくりと、そしてだんだんはやく、激しさを増す。上半身がむきだしになったところで客席前列に移動、ひとつの席に膝をつき、観客の間近で下半身の部分を切り裂きはじめる。全裸になった彼は、ほぼ暗転した会場を観客席のあいだをぬうようにねりあるき、オペレーションルームにもどった。いわゆる観客に参加を求めるといったとき、この心理的、(身体的にはもっともひかえめな接触であったとしても、)奇襲は我国の観客にはいままでにない、新鮮なものではなかっただろうか。馬の行為は激しさを内に秘めた静けさと、場の状況に対するすみやかで確固たる決断力によって、会場を圧倒していた。一般の観客(芸術関係者でない主婦や学生といった普通の人びと)との接触―はじめての、他者との全開となった接触の感動に馬自身は圧倒されていたという。彼ら(観客)の身体の緊張感が伝われば伝わるほど、集中力を得たという彼の身体は、ゆらぎ、拡散しつづける彼の存在の香りのコアとなる一本の琴線のように感じられた。 [はせがわ ゆうこ/美術史]
|
|
Column Back Number Index |
Feb. 18, 1997 (b) | Mar. 18, 1997 (a) |