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Column Index - Mar. 25, 1997
a)【イスラエル・ビエンナーレ ―《アート・フォーカス》を見て】 ……………………●長谷川祐子
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イスラエル・ビエンナーレ
ダナ&ボアツ・ゾンシャン
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イスラエル・ビエンナーレ ●長谷川祐子
規模の拡大と情勢を反映した複合化 昨年の11月、イスラエルにおいて開催された現代美術のビエンナーレ、《アート・フォーカス》を訪ねる機会を得た。これは1994年の第1回につづき、2回目のビエンナーレである。第1回目はイスラエル全国のギャラリー、美術館において、イスラエルの作家を中心に行なわれたが、今回は場所をエルサレム、テルアビブなど4都市にしぼりこんで、海外の作家を含めた大型の国際展を含んだ複合的な企画となった。 1948年に建国した、まだ50年にみたない若いこの国は、資本主義化された大都市、テルアビブのような街がある一方で、3000年にもわたる歴史をもつエルサレムをはじめとする歴史の刻印が深く刻まれた場所をかかえている。民族、宗教的な対立を内包しつつも、ヘブライ語を公用語とする国として世界のユダヤ人の精神的拠点となっているこの国は歴史と現在、生と死といった重厚な問題に関して、実に高いテンションを感じさせた。 エルサレム―精神性の追求、不可視のものの探求 展覧会の中心、エルサレムにおいては、巨大なフットボールスタジアムの地下やアーティストハウス、国立美術館などが展示にあてられていた。展覧会はほとんどイスラエル出身のキュレーターによって企画されたものであり、国際展であっても、テーマの設定等に独特の思想が感じられた。例えば「Hide and Seek」は、探究者としてすべてを目に見えるようにしていく一方で、自身を隠そうとする二つのベクトルの共存をテーマにした展覧会である。ここには映像の加工技術の発達への懐疑と、ストレートでありながら、いかに見る者に心理的に深いコミットメントを可能にするかという率直な問いをもった作家たちがあつめられている。またイスラエル作家の瞑想性、不可視のものを表象する独特の感性を示したグループ展「サムシングズ」も印象的だった。 政治性の回避という情勢への接近方法 聖地としての精神性を濃厚にもったエルサレムと対照的に、テルアビブはマイアミのような印象を与える町だった。いくつかのギャラリーやアートスペースの活動は活発で、若い作家たちはアメリカに留学して、現代アートやメディアの扱いを学び、この国固有の問題をその表現言語でとらえなおすという試みの最中に見えた。また共産主義的なユートピアを維持しているキブツのなかで活動するアーティストの作品のなかには、とくに政治的でないにしても、精神世界をリマッピングするようなスケール観のあるコンセプチュアルアートが見られた。キブツ中のアインハロッド美術館で開催されていた《デザートクリッシェ》と題された展覧会は、テロや軍隊、宗教的衝突など、典型的な問題を扱った作品を集めたものであり、今後ニューヨークに巡回するという。問題に対する緊張感をはらみながら、表現に対する政治的抑圧がさほど感じられなかったのは興味深い一面だった。つまりここでは芸術がこの状況のなかで何ができるかが、たえず問われ続けているのだ。ここでは男性2年、女性1年の兵役がある。ちょうど兵役をおえたばかりだというスキンヘッドのしなやかな筋肉質の肉体をもった女性作家と話した。“状況に穴をあけること”、いさぎよいその口調はアーティストは美の戦士だといったある作家の言葉を思い出させた。 [はせがわ ゆうこ/美術史]
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