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Column Index - Apr. 1, 1997
a)【《アートシーン90-96 水戸芸術館が目撃した現代美術》】 ……………………●名古屋 覚
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《アートシーン90-96》
森村泰昌
鯨津朝子
長沢英俊
間島領一
中村哲也
写真はいずれも
森村泰昌展 美に至る病
Profile: Yasumasa Morimura
Yasumasa Morimura - Reference Page
GO ON THE STAGE MORIMURA
Morimura Yasumasa 1985-1996
曽根裕展Scoop
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川俣 正 コールマイン九州
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Profile: Cai Guo Qiang
Iwanami Paperback(西村陽平)
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《アートシーン90-96 ●名古屋 覚
《アートシーン90-96》は、水戸芸術館現代美術センターで昨年秋からこの3月半ばまで、2期にわたって開催されたグループ展である。1990年代前半に同センターが企画展で紹介したアーティストたちの、同センターで未発表のものを含む作品をそれぞれ数点ずつ展示したもので、アーティストの名を借りた同センター自体の回顧展ともいえる企画であった。《見ることは信じること》と題された前期は20人(グループ)の絵画、写真およびビデオを用いた作品、《浮くかたち》との題の後期は12人による彫刻やインスタレーション中心の展示である。前期・後期ともに、大部分は日本の現代美術の第一線で活躍する若手アーティストの仕事で構成され、現代美術の紹介を専門とする画期的なスペースとして1990年にオープンした同センターのこれまでの実績を存分に示していたといえる。しかしながらその展示内容は、必ずしも過去数年間の美術の豊かな成果を証明するものではなかった。 前期展
前期の展覧会場。大きな展示室で、福田美蘭と森村泰昌という2人の有名作家が対峙する。福田の、一般的に美術の道具としては扱われないカラーマーカーで描いた大きな“絵画”、名も知れない画家の安売り用の風景画を模した“作品”など、美術の価値を問い直す仕事は、発表当時こそ新鮮だったが、2度以上見て面白いものではない。森村の展示は、彼が有名な女優に扮して映画の一場面に身を置いた写真のシリーズのうちの3点を、映画看板作家に絵に描かせたものを含んでいた。「女優」シリーズは国内外で評判になったが、それを絵に写したところで新たな意味が生じるとは思えない。ひとつの試みが成功すると、その“関連商品”を発表し続ける作家が少なくないが、これもそうした一例であろう。 後期展
一方、後期展のタイトル《浮くかたち》は、小清水漸の舟形の木の彫刻の題名である。ベテランの小清水の作品の充実感はいうまでもないが、実物より相当大きい、ユーモラスなカラスの彫刻を芸術館の建物の内外に設置して造形芸術の愉快さをあらためて思い出させた間島領一、焼き切った断面の複雑なテクスチャーが鉄の造形に生命体のようなみずみずしさをもたらす青木野枝の彫刻が特に印象深かった。また、ともすると表面だけの面白さでなんの感動も与えないオブジェのような作品に傾きがちな若い中村哲也が発表した、全身を螺鈿で覆われた巨大な馬の彫刻は、美術と工芸、芸術作品とモニュメントの境界を問う重層的な意味を帯びた意欲作で、評価できる。しかし、中ハシ克シゲの、「喜怒哀楽」を表すという自身の頭頂部の写真を壁にした茶室は奇抜なだけであり、展示スペースのそこここに置かれた藤浩志のイヌの彫刻は、面白くもなんともない。 “美術の回復”を期したい90年代後半 「水戸芸術館が目撃した」ものに限られるとはいえ、前期・後期を通してこのごろの日本の現代美術を代表する何人かのアーティストの仕事を概観することができた。必ずしも新作ではなかったから、かれらの美術の今後を占うのは難しい。しかし、振り返れば、絵画のような平面であれ、彫刻やインスタレーションであれ、「あくまでも造形によって、視覚の作用を通して(読解力や音声、時間の助けを借りずに)、アーティストによるひとつの世界像を呈示する」という美術の根本の価値を真正面から追求する姿勢が、特に若い作家にあまり見られないのは、さびしいことである。これからの時代に“美術の回復”を期したい。 [ なごや さとる/美術ジャーナリスト]
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