Apr. 8, 1997 (b) May 13, 1997 (a)

Column Index - Apr. 15, 1997


a)【《TOKYO TODAY》
 これは東京かもしれない。……で?】
 ……………………●飯沢耕太郎


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《TOKYO TODAY
 ―ヨーロッパの写真家が
 見た東京》

会場:
東京都写真美術館
会期:
1997年3月8日
 〜4月12日
問い合わせ:
東京都写真美術館
Tel.03-3272-8600
Lars Tunbjork

スウェーデンの新聞社の写真家からフリーになったラース・トゥンビヨルク

Paolo Gioli

さまざまな手法を駆使した実験的作品で知られるパオロ・ジオーリ

Manfred Willman

『カメラ・オーストリア』の創刊者として知られるマンフレッド・ヴィルマン

写真:東京都写真美術館






東京都写真美術館
http://www.tokyo-photo-
museum.or.jp/

TOKYO TODAY
http://www.tokyo-photo-
museum.or.jp/pho20.htm

Spanish Photography Database, Joan Fontcuberta
http://www.artplus.es/
fotobd/txt1/fonjoa.htm

"THE REAL, THE FICTIONS, THE VIRTUAL" - introdoction from Joan Fontcuberta
http://www.babel.fr/
arles-festival/us/
expositions.htm#intro

Palazzo delle Esposizioni/1996 - Paolo Gioli
http://www.comune.roma.it/
COMUNE/pecrdav/gioli.html

Paolo Gioli
http://www.babel.fr/
arles-festival/fr/gioli.htm

Lars Tunbjork - Reference Page
http://www.artincontext.com/
listings/pages/artist/
v/3gsajk2v/menu.htm

《TOKYO TODAY》
これは東京かもしれない。……で?

●飯沢耕太郎

展覧会開催の経緯

《TOKYO TODAY》展はよくわからない展覧会である。オープニングの日に展示を観て、カタログをもらってきて、もう一度内容を確認して、普通なら展覧会の意図や輪郭がつかめそうなものなのだが、この企画に関してはどうも釈然としない部分が残る。
  カタログに掲載された「『TOKYO TODAY』の開催に至るまで」(古木修治、EUジャパンフェスト日本委員会事務局長)という文章によると、展覧会開催が決まったのは95年10月にキプロスのニコシアでおこなわれた「欧州文化首都ネットワーク会議」の席上だったという。欧州文化首都というのは、ヨーロッパ各国の文化の相互理解を進めるため85年から制定されているもので、毎年EU加盟国の首都が持ち回りで選ばれる。この文化首都と提携して「日本においては政府、地方自治体、財界などの支援を得て」EUジャパンフェスト実行委員会が設立されている。今回の《TOKYO TODAY》展は、このヨーロッパと日本の文化交流を目的とする「フェスト」の事業の一環として開催された。実際に芸術監督として企画全体を統括したのは前フランス国立写真センター館長のロベール・デルピールであり、「1985年から2000年の16の欧州文化首都、1992年から1997年の6つの欧州文化月間都市(EU周辺国から毎年選ばれる)、及び東京(2名)の合計24名の写真家」が出品作家として選ばれている。
  「東京に住む人間とそのくらし」をテーマとする企画の趣旨は、なぜ東京なのかという根本的な疑問はあるにせよ、文化交流事業として別に悪くはない。しかし結果として、展示を観た限りにおいて、何のために巨額の予算を使って(写真家たちの3週間の東京滞在の費用だけでもたいへんなものである)こんな展覧会を実行したのかはよくわからないままだった。

「東京」の断片をどう扱うか

たしかに参加した24人はそれぞれ力のある写真家たちであり、個々の作品もそれなりにレベルが高い。しかし、たとえばスペインのジョアン・フォンクベルタ、オーストリアのマンフレッド・ヴィルマン、イタリアのパオロ・ジオーリのようなマニピュレーション(操作・加工)の手法を駆使して独自の表現をおこなう写真家の作品を、他のドキュメンタリー色の強い写真家たちの作品と並べれば、不協和音を生じさせるだけだろう。デルピールが自ら認めているように「わたしが選んだ24人の写真家たちの誰をとっても、事実を客観的に伝えようとする気負いなど更々ない」ならば、展覧会の形式としては個展の集積以外考えられないはずだ。ところが実際の展示は、スウェーデンのラース・トゥンビヨルクのような特定の作家の作品があちこちにちりばめられており、きわめてわかりにくいものになっていた。この混乱の印象こそ東京なのだと強弁されればそれまでだが、内容も大きさもばらばらな写真を並べただけでは、展覧会のキュレーションを放棄したと言われても仕方がないだろう。
  たとえていえば、今回の展覧会は東京の美術館の学芸員や評論家が、パリやロンドンやバルセロナでその都市をテーマにした展示をおこなうようなものである。とすれば、誰のどんな作品を選び、どんなふうに展示するかは、開催国の写真家たちの動向や社会・文化の状況をよく知っている適当な人たちと、慎重にディスカッションを重ねて決定されるべきだろう。《TOKYO TODAY》の場合、日本人作家の一人として選ばれた瀬戸正人の作品のひどい扱い(小スペースに3段掛け)を見ても、そのあたりのコミュニケーションがうまくいったとはとても思えない。たしかにそこに写っているのは世紀末の東京の一部には違いないのだが、断片を断片のまま播き散らしただけで、「文化、芸術を通して生きることを考える」(前掲古木の文章より)ことなどできるわけがないのだ。
  オープニング・レセプションには出品作家が招待され、某大物政治家も姿を見せるなど華やかなものだった。しかしその「バブル」の雰囲気に逆に不透明なものを感じたのは僕だけではないだろう。少なくともこれだけの費用をかけるなら、日本の写真家たちが東京を長期間にわたって記録するプロジェクトを組んだ方が、よほど実りのあるものになるはずだ。

[いいざわ こうたろう/写真評論家]

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