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ArtDiary ||| 村田 真のアート日記
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6月18日(水)

今日は移動日。朝7時に菅原君とホテルを出て、ヴァポレットでローマ広場へ。名古屋と落ち合ってタクシーでマルコポーロ空港へ。ところでイタリアの空港は、このマルコポーロといいローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港といい(この2つしか知らないが)、エライ人の名前が付けられている。しかもエライ人っつったって、JFKやシャルル・ドゴールみたいな20世紀の政治家ではなくて、旅や飛行機に関連する、つまり国際空港の名にふさわしい歴史的ビッグネームだ。翻って、日本で空港の名に値するビッグネームがいるだろうか。旅する芸術家では松尾芭蕉か、あるいは日本のレオナルドとも称される葛飾北斎か……。松尾芭蕉空港……なんと風流な。科学者や政治家に至っては壊滅的だ。竹下登空港……島根県の紙ヒコーキ場か? いっそ、新世紀エヴァンゲリオン空港なんてのはどーだろ。事故が起きそうだ。
 正午、フランクフルト着。ここで南條さんや児島さん、ワコールアートセンターの3人、それに東京から着いた朝日新聞の小林淑郎氏、演劇・美術ジャーナリストの新川貴詩くん、そしてわが愛する妻なんかと合流し、バスでカッセルへ。カッセルでは3つのホテルに分かれ、ぼくらは駅前のホテルライス。ん? ここは前にも泊まったことがあるぞ。たしか10年前のドクメンタ8の時だ。数えてみると、ドクメンタを見るのはこれで4回目。われながら馬齢を重ねたもんだとあきれたボーイズ(知ってっか?)。
 夕食まで小1時間ほどあったので、ドクメンタ会場を偵察する。今回は出品作家名が伏せられ、明日のオープニングにならなければ公表されないので、少しでも情報を仕入れておこうってコンタンだ。駅前の通りからメイン会場のフリデリチアヌム美術館に出て、ドクメンタハーレ、オランジュリーと回るが、当然入り口は閉ざされ、窓からもなにも見えない。過去3回はフリデリチアヌムの外壁や広場にも作品があふれていたのに、今回それらしきものはなにもなし。ふーむ、徹底した秘密主義だ。インフォメーションでガイドをもらって(もちろん出品作家名は出てない)退散。
 夕食は、ワコールの3人が泊まってるホテルグーデのレストランで。このホテルはもともとレストランから出発し、あとでホテルを付け足したものらしい。ヴェネツィアではワインと魚だったけど、ドイツはやっぱしビールと肉がうまい。

6月19日(木)

10時、フリデリチアヌム美術館横のオフィスでプレスパスをもらって、さっそく会場へ。いきなりゲゲゲ、ゲアハルト・リヒターの写真が数千枚も! 自分の作品のネタや前妻の写真まである。まるで作家の手のうちを明かすような展示だ。リヒター命の和光清氏(ワコウ・ワークス・オブ・アート主宰者)が見たら死ぬかもしれない。だけど逆に、リヒターに興味のない人、ましてや知らない人が見たらなんの変哲もない単なるスナップの寄せ集めでしかない。ドイツではもっとも評価の高い画家とはいえ、絵画ではなくあえて写真を持ってきたというところに、なにか今回のドクメンタの秘密を解くカギがありそうだ。なんてリクツはあとから考えたもので、その時はただスゲースゲーってはしゃいでた。
 急ぎ足で館の半分くらいの展示を見て、「なんか映像とコンセプチュアルな作品が多いな」と思いつつ、12時から開かれる記者会見場へ向かう。会見場のホールには世界中から約1800人(NHK調べ)の報道陣や関係者がつめかけ、熱気に包まれていた。おっと、ジャーナリストの常套句を使ってしまった。壇上のカトリーヌ・ダヴィッドは、時折大きなタレ目を客席に投げつけるほかは、終始アンニュイな態度。報道陣の質問にもノラリクラリと受け答え、けっこうヒンシュクを買っていた。そこに「アジアの作家がほとんど選ばれてないようですが………」と聞き覚えのある声で質問するヤツがいた。「ありゃ名古屋でねーか」と思ったら名古屋だぎゃ。「ボーヤ、それはカタログに書いたーるわヨ」ってな調子で軽くあしらわれたが、会場からはブーイングが。それから2〜3日後、その時の模様がテレビで放映されたらしく、名古屋は一躍日本を代表する美術ジャーナリストとしてドイツで名を知られるようになったとさ。
 会見後、チンチン電車でカッセル駅まで行き、作品を見る。駅舎の内外にも作品を展示するってのが今回の新しい試みのようだ。それはいいんだけど、やっぱり写真、ビデオといった映像やインターネット、それに物故作家を含めた懐古的な旧作が多いのが気になる。駅前でハンス・ハーケの作品を探してたら、南條さんが「これだ」といって1台のディスプレイされた新車を指さす。半信半疑のままいちおう写真に撮ったが、あとで単なる新車の展示だったことが判明。おいおい………。
 その後、ドクメンタハーレ、オランジュリーと見て、本日の結論。今回は、これまでの総花的お祭り騒ぎ的ドクメンタに対するクリティカル・イシューとして仕組まれたのだと。少なくとも過去3回のドクメンタは、キュレーターは個性的であっても選ばれる作家はいつも似たり寄ったり。ところが今回はその常連作家をほとんど排し、映像とコンセプチュアル・アートの作家たちで埋めつくした。つまり展覧会全体は、良くも悪くもカトリーヌ・ダヴィッドの抑制のきいた趣味で統一されていたといえる。たとえば前回のキュレーター、ヤン・フートは、アーティスト以上にアーティスティックに振る舞ってはいたけれど、展覧会自体は別にヤン・フートでなくてもよかったようなもの。しかし今回は、カトリーヌ・ダヴィッドの展覧会以外のなにものでもありえない。そーゆー意味ではこれまで最高のドクメンタだと思う。
 夕刻、支庁舎でオープニング・パーティー。おー、ここにも日本人がぞろぞろと。1人も日本人作家が入ってないにもかかわらず、奇妙な光景だ(とみんなも思ってるに違いない)。名古屋、菅原君、小林さん、それにわが愛する妻なんかと7〜8人で中華料理屋へ。そしたらあとから小山登美夫ギャラリーの小山君や作家の奈良美智君らも同じ店に入ってきた。やっぱ日本人。今日の記者会見のごほうびとして、名古屋にザーサイメシを食わせる。

6月20日(金)

午前中は小雨模様。11時から駅でパフォーマンスがあるというので見に行く。パファーマンスはどーってことなかったが、その横にあったコンテナの作品がおもしろかった。コンテナの中に入ると茶色くサビた鉄板が隆起しており、そこを登って奥に進むと、右上に首だけ入れられるボックスがある。首を突っ込むと、そこは便器。つまり便器の穴から首を突き出した格好になり、コンテナ全体がクソダメだったことが了解されるってわけ。笑えるが、それだけではすまない作品。作者はイスラエルのシガリット・ランダウ。あとで調べたら、ヴェネツィア・ビエンナーレのイスラエル代表作家の1人であり、同様の作品をイスラエル館に展示しようとしてジェルマーノ・チェラントに拒否された経緯を、チラシで告発していた人。
 もう1回フリデリチアヌムを見て、裏のオットネウムへ。ここには以前日本に住んでたエドガー・ホーネットシュレーガーも出品している。日本人の椅子に対する意識をテーマにしたビデオと写真だ。エドガーによれば、今回のドクメンタには、河原温、柳幸典、出光真子らもノミネートされていたらしい。結果的には出品されなかったものの、最初から日本人が排除されていたわけではないとのこと。別に日本人が入っていようがいまいがかまわないんだけどね。それより、エドガーは今回のドクメンタは最高だという。ぼくも同感。だが、展覧会の完成度は高いものの、出品作品にはもの足りなさが残るのも事実。これまでのドクメンタは、常連作家による火花散る戦いの場であった(それは同時に商業主義の戦いの場でもあった)が、それがまた作家同士の切磋琢磨を促す要因にもなっていた。今回の出品作家は、いってみれば博物館の標本である。ま、入場者数が激減することだけは間違いない。
 支庁舎の下のレストランでディナーしようとしたら、予約で満杯。しかたなく宿泊先とは別のホテルのレストランでメシ。

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