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architecture
1990年代の建築家−2
妹島和世西沢立衛『マルチメディア工房』
茫漠とした風景の中の建築
塚本由晴

門

30mmのアクリル板が、地中にかくされたレール上を左右に動く門。

「顔」のない建築

岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーでは、アーティストが滞在しながら作品を制作し、その過程を含めて学生や一般の人に公開するという、アーティスト・イン・レジデンスと呼ばれる試みが行なわれている。しかし廃校になった中学校を転用した鉄筋コンクリート造の校舎からは、そんな新しい試みが行なわれていると想像することは難しい。周辺も、農地に虫喰い状に建物が散在するような、まさに風景の崩壊過程のような郊外である。そんな環境に対してこのマルチメディア工房は依存するでもなく、無視するでもない絶妙なバランスで出現している。
 同じ作者によってデザインされたアクリルの校門を越えると、芝生の広場の向こうに、中央が窪んで地面すれすれに浮かぶ薄い屋根が見える。窪んだ屋根の先にはコンクリートのステップが置かれているものの、入口らしいものは見当たらない。実はこの屋根が建物の導入部なのだ。屋根の上には内部へ降りる階段が2本設けられているが、それらは屋根に切り込まれているので下からはほとんど見えず、手摺のエキスパンドメタルは弧を描いて遊具のようだ。校舎側の入口も、地面に切り込むスロープとして地中に消失している。大きく跳ね出した屋根の下から芝生で覆われた地面までは、いわゆる基壇無しにサッシレスの強化ガラスがはめられている。このガラスと地面の関係は衝撃的で、そこには雨仕舞や蹴られることを心配した古い秩序感はない。ガラス越しには、半地下の内部回廊に面したスタジオやアトリエの扉の開閉が映されている。つまりこの建物では建物の「顔」を成立させるファサードとそこに穿たれた入口や窓などの記号的な要素は排除されている。この現われ方は全く独特だ。



エントランス階段エントランス階段。輪郭を失なった白い空間に人影。露出オーバーの映像。
アプローチ

地面すれすれに、屋根がポプラ並木を背景に浮かぶアプローチの景観。

俯瞰

「顔」は屋根にあったのか? 階段の切り込み、映写用スクリーン手摺、仕上げが作るランドスケープ。

搬入中庭スタジオかと思って扉を開けると、そこは外部。搬入用の中庭だが、外部スタジオとしても定義されている搬入中庭(光庭)。
茫漠に踏みとどまること

私はこの建物が、顔を持ったファサードを持たないことや、かといって完全に地面に埋められていないことは、日本のどこにでもある茫漠とした風景の中に建つという難問に対する設計者の解答と捉えている。それは茫漠とした風景を、ファサードによって強引に都市的な環境へと翻訳する地方の公共建築にありがちなあり方ではないし、土盛で偽装して自然なランドスケープへと翻訳する消極的なあり方でもない。ここでなされているのは、理想化された状態へと環境を解釈することではなく、即物的に見いだせる周辺環境との関係の中に建物を組み込むことだ。例えば、広場の端にあるポプラ並木は、この建物がそれと平行に置かれることによって、水平で低いこの建物の対比的な背景として再定義されているし、既存校舎との距離や建物の沈み具合は、入口スロープの長さ、搬入口スロープの長さ、上からの視線などの相関関係によってぴたりと決定されているようだ。このようにこの建物は周囲の物理的な環境を定義し返すことで、茫漠そのものに踏みとどまろうとしているのではないか? それは、流動的な現代の環境においても建築が実体であらざるを得ないことを考えれば、この場所に限らないグローバルな問題意識といえる。



回廊回廊。半沈式なので土に守られているようでも、上から見下ろされているようでもある、中間的な場所。
サロン

最も天井が低く、かつ湾曲しているサロン。ビロードで仕上げられた壁がちょっとスナック風でいかがわしいかっこよさがある。

アトリエ床・壁ともOSBで仕上げ、タフな使い方を誘っているようなアトリエ。
空間の分節と機能の分節

1.8m地下に沈められた建物内部は、中庭型の修道院を裏返したように、同心に重ねられた2つの正方形の外周部分が回廊となっている。この箱がガラスの服をまとったような入口の構成は、内部空間を構成するロジックと、外部環境の特定の要因が短絡することによって、あたり前の内部と外部の関係が形成されてしまうことを回避している。屋根の上から階段を降り、扉を開けるとすぐに回廊で、いわゆるエントランスホールのようなものはない。この回廊は白い壁とガラスに挟まれ概ね均質であるのに対し、内側にある正方形はストライプ状に分節され、外部で認められた屋根の緩やかな湾曲を異なる天井の形状へと断片化し、プロポーション、光、温度ともに異なる環境を作り出している。スタジオ、アトリエ、サロン、光庭、階段などの機能は、これらの物的な形式性による空間の差異に合わせて事後的に決められたかのようだ。またサロンのビロード貼はバーを、アトリエのOSBは工場や倉庫を、屋根のゴムチップは運動場をそれぞれ連想させるように、素材の持つ連想作用がそれぞれの場所の差異を強めるように用いられている。つまり、素材、天井高、壁間距離等を媒介変数とする操作によって、各機能単位までもただのストライプ状の空間形式へとインテグレート(吸収統合)されているのだ。構成されるべき機能単位を初めに設定するこれまでの計画手法に対して、物的な空間の形式による差異の生成が、まさに機能の分節化にシンクロナイズする瞬間を捉えたような建築空間が成立している。それはレトリックかもしれないが、機能が空間の根拠であるという因果性、決定性を越えて、それと同時に機能の根拠が空間でありうるという双方向性、流動性を十分に表現するような空間である。



屋上ゴムチップと強化ガラスの仕上げのパターンが内部空間の見取図になっている屋上。
建築的パフォーマンスの強度

このようにこの建物は、ファサード、入口、エントランスホール、機能単位といった、差異が求められる部分を、全体の一貫した構造の中で相対的に再定義し、その記号性を消失させてしまうという、ある意味で最も現代的な方法によってつくられている。しかもそのことが『マルチメディア工房』という前例のない施設の計画において実現したことに、私は流動的な現代社会における 建築のあり方の核心を突くような、最高の建築的パフォーマンスを見る思いがした。このパフォーマンスの強度こそが、妹島+西沢コンビが多くの共感と賛同をかち得ている所以であることは確かだ。



ガラス土とガラスの唐突な出会い。ガラスの服を着た白い箱。
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