キュレーターズノート
山田健二「別府地熱学消化器美術館」/ベップ・アート・マンス 2011
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2012年01月15日号
学芸員レポート
別府へ行った残りの2回は、都内でもなかなかお目にかかれないような豪華な登壇者の方々と文字通り膝をつきあわせるような距離で、密度ある討議ができた「混浴温泉世界シンポジウム2011」と、元ストリップ劇場という舞台の設えをあますことなく使い切った禁断の「客いじり」で評判の、北村成美率いる市民ダンサーズ、別府レッグウォーマーずの「A級デラックスナイト」である。これ以外にも、見逃してしまったが評判の高かった「ASA-CHANG&康本雅子×武多都神楽保存会」や、そのほか、いわゆるアートやパフォーミングアーツに限らず、ウェディングドレスが試着できるカフェから、元関脇・琴別府関と食べるちゃんこ鍋と歴史散策まで、幅広い文化団体の広報活動のプラットホームとなっていこうとしているベップ・アート・マンス★2の姿勢に、地方都市のなかでアートを根付かせようという「本気」を感じ、強い刺激を受けた。
振り返って年末の熊本では、やはりチェルフィッチュの『三月の5日間』100回公演記念が、アート、演劇シーンに大きなインパクトを残した。公演の話を聞いた際は、これまで公的施設はもちろん、民間でも現代的なパフォーミングアーツを見ることの難しかった熊本において、すでに内外で高い評価を得ているチェルフィッチュとはいえ集客などは大丈夫だろうか、という不安がよぎったが、その余計な心配をふきとばすように、連日満員の盛況であった。
公演は、この1年、急速に熊本のハブ的なスポットとなりつつある「明治創建の早川倉庫」の、夜の外気が入り込み、行き交う車の音がかすかに響く空間で行なわれた。音響も照明もない、俳優の生身の声だけで構成された、演劇の原点のようなステージである。しかし、なによりこの公演の重要性は、たんにひとつの劇団の作品が地方都市で上演されるという意味を超えた、岡田利規、そしてチェルフィッチュの態度表明としての100回記念公演だったことにある。設備の整ったステージのない、観客たちもまだ生まれてきていない、そんな場所であっても演劇ができること、そしてそこで「演劇する」ことで、なにかが変わっていくこと。終わらない「3月」以降を生きる私たちに、そういう可能性を見せてくれたこと。それは小さいけれども確かな、芸術による革命であり、いま一度その力を信じようと思わせるものだった。公演終了後の記念パーティーで、サンガツの贅沢な生演奏を聴きながら、集まった人たちと身を寄せ合い、まだ私たちの見たことのない未来の話を夜がふけるまで続けたことは、これからも折りにふれ思い出すことになるだろう。