2020年07月01日号
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キュレーターズノート

奈良・町家の芸術祭「はならぁと」

中井康之(国立国際美術館)

2015年01月15日号

 去年(2014年)秋以降、美術論壇(というものがいまだに存在していると仮定して……)に話題を提供していたのは文芸誌『すばる』に藤田直哉によって寄稿された「前衛のゾンビたち──地域アートの諸問題」という論考だろう。

 ゾンビというタイトルがセンセーショナルに響いてくるが、ようするに1990年以降、越後妻有アートトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭の隆盛に代表される日本の地方を舞台とした地域密着型のアート・プロジェクトが、話題を集めて観光客を呼び込むことに成功することのみによって評価され、それらのイベントの多くが芸術性を問われないことに対して、旧来的な価値観による「芸術」が死に絶え、新しい定義をともなって「芸術」が復活したかのように見えることを揶揄的に表わすために、思わず「ゾンビ」という単語が出てきたのであろう。
 もちろん、そのような状況に対してたんに批判的な側の立場のみで論述を展開しているわけではない。上記した地域密着型アート・プロジェクトに特徴的な、鑑賞者側からの働きかけがこれまでの美術のあり方と比べてより強くなっている状況を論理的に補完する概念として、ニコラ・ブリオーが1998年に刊行した『関係性の美学』で提唱した「関係性の美学」を持ち出している。ただし、藤田は、ブリオーが提唱したその論理(これまでの芸術が「メディウム」中心主義であったことに対して、1990年頃から芸術のあり方が非物質的な「コミュニケーション」中心主義に交替し始めたことを解析した)が、そのまま適用できるわけではないことを続けて述べている。携帯電話やスマートフォンの保有率がそれぞれ95%、50%近く(平成26年度総務省のウェブサイトより)となり、同端末に無償で提供されるさまざまなSNSによって他者と繋がっている状況が常態化しているなか、「関係性の美学」は再考されねばならないと留保しながらも、藤田は、藤井光が「関係性の美学」は「マイクロ・ユートピア」を志向しているのだという解釈を援用することによって、地域共同体のなかで循環する新しい美術のあり方に対して問題を提起するのである。藤田は、地域アートの生みの親であり成功者でもある北川フラムが、「反逆」の精神を持って生まれた前衛アートが地域活性化に機能すれば良いという態度を取ることに対して、それを問題であると捉えるのである。

「はならぁと」──「こあ」エリアと「ぷらす」エリアによる構成

 冒頭から長々と地域アートについての論考を辿ってきたのは、2013年、「はならぁと」という奈良県の地域アート・プロジェクトに請われるままに関係を持ち、2014年は一人の鑑賞者として客観視する機会を持ったからである。
 まず最初に自分の立場を明らかにする必要があるかもしれない。正直な話、歴史的な背景やアカデミックともいえる制度的なものによって検証されたうえで収集され、それを保存・保護するためのシステムなども整えられた美術館に展示される美術作品と、地域イベントの一環としてのアート・プロジェクトに展示される美術作品を、安易に同列で考えるべきではないというのが公式な見解になる。もちろん、同時代の作家の作品を展示する機能が優先されている私が勤務する美術館ですら、その違いを担保する制度的なものは頑強とはいえないかもしれない。しかしながら、美術館において学芸員が自主企画展を運営する際に普段は不自由と感じているさまざまな制度こそが、そのような規制がないところで生まれたアート・プロジェクトとの違いを生み出すことに気付くのである。
 そのような違いがあることに気付いた地域アート・プロジェクトの関係者は、美術プロパーとしての資格を有するであろう者を取り込むことによって、その差違をなくすことをもくろむのであろう。具体的な例に則って説明すれば、「はならぁと」という奈良県の地域アート・プロジェクトでは、奈良県の十数の地域を指定して、それぞれの地域にプロデューサーを置いて全体としている。そのうち年毎に3〜4の中心となる地域を指定し、その地域をプロデュースする者を公募することによって、地域密着型の地域といくぶんかは美術的質を保った地域が生まれる。この方法は地域活性化を図ると同時に美術プロパーからの厳しい視線にも絶えうる箇所を生み出すことを狙ったものと思われる。私は2013年、その中心となる地域をプロデュースする者を選出するアートディレクターという役を担わされたわけである。2013年は、ほぼ全体の枠組みが決まった時期に呼び出されたため、当方がこのアート・プロジェクトの運営に係わった部分は少なかったが、おそらく昨年はより核心的な箇所にまで意見を述べていかなければならないと覚悟していたのだが、幸か不幸か、前回触れたように不慮の病の為、全面的に仕事を中断せざるをえなくなり、結果としては、昨年の「はならぁと」は、一人の鑑賞者として向き合うことになったのである。
 文化的な視点から見た場合、奈良という地域は関西圏のなかにおいては、最古層を担っていることは誰の眼にも明らかであろう。奈良の中心部である近鉄奈良駅前には奈良公園があり、その中に奈良国立博物館がある。またその周辺に県庁や奈良県立美術館があり、その地域の印象としては公園都市といったところだろうか。近年の仏像ブームを待つまでもなく、奈良博は正倉院展を始めとして戦後直ぐから多くの鑑賞者を迎え、周辺の小さな商店街も、多くの地方で見受けられるようなシャッター商店街ということはない。とはいえ活気に溢れているというわけではなく、新しい息吹をいわゆる現代アートに求めるという図式は、この日本文化発祥の地においても多くの者が思い描く構図なのであろう。
 さきにも触れたように奈良のこのアート・プロジェクト「はならぁと」は、作品の質を維持した核となるいくつかの地域(「こあ」と称されている)と、地域に密着した多くの地域(「ぷらす」と称されている)によって構成されている。そのすべてをくまなく辿ることは事実上難しく、当方、いまだ退院してまもない時期であったこともあり水先案内人とともに、その「こあ」を中心に一日会場を巡ったに過ぎないことを記しておかなければならない。とはいえ、奈良という町はたんに歴史的な古層が全体を覆っているわけでは当然なく、それぞれの地域で、その地域特有の事由によって、ある時代の層が凍結されて残っているのである。観光客として、世界最古の木造建築といわれる法隆寺の伽藍は、魅力的であることは間違いないのだが、今回、「こあ」の会場として選ばれた地域に特有のさまざまな時代の建築物も、また違った意味で興味深く、魅力的であった。

展評──「こあ」エリアを中心に

 最初に訪れたのは奈良きたまちという地域である。奈良の中心部に近い住宅地で、「こあ」の会場となっているのは大正期に建てられた健康飲料を製造していた工場跡であった。その健康飲料を製造するためのタンクや、研究室として使われていた部屋が残り、木造の建物もほぼ当時の状態で維持されていた。平城京跡も近い場所にこのような工場があったというのは、奈良も京都に劣らず進取の気性に富んだ人々が多く住む町だったのかもしれないと感じさせた。このスペースをキュレーションしたのは衣川泰典というコラージュ的な要素を取り込んだ画家で、彼の他に岩名泰岳という象徴的なイメージを用いた抽象画を描く作家と、松井沙都子という光を物質的に捉えた立体造形を作る作家とともに、古都において大正期にイノベーションを興そうとしていた場所の持つアウラを活かすことに成功していた。
 次に訪れたのは、2013年も「こあ」の会場となっていた郡山城下町地域の旧川本邸という遊郭として用いられていた建物である。2013年は、その場所が担わされていた役割に少し捕らわれすぎていたように感じたが、昨年はその軛から少し自由になり美学的な見地によって構成されているように見受けた。
 最後に訪れたのはもうひとつの「こあ」会場、生駒宝山寺参道地域の旧たき万旅館であった。生駒山は古くは修験道場として開山したが、江戸期に宝山寺が商売の神として大阪商人の信仰を集め、多くの商人が参拝する門前町として栄えたようである。展示会場となった旧たき万旅館は往時の繁栄をしのばせる大きな旅館で、その施設の玄関や浴室、客間等をそれぞれ個展会場として構成したのは、大阪で複眼ギャラリーという画廊を運営する村田典子であった。自らのギャラリーで抱える作家を用いることによって作品の質を担保しながら、村田が普段から気に掛けながらも、さまざまな制約によって展示する機会を逸していた作家を紹介する場として活用したことと思われる。
 このほかにも「ぷらす」と称される地域密着を意図した場所においても、作家個人の意志で東京から遠征して作品を発表とする者もいたり、微視的な視点で見ていくと、このような広範な地域におけるイベントはさまざまな異化効果を生み出していくという当然の事実も確認できた。


「在り処をみる」(工場跡/はならぁと こあ)展示風景(岩名泰岳、衣川泰典、松井沙都子)


「在り処をみる」(工場跡/はならぁと こあ)展示風景(岩名泰岳、衣川泰典)


「メモリフラグメント──追憶の追走」(旧川本邸/はならぁと こあ)展示風景(Re:planter)


「メモリフラグメント──追憶の追走」(旧川本邸/はならぁと こあ)展示風景(西尾美也)


「Creator Creature Gathering Festival」(旧たき万旅館/はならぁと こあ)展示風景(佐伯慎亮)


「Creator Creature Gathering Festival」(旧たき万旅館/はならぁと こあ)展示風景(高木薫)


「Creator Creature Gathering Festival」(旧たき万旅館/はならぁと こあ)展示風景(トーチカ)


「世界は勝手に進んでいる」(ギャラリー・カフェ 蝸牛/はならぁと ぷらす)展示風景(上瀬留衣)


「世界は勝手に進んでいる」(ギャラリー・カフェ 蝸牛/はならぁと ぷらす)展示風景(三田村龍神)
以上すべて、© HANARART 2014

 確かに、歴史的な制度から自由な、いわゆる現代アートという装置は、人々の歴史が刻まれた地域を覚醒させる効果があることは誰の眼にも明らかであろう。理想的なことを言えば、見過ごされてきた秘めた力を持つ地域の掘り起こしを実現すると同時に、たんにそのような媒体であることに留まることなく、作品価値を高める舞台として、さまざまな表情を備えた地域が機能するように、プロデュースする者が対応できるようになることが望ましいだろう。
 最後に、北川フラムの立場を擁護するようなボードレールの言葉を引いておこう。

 われわれは群衆と芸術家たちの目を惹きつけるものすべてについて語るだろう。──人の気に入るものはすべて気に入るだけの理由があるのだし、道に迷った者たちの群がり集っているのを軽蔑したところで、彼らをその在るべき場につれもどす手だてとなりはしない。(「一八四五年のサロン」(シャルル・ボードレール『ボードレール批評──(美術批評I)』阿部良雄訳、ちくま学芸文庫、1999))

奈良・町家の芸術祭「はならぁと」

会期:2014年11月7日(金)〜11月24日(月)
*各地域によって異なる
会場:奈良県各地域

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