キュレーターズノート
美術館の存在意義──追悼 桜井武 熊本市現代美術館館長
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2019年07月15日号
去る6月8日に熊本市現代美術館の桜井武館長が、胃がんのために75歳で亡くなった。4月13日にオープンした「大竹伸朗 ビル景 1978-2019」展の開会式ではスピーチを行ない、同展について執筆しようと資料を集めていた矢先のことだった。治療を続けながら勤務を続け、最後まで「館長」としての職務を全うされたその姿勢に心からの敬意を表して、通常のレポートとは異なるかたちで恐縮だが、桜井館長の業績について、ここで振り返ってみたい。
「住んでみないと本当にその街のことはわからない」
桜井館長が熊本市現代美術館に着任したのは2008年、いまから11年前のことである。2006年に熊本市が指定管理者制度を導入した後のことで、美術館の運営をこれからどうしていくのか、不安に満ちた時期であった。
まず、一番に桜井館長がこだわられたのは、「熊本の街のなかで市民として暮らす」ということであった。「住んでみないと本当にその街のことはわからない」とよくおっしゃっていた。熊本は、まったく縁もゆかりもない土地であったにもかかわらず、この11年間、熊本城が見渡せる官舎に単身赴任し、地元の食材で自炊を楽しみながら、週5日、愛用の「ママチャリ」で美術館に通われた。かつては、ジョギングが趣味で、「今日も熊本城のまわりを走っておられたよ」という街の人の声をよく聞いた。
そして、熊本の人に非常に慕われた館長であった。ブリティッシュ・カウンシルに勤務されていた時代からさまざまなアートに関わってこられたこともあり、専門のイギリス美術だけでなく、音楽、演劇、文学など幅広く興味を持ち、たいへん博識であった。若手や、ローカルな作家の展覧会でも極力足を運び、例えば、生人形の原点といわれる山都町の八朔祭という地域の祭りでの「造り物」審査には毎年欠かさずでかけていたし、市の邦楽コンクール、街なかの音楽イベントであるストリート・アート・プレックスではいつも会場をはしご、バレエの公演、劇場運営の審議会、阿蘇で行なわれるアーティスト・イン・レジデンスの審査から、果ては地元の文学賞の審査に至るまで、枚挙にいとまがない。そして、何より館長が素晴らしいのは、まず自分自身がひとりの観客として楽しみに、熊本のアートの現場に足を運んでいたことだ。
正直なことを言えば、一流どころの美術展やコンサートが日々どこかで行なわれている東京と比べれば、レベルとしては未熟なものも多数あったと思われる。しかし、的確な批評はしても批判はせず、良いところを必ず見つけ、いつも「ここが素晴らしい」と前向きに励まされていて、「館長が来てくれて、こう言ってくれた」と皆さんとても喜ばれた。各所でよく聞かれる「桜井さんいい人説」は、こういう徹底した姿勢にあったと思われる。クラシックから演歌、清元節まで、幅広く音楽好きな館長であったが、ワインから日本酒、焼酎まで、お酒の席も大好きで、いろいろなパーティーに招かれ、明るくさっぱりとした人柄もあって、熊本の人たちに本当に好かれ、その交流を心から楽しんでいた。
その館でしか見ることのできない、市民のための展覧会を
美術館においても、その姿勢は徹底していた。企画展に関して、館長自ら必ず執筆をする。アーティスト・トークや講演会は必ず聞く。館外でのパフォーマンスやイベントなども、必ず足を運んでいたし、作家や展覧会の交渉なども最初に必ず訪問や面会をして、トップ交渉をしてくださった。
展覧会を行なっていく上で、特に強く強調されたのは企画の「鮮烈さ」と「数へのこだわり」であった。思い返してみれば、一番年長であるはずの館長の企画が、どの学芸員の企画よりも華があった。主な展覧会に「花・風景 モネと現代日本のアーティストたち:大巻伸嗣、蜷川実花、名知聡子」(2009)、「祝祭と祈りのテキスタイル 江戸の幟旗から現代のアートまで」(2010)、「水・火・大地 創造の源を求めて」(2011)、「ファッション─時代を着る」(2011)などがあるが、館長の企画には、専門であるイギリスの美術はもちろん、女性の現代アーティストの仕事を積極的に評価し紹介する機会をつくったほか、陶芸や刺しゅう、織物、染物、ファッションといった手仕事の分野も非常に関心が高かった。以前、館長にこれから展覧会をしたいアーティストの名前を聞くと、「ジョン・ガリアーノ、あの才能が改めて正当に評価されてほしい」と即答し、70代とは思えない思考の若々しさに驚かされたのを覚えている。
そして、必ず言われていたのは「入場者数にこだわる」ということである。それは「数さえ入ればいい」ということでも、「学術的にいい企画であれば、数は入らなくても仕方ない」ということでもない。学芸員の研究志向も尊重する一方で、「それはどのくらいの数の市民が見ることになるのか」と、入場者数の目標を必ず聞かれ、そのためにはどのような工夫が必要かを考えさせた。美術館や展覧会は単なる学芸員の研究発表の場ではなく、市民のための場であること、そこで、市民はどんなアートと出会うのか、まず足を運んでもらい、かつ質の高いものを見てもらわなくてはいけない、といつも言っていた。
館長自ら、さまざまな展覧会を積極的に見てまわり、例えばそれまで巡回が決まっていなかった「井上雄彦 最後のマンガ展」(2009)にもいち早く手を挙げ、「篠山紀信 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」(2012)や「天野喜孝展 想像を超えた世界」(2014)の立ち上げ、「ジブリの立体建造物展」(2016)も館長自身が江戸東京たてもの園で見て、感銘を受けたのがきっかけとなって開催した。そして、その展覧会が他館で立ち上がった巡回展であっても、必ず「熊本ならではの独自性」を入れることに強くこだわった。例えば、「ジブリの立体建造物展」では、熊本の伝統的工芸品である山鹿灯篭の若手灯篭師が、その技術を駆使してラピュタ城の立体模型をつくって展示するなど、どこででも見られる展覧会ではなく、熊本でしか見ることのできないもの、地域の人たちとのつながりをいつも意識していた。
「美術館は社会にとって必要なものだ」という実感
そして、館長の仕事において、欠かすことのできない大きな出来事が、熊本地震での被災、その後の復旧・復興活動であった。館長自身、熊本の自宅で被災したが、その後も熊本の地に残って、美術館への出勤を続けられていた。熊本の街なかでは商業施設の再開もままならないという時期に、館長は一日も早い美術館の再開を目指すことを決断した。正直、私たち現場のスタッフは美術館を開けるのは時期尚早で、市民にお叱りを受けるのではないかとも危惧した。だが、美術館が再開した日、それが杞憂であったことを悟った。その経緯は本連載にも執筆させていただいたが、地震後に、美術館に集う人々の表情や姿を見て、「美術館は社会にとって必要なものだ」と心から思えた経験は、本当に得がたいものであった。
また、就任当初から、美術館の存在意義に関わる指定管理者制度に対して疑問を呈し、イギリスのサッチャー政権下で始まった同制度をそのまま日本へと導入したことは大きなミスであることを指摘した。イギリスのアーツカウンシルがその活動の原点として依拠する、芸術分野の自立性を確保するアームズ・レングスの法則を例に出し、美術館は自立した存在であるべきだと主張してきた。私たち現場の学芸員や職員たちも、「アートの力を見せる」「アートへの愛情を育てる」「アートで人をつなぐ」という館長の掲げた基本理念をもとに、より地域に根差した現代美術館となるべく、美術館の体質改善を続けてきた。結果、計13年という時間はかかってしまったが、2019年4月より、晴れて非公募の指定管理者として、美術館の運営を新たに始めたばかりのところであった。これは館長なしでは、到底成し遂げられなかったことである。非公募となったことを見届けて、天に召されていった。
週に一度、副館長や各班のリーダーが集まり、館長ミーティングを行なっていた。必要な業務の報告や相談を終えると、最近見た興味深い展示やコンサート、政治から哲学まで、縦横無尽に話題が展開され、気づくと時間が過ぎ、いつも笑いの絶えない楽しいミーティングであった。そこで館長の考え方や思いに触れ、可能な限り事業に生かしてきたつもりだが、その場をもう持つことができないのがとても残念である。しかし、館長は最後まで館長であり、そこで遺されたものは、それぞれの職員のなかでかたちを変えながら、受け継がれていくはずだ。
最後に心からの感謝を込めて終わりとしたい。桜井館長、本当にありがとうございました。
学芸員レポート
GIII vol. 129 本と人と作品の空間を考える03「新しい古本」
熊本市現代美術館で立ち上がった「大竹伸朗 ビル景 1978-2019」が、水戸芸術館 現代美術ギャラリーへと巡回し7月13日にオープンを迎えた。熊本では、トークやサイン会は長蛇の列、会期中もさまざまなワークショップのほか、老健施設に入・通所する高齢者を展覧会に招くアートバスや、近代の名品から大竹作品までを幅広くめぐる企画ツアー「学芸員といくせとうち島アートめぐり3日間」など、多彩な企画を行ない、「現代美術」や「大竹伸朗」になじみの少ない方、または意外な方から「良かった」「ビビッときた」という反応を頂けたことは何より嬉しかった。
そんな大竹との意外なつながりに驚かされたのが、当館ギャラリーⅢで7月10日より「本と人と作品の空間を考える03 新しい古本」展を企画協力というかたちでスタートした山下陽光(「途中でやめる」主宰、「新しい骨董」メンバー)である。山下は、絶版になっていた大竹伸朗のエッセイ集『既にそこにあるもの』(新潮社、1999)に強い感銘を受けて文庫化したいと思い立ち、手製のガリ版刷の見本をつくって個展会場前で本人に直談判したことがあるという。
このエピソードについて大竹は、2005年に刊行された同書の文庫版(筑摩書房)あとがきのなかで「唐突だった。ジワッとにじり寄る思いを感じ自分の若い頃を思い出した。嬉しかった。そんな無防備なる直情は本来自分のなかに在り続けるべき、忘れてはならぬ『本』に対する大切な思いではなかったか?」と書いている。このときの「坊主頭の若者」が現在の山下陽光本人であった。
大竹は今回、当館での展覧会をきっかけに、「ビル景」作品830点を網羅し、亜鉛版による活版を施したカタログレゾネを発刊。また山下も、当館において本と人との関係を考える展示を行なっている。そんな出会いがまた美術館を通じて、増えていってほしいと思う。「新しい古本」展は8月25日まで開催され、最終日には「新しい古本市」も行なわれる予定。ぜひ足を運んでみてほしい。
GIII vol. 129
本と人と作品の空間を考える03「新しい古本」
会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅢ(熊本県熊本市中央区上通町2-3)
会期:2019年7月10日(水)〜8月25日(日)
公式サイト:https://www.camk.jp/blog/2154/
大竹伸朗 ビル景 1978-2019
会場:熊本市現代美術館(熊本県熊本市中央区上通町2-3)
会期:2019年4月13日(土)~6月16日(日)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/ohtakeshinro/
[巡回展]
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー(茨城県水戸市五軒町1-6-8)
会期:2019年7月13日(土)~10月6日(日)
公式サイト:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5048.html