キュレーターズノート
光の無限軌道を描く──「久門剛史 ─ らせんの練習」
中井康之(国立国際美術館)
2020年08月01日号
対象美術館
前回の学芸員レポートを記した2020年4月初めには、ここまで激甚ともいえる社会的な変化が起こるとは想像していなかった。その1ヶ月後の5月初め、厚生労働省から「新しい生活様式」の実践例が公表された。それは要するに、個々人は、身体的距離の確保、マスク着用、手洗い、そして社会生活では、密閉・密集・密接の「3密」を避け、不要な移動は行なわない、勤務も可能であればリモート勤務にといった内容……。ただし、当方の前回のレポートが公開された4月15日の1週間前には、政府によって緊急事態宣言が発令され、既に勤務形態は4月からリモート勤務となり、国際美術館が位置している大阪の中之島という地域での文化活動を実施している企業、団体によるプロジェクト・チームとの打ち合わせ等もウェブによる会議となっていた。
また、そのような状況下での館独自の動きとしては、新年度より開催予定であった「ヤン・ヴォー展」の作家自身による動画、所蔵品解説の動画作成等、泥縄の対応となった。それらの運用実態や効果等については、今後検証作業を行なわなければならないだろう。このような日常の行動を改変させた緊急事態宣言は5月25日に解除され、同宣言が発令されていた地域では当館を含め5月末から6月初め頃にかけて多くの再始動を果たしている。ただし、各館の状況はさまざまであり、府県を跨いでの来館等はしばらく制限がかかったりしていた。例えばリニューアルオープンした京都市京セラ美術館は5月26日に再開したのだが、他府県居住者に対しては6月19日から観覧を可能とする、といった状況であった。
このような自由な移動が抑制された状況のなかで、豊田市美術館で開催されていた関西出身の注目作家、久門剛史の個展を見る機会があった。同展は、当初は3月20日から6月21日迄開催の予定あったが、コロナ・ウィルスの影響により9月22日まで会期が延長され、鑑賞が可能となった。久門の作品と遭遇する機会は、これまでも何度かあった。彼のストイックとも言える表現手法、隅々まで計算された展示空間におけるインスタレーションに対して、新しさと共にある種の既視感も感じていた。そのような意味で、大規模な展示空間全体をコントロールしたこの個展で、久門の禁欲的とも言える表現を生み出している世界観を探ることができることを期待して臨んだ。
無限軌道のらせん
「らせんの練習」と題された久門の個展は、2013年から発表を始めた久門の表現に対する自らのセオリーに貫かれた作品群を総覧することができた。私は先に、ある種の既視感という表現を用いたが、それは過去の作家作品との類似といったことも含まれるが、それだけではない。人々が社会生活を営むなかで、さまざまな部族や民族といった人々の集団に於いて必然的に課されてきた通過儀礼がある。そのような儀式のなか、ある種の精神の高揚感や秘儀的な観点を垣間見ることもあるだろう。そのような人々にとって普遍的な何らかの階梯となるべきステージのモデルが、久門の作品群のなかに仮構されたかのように私には見えたのである。
少し先走りすぎたかもしれない。先ず「らせんの練習」という展覧会タイトルについて触れなければならないだろう。本展企画者である都筑正敏がカタログで説明しているように、そのタイトルは久門が作家として再スタートを切った時の最初期作品から取られている。その作品は、螺旋状のスロープをシャープペンシルが周回する軌跡を、そのシャープペンシルの芯が記録し続けるという仕組みを持つもので、都筑が同文書で指摘するように「繰り返し描かれる線の軌跡のドラマ」が主題となり、「私たちが生を営む日常のなかから、目に見えないたいせつなものをすくい上げ……美しいかたちを与えて、見えるようにすること」
がその後の久門作品に通底するものであることは間違いないだろう。さらに付言するならば、このような無限軌道を描くオートマティックな装置を介した作品が、自らの芸術の基礎を為すと判断した久門の美術に対する在り方、歴史的な芸術との距離感もこの頃から決定していたのだろう。ところで、「見えないものを、見えるように」というテーゼは、20世紀以降の画家たちが繰り返し唱えてきたテーゼであり、夙にパウル・クレーによって唱えられたことで知られている。クレーは、読み手に対して運動の行為を図式化することによって具体的な説明を施してはいるが、それを表わし出す「線描芸術には、想像力の産物ともいうべき幻想性や童話的な性格が備わって」 いると説くのである。果たして久門が顕現しようと考えている世界観がどのようなものであるのか、ということを、われわれはここで想像する機会が与えられたことになるのだろう。重力と光のもとの生命
「Force」というタイトルが付けられていた久門の最初の展示空間は、遠望すると壁に多くのメカニカルな装置が設置されて、その壁の下方は白い何ものかで覆われている。展示空間床面の右手奥には丸いガラス板が傾き、そのガラス板からこぼれ落ちるように無数の小さな電球が重なって、ゆっくりと呼吸をするかのように
ところで「force」という単語は、さまざまな意味を有する基本的単語だが、科学用語としては自然界に存在する4つの力を意味するたいへん重要な単語でもある。その4つの力とは、重力(gravity)のほかに、電磁気力、強い力、弱い力である。重力や電磁気力(静電気や磁力)以外の原理を日常生活で確認することはできないが、それぞれ原子核と電子、陽子と中性子を結びつける、あるいは原子核から離れる相互作用であり、われわれを個体として存在させている基本原理である。
それはさておき、それでは、同じ「Force」の展示空間床面で明滅する無数の電球は何を表わしているのだろうか。久門にとって、光という素材が担う意味は小さくないだろう。今回の展覧会のなかでは後半に展示されていた作品《Quantize#7》では、光は光源を舞台照明に換えることによって自在に操ることのできる、たいへん重要というか表現するための基本素材となっている。その作品は「Quantize(量子化する、量子学を適用する)」という作品名からも明らかなように、ニュートンの運動法則に代表されるような古典的物理学に対して新たなる体系である量子物理学の存在を示すことを意図したもので、おそらく久門は、これまで積み重ねられてきた美術史の体系を一旦終了し、異なる体系の表現を打ち立てることを喩えるためにこのタイトルを用いたのであろう。極めて挑発的なタイトルであることが確認できるだろう。
それでは、この《Force》の部屋に置かれた無数の小さな電球の明滅は何を表わしているのだろうか。自然界には4つの力が働いており、われわれを一個の物体として存在させている基本原理は重力と電磁気力以外の2つの力による相互作用であることは前に述べてきたとおりである。ただし、これも既述してきたように、われわれは重力の影響下にある。その事実を暗示するかのように、これらの無数の電球は、広いアトリウム空間の床面にうずくまりながら、ゆっくりと全体がひとつとなって明滅を繰り返すのである。これは、地球上に生息するあらゆる生物の動態を示していると私は考えた。地球上に生命体が現われ、一つひとつの固体が独立して生息しているようなイメージを、そこから受けたのである。人類の歩みもそこからの繋がりと考えることができるだろう。重力から自由になることはないが、その影響下、一個一個の生命体として活動している姿を、作家は映し出していると考えたのである。
個人の生から宇宙までのスケール
大きなアトリウム空間での展示《Force》の次に用意されていたのは、《after that.》という光の入らない比較的小さな展示室内に、ミラーボールを用いて無数の光の集合体が映し出された空間であった。おそらくこの展示は、最初の展示室がわれわれの棲む地球上の世界だとすれば、それを包括する宇宙を表わし出すものなのかもしれない。また、タイトルの「その後」という意味から類推すれば、人類の消滅後、あるいは地球の消滅後といった終末論的状況設定を考えることもできるだろう。
次に、今回の個展の中間領域に、複数の展示ケースが置かれた開放的な展示空間が設けられていた。これまでの2室と、これから訪れる後半の3室の緊張した展示室とは異なるニュートラルな空間である。そこに置かれた6つの展示ケースには、それぞれ個別の作品名が付されていた。また、各作品名には「丁寧に生きる」という共通の上の句が付されていた。例えば最初の作品は《丁寧に生きる—らせんの練習—》といったようにである。続けて、「現在地」、「地震」……と続くのであるが、これは明らかに、久門剛史という個人のゼロ地点を示すものだろう。「らせんの練習」は、繰り返しになるが、久門の作家としての起点である。「現在地」としたケースには、いくつかの大小の展示ケースが輻湊し、そのなかのいくつかのケース内に1センチ立方メートル程の真鍮が収まっている。現在の久門の心象風景、あるいはこの展覧会を再スタートさせるためのコンピューターチップといったものであろうか。そして「地震」。比較的大きな展示ケースの中央部分が寸断され、上下にて大きく位置がずれてつながっている。近年多発する大地震という地殻変動と人間の関係か、あるいは個人史に於ける実体験の記憶であろうか。何れにしても、この展示空間では、活動を行ない始めた頃からの久門剛史という作家の行為を丁寧に見直す事であり、あるいは地球という天体に棲む人々との関係性を、その力学を丁寧に考えることによって、今後の久門の制作行為が始まるという態度表明を、確認するような場所であると思われる。
次に続く3つの展示室は、先に述べてきたように《Quantize#7》という、久門の未来志向的なインスタレーションが施された部屋があり、その部屋を挟んで前後に《crossfades#1》と《crossfades -Torch-》という部屋(であると同時にインスタレーション作品)が用意されてあった。主たる展示室である《Quantize#7》には、前述したように舞台用照明装置の光源が用意されてある。展示室正面に備え付けられたカーテンの開閉とともに、おそらくはプログランミングによる操作で投影照度の調節や明滅がコントロールされ、まるで演者のいない小劇場の舞台のような場を生み出していたのである。
さて、このような作品のディスクリプションをいくら重ねたところで、量子あるいは量子学という物理学用語と久門の作品が交差することは永遠に無いように思われるので、その用語側からアプローチすることを試みたい。少し説明が長くなるがお許し願いたい。
量子論から照らす日常世界
量子学の事の発端は光の研究から始まる。17世紀後半、万有引力を発見したニュートンは光学の研究も行ない、プリズムを用いて、白色光(太陽光)がさまざまな色の光が重なり合ったものであることを証明した。さらには光の組成が粒子であるとも唱えていた。しかしながら、粒子説では回折現象や干渉現象といった光に備わる性質が説明できず、波動説が持ち上がるのである。18世紀及び19世紀を通じ、多くの科学者たちによって、その二つの説を巡って証明が繰り返されたが決着はつかなかった。
そして19世紀半ば、イギリスの物理学者マクスウェルが、電場(電気の力)と磁場(磁気力)が振動しながら空間を伝わる、ということを手がかりに、それらの事象の速度が光速に近似していることから、光も電磁波の一種であると解釈した。さらに、エックス線から紫外線、可視光線、赤外線等が、振幅の違った電磁波であることが次第に分かり、光の性質が波動であることに決着が付いたように思われた。しかしながら課題が二つ残っていた。ひとつは光を伝える媒質(音でいえば空気)が何であるのか。もうひとつは熱した物体から光が放出されるシステムがまったく分かっていなかった。
このような疑問に対して、ドイツの物理学者プランクが、物質を熱したときの物質の温度と、その物質が放つ光と色の関係を探るなかで、光が持つエネルギーに関して「量子」という基礎単位が提唱される。1900年12月という19世紀が終わるという時に「量子論」が誕生するきっかけができたのである。さらにアインシュタインがプランクの仮説を応用して「光量子仮説」を発表し、光の強さと振動数の関係は光量子の「量と質」の関係に相当することを説くことによって、当時波と考えられていた光を「光量子」という粒の集まりであると考えたところから、光電効果(物質が光を吸収して原子核の引力から自由になり電子が放出される現象)の仕組みを明らかにした(因みにアインシュタインのノーベル賞はこの発見に与えられたものである)。光が粒であると考えれば媒質など必要ないので先の問題のひとつは解決される。だが、その仮説では光の干渉現象が説明できなくなる、ということから、光は粒でもあり波でもあるという二重性を示すという説で決着する。
これ以降の物理学者たちの侃々諤々の細かい話しは端折らせていただきたいが、物質の最小単位であった原子の組成に関する論議が続き、原子が原子核と電子によって成立していることが明らかになってくる。また、その電子が光と同様に波動を繰り返しているという解釈も有力になってくる。ここで問題となってくるのは、その波動上の電子の動きを捉えることは確率的にしかできない、というルールであった。このような解釈に激しく抵抗したのはアインシュタインなど、旧世代の物理学者たちであった。「神はサイコロ遊びを好まない」というアインシュタインの有名な言葉はこの解釈に対して発せられた。アインシュタインは言うまでもなく「相対性理論」を提唱したことで知られている。それは、「物理法則はあらゆる座標系に対して同じ形式で表わされる」という確定的で絶対的な理論であり、真理はひとつしかないと信じていたアインシュタインにとって、確率的にしか決定できない理論を受け入れることはできなかった。
われわれが視覚的に確認できる物理的な現象、地球が太陽を回る公転運動から飛行機や自転車などの運動する物体のさまざまな現象に関する説明は古典的なニュートン物理学でほとんど済ませることが出来る。一方、量子学は、半導体チップが機能するシステムを生み出すことから遺伝子の永続性の証明まで、実は既にわれわれの日常を支える重要なシステムとして、見えない世界に於いて重要な役割を果たしている。久門の作品《Quantize#7》は、そのような現在のわれわれの棲む日常世界を、見えない領域から支えている事実を明らかにしようという意図があるものと考えるのである。それは、久門が「Quantize」に数詞を付して繰り返し提案していることからも明らかであり、特に今回、《Force》というタイトルの作品が最初に設けられていたことによって、そのことを確信することが出来た。久門の真意は、古典的物理学ならぬ、古典的美術界に対しての更新を要求すると同時に、自らにも更なる世界構築を促しているのだろう。「Quantize」の数詞が重ねられていくだけでは無く、劇的なる変化ということもあり得るだろう。
久門剛史 ─ らせんの練習
会期:2020年3月20日(金・祝)~9月22日(火・祝)
会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
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