キュレーターズノート

コラボレーション(Collaboration)とコレクティブ(Collective)のC

レオナルド・バルトロメウス(山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター)

2021年09月15日号

新型コロナウイルス感染症が日本で猛威を振るい始める少し前、ひとりのキュレーターがインドネシアから山口へと移り住んだ。インドネシアのジャカルタを拠点に活動するアーティスト・コレクティブ、ルアンルパの一員としても活動していたレオナルド・バルトロメウスである。現在、彼は山口情報芸術センター[YCAM]のキュレーターとして、地域社会における文化施設のあり方について新しい視座をもたらすための取り組みに従事している。彼の視点から見たコロナ下での暮らしや文化施設の役割、そしてこれから始めるプロジェクト「オルタナティブ・エデュケーション」について紹介したい。


長期臨時休館中のYCAMのエントランス(2021年9月14日撮影)
[写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]

インドネシアから山口へ、そして、パンデミックが始まる

親愛なる読者と友人のみなさまへ

こんにちは。お元気でしょうか。
この異様な状況で暮らすようになり、どれほどの期間が経ったのか、忘れてしまいそうになります。2年でしょうか? まるで永遠のように感じられますね。そして、どれだけの人が仕事や活動、さらには愛する人を失わなければならないのでしょうか。それでも、みなさんが不自由なく仕事をこなし、あるべき暮らしを送り、浮き沈みがあろうとも健康でいられることを願っています。今回のパンデミックという問題は、私たちの社会生活の様式を弱体化させるのみならず、私に次のような疑問をもたらしました。「アートはどのように機能し、私たちを取り巻く環境と関係し続けることができるのか?」あるいは「人間が快適に暮らせている時にだけアートが生まれるというのは事実なのだろうか?」

2021年、YCAMは「オルタナティブ・エデュケーション」という枠組みで、3年間のアートプロジェクトを開始します。このプロジェクトでは、アート・インスティテューションの役割や社会におけるアートの有用性を探ります。本プロジェクトの第一弾として、ジャカルタを拠点とするアーティスト・コレクティブ セラムによる展覧会「クリクラボ─移動する教室」と題した展覧会を開催します。本展では、セラムがこれまで行なってきた「アートと教育学」に関する活動を中心に紹介します。

本プロジェクトでは、観客は単なる鑑賞者ではありません。そうではなく、アーティストは、山口の教育システムに関心のある一般の人々、つまり学生、教師、保護者、そのほかの人々と、ディスカッション、ワークショップ、インタビューなどのさまざまな活動を、ゆったりとした開放的な空間のなかで、和やかに行ないたいと考えています。

こうした活動が、いま、私が山口にいるいきさつとどう関係しているのか、少しお話してみたいと思います。そうすることで状況がわかりやすくなり、考えを整理することができるでしょう(整理しても問題が解決するとは限りませんが)。ちょっと一緒に話してみませんか?

パンデミックが与えた機会

私が日本に、正確には山口に到着したのは2019年6月のことでした。インドネシアでは、山口のことを知っている人はあまりいません(日本でも山口のことをよく知らない人がいそうだと感じます)。つまり、アート・インスティテューションがどのように機能しているのか、その文化的背景や社会的構造を概観することはなじみのないことなのです。このような孤立した状況に直面したとき、私はいつも「アートより友だち」という人生のモットーを掲げます。生まれ育った環境を離れたとき、友情に救われることが多くありました。ですが、今回の場合は違いました。私が日本に到着して間もなく、新しいウイルスの情報が急速に変化し、多くのニュースの見出しに登場するようになりました。厳戒態勢が敷かれ、あらゆる扉が閉ざされていくように感じたのもあっというの間のことでした。楽しかった居酒屋での会話にも、夜通しのカラオケにもお別れです!

パンデミックが起こる最中に、新しい場所に住むというのは簡単なことではありません。特に外国から働きに来ている者としては、人生を変えるようなさまざまなことをするのに最適な時期、とは言えないでしょう。しかし、絶望というよりは、これまでに日本に滞在したなかでも一番刺激的な時期だと感じています。

まず、多くのアート活動は形式を改変し(物理的な空間からオンラインへ)、表現を別のものへと変えざるをえませんでした★1。なぜだか、このオンライン空間というのは有望な新しいプラットフォームというよりは、救命ボートのようなものに感じられます。次に、特に施設ベースの活動の多くの場合、アートという領域での活動に気まずいものを感じることがあります。この2年間に延期になったり中止になったり、場合によってはリモートで行なわれた展覧会は数多くありましたが、これは他人事ではありませんよね。

一部の施設(私立、公立を問わず)では、今回のパンデミックによってチケットの売り上げや観客動員数、プログラムの数やエンゲージメント率などの成功の指標を下げています。そのなかには非公開のプラットフォームも多いので、少し口ごもってしまいますよね。例えば展覧会といった、ひとつの伝達手段にしか慣れていないこともあるのでしょうか。それとも、その先に何か別のコミュニケーション方法があるのでしょうか。現在の状況は、私たちの活動の未来形を探り、発展させていくためのチャレンジと好機になる可能性があります。単に展覧会を開催することと、それをもっと広いコミュニティにとって価値のある(実用的な)プロジェクトに移行することとのあいだの駆け引きについてどのように考えることができるでしょうか。YCAMのように素晴らしいリソースを持ち合わせたアート・インスティテューションは、地域に対して何を提供することができるのでしょうか。こうした疑問や状況を踏まえ、「オルタナティブ・エデュケーション」という枠組みで、アート・インスティテューションにおける芸術生産の可能性を探るプロジェクトを提案します。

教育とコミュニティ育成の実験場

私は2014年の夏、「地域に潜るアジア:参加するオープン・ラボラトリー」展を見るために初めて山口を訪れました。会場は竹を中心に組み立てられており、インドネシアのサウン(バンガロー)を思い起こさせる空間になっていました。そして実際、これは偶然ではなく、この展覧会にはインドネシアのアーティストが参加していたのです。この展覧会には、私が当時訪れていた多くのアート・インスティテューションと、さらには私が知っていたいくつかのYCAMのプロジェクトとも違う印象を持ちました。正確な言葉を見つけるのは難しいのですが、ゆったりとした和やかな雰囲気があるように感じたのです。



「地域に潜るアジア: 参加するオープン・ラボラトリー」展(2014)
[撮影:丸尾隆一(YCAM) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


今回の「オルタナティブ・エデュケーション」プロジェクトは、「アート・インスティテューションはどのようにして学びの場となり、一般の人々のためのリソースを共有する場となりうるか」という、直裁的な提起に基づいています。私はこれを新しいプロジェクトと考えるのではなく、過去のほかのプロジェクトが生み出したアイデアのやり取りを継続する方法だと考えています。

YCAMは、メディア・アートや先端的な技術を駆使した作品づくりで知られていますが、教育やコミュニティの分野でも重要な役割を果たしています。YCAMは18年近くにわたり、山口市を中心とした市民の地域社会への参加をうながすさまざまなプログラムを実施してきました。また、一般の方々に知識を伝え、共有する、さまざまな形式の教育活動を展開してきています。

例えば、「コロガル公園」(2012)や「コロガル公園コモンズ」(2018)など、波打つように歪んだ床の形をした遊び場に、メディアテクノロジーを活用したいくつかのデバイスを埋め込んだプロジェクト★2がありますが、これも同じような発想に基づいています。ユーザー(子ども)が参加し、自分たちの思うように遊び場の形を変えていくことができるのです。未来の学習方法のアイデアを遊び場というかたちで採用したプロジェクトだと言えます。もうひとつは「YUDA ART PROJECT」(2008)で、3組のアーティストを招き、山口市の湯田温泉に呼応する作品を制作してもらうという、サイトスペシフィックなプロジェクトです。それから、この手法の優れた例となりうるのが、アーティストの深澤孝史さんが始めた、個人のちょっとした「得意」を資産として交換することで市民どうしのつながりをつくるプロジェクト、「とくいの銀行 山口」(2013)です。



コロガル公園(2012)
[撮影:丸尾隆一(YCAM) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


もちろん、時代、文化、関連性などの異なる文脈を考慮する必要がありますが、これらのプロジェクトはそれぞれ多元的な空間で活動し、一般の人々とコミュニケーションをとろうとするセラムと同じ精神を持っているように思われます。YCAMとセラムの類似点と相違点がぶつかり合うところが私の興味のある点で、それが私にセラムを山口に招聘しなければと思わせるのです。

セラムについて

セラムは、2006年にジャカルタ州立大学の芸術文化言語学部の学生たちによって設立されました。「Share(共有)」と「Room(部屋)」という2つの英単語を組み合わせたという名前の由来には、ともに働くという精神が込められています。その名前が、多くの人に「美容液」を連想させるであろう「Serrum」へと変わった経緯については、また別の話でしましょう。

彼らの活動について明確に言えることは、これまで彼らがあまりに多くの実験を重ねてきたため、特定の形式やカテゴリーに分類することは難しいということです。ですが、何かひとつに絞れと言われれば、「アートと教育学」が主なキーワードになるでしょう。セラムがそれに関心を持つようになったのは、コレクティブとしての活動を始めてから数年後のことです。それまでは、ストリートアートや公共空間でのプロパガンダ、あるいは一般的な政治などにおける、さまざまな問題を提起しようとしていました。しかし、彼らは自身の芸術的行動を形成する主要な基盤としてのビジュアルアートと教育学の関係というテーマを、アーティストとして、また(未来の)教師として、すでに潜在的な課題としていたのです。



セラム


教育問題への関心は、特に2014年にジャカルタで開催されたセラムにとって初めての展覧会「クリクラボ」以降、作品制作の主要な原動力として現われ始めました。この展覧会では、セラムがいままでにない学習モデルを提示するために試みた、さまざまな実験モジュールが展示されました。例えば、彼らは何人かの数学の先生と協力して「RUPAMATIKA」(「rupa」は視覚やイメージ、「matika」は数学の意)という、芸術的な要素と数学的なモデルを組み合わせたプロジェクトをつくりました。


「クリクラボ」とは、セラムが多分野にまたがる実践者たちと一緒に、教育問題をより広く議論するためにつくり出したラボです。方法、システム、目標など、教育の現場で発生するナラティブを、参加者各人のさまざまな視点から共有できる対話にすること。教育問題の未完成なロマンティシズムに囚われることなく、教育に関する新たな可能性を発掘する芸術的な実験を目指しているのがこの研究室です。
──アンガー・ウィジャヤ(Angga Wijaya)「クリクラボ」(ジャカルタのGaleri Cipta IIでの展覧会、2014)


アートと社会活動、そして教育学の横断に注力するようになった2016年の2回目の展覧会「EkstraKURIKULAB」以降、彼らの活動は、こうしたファインアートと教育学における実験性がより強くなったと感じています。私は、セラムにとってもっとも優れた成果のひとつは、グループとしての芸術的な主張をしようとしたことだと思います。2014年の展覧会がプロダクトの博覧会のように感じられたとすれば、2016年の展覧会は、これまで彼らが関心を持ってきた問題を全面的に掲げるようなものでした。

改革の時代★3とインターネット技術が情報のチャンネルを開き始めたあと、2000年代のインドネシアでは現代アートスペースでさまざまなコレクティブが誕生しました。セラムはこのようなコレクティブと多くの共通点をもっています。彼らの特徴のひとつは、自身が独自のスペース(文字通り、家や部屋)をもち、メンバーがほかの人々やグループにもスペースを開放し、ともに活用しようという意識をもっていることです★4

ですが、セラムにはわずかにほかのコレクティブとは異なる点があります。それは、持続可能な戦略の立て方です。当時(2008年頃)、アーティストの活動のほとんどが依然として寄付金や助成金を頼りにしていました。しかし、セラムはセラム・スタジオという事業部をつくり、展覧会の設営や作品展示、会場デザイン、壁画、グラフィック・デザインといったサービスを中心に、より自立した活動を行なうことにしました。作品やサービスを売ることで資金を得ながら、うまく生き残り、非営利活動を続けることができているのです。おそらくこの経済モデルによって、セラムのワークモデルは、事業報告書やパフォーマンス指標などに煩わされることなく、より実験的かつ実用的なものになっているのだと思います。

私がセラムを知るきっかけとなったプロジェクトのひとつが、「Dinas Artistik Kota(都市の芸術サービス)」です。これは、当局に逮捕されることを恐れずに壁画やグラフィティを制作する一種の都市型ゲリラ戦術でした。このプロジェクトでは、政府機関のスタイルを踏襲した詳細なプロフィールを作成し、衣装や作業用具を用意しました。壁画制作の際には、常にこの装備を携行しています。簡単に言えば、政府の公式プロジェクトのように見えるわけです(これは違法行為とみなされ、短い懲役刑が科せられる可能性がありました)。



「Dinas Artistik Kota(都市の芸術サービス)」ジャカルタ(2014)[写真提供:Serrum.org]



Projek Akhir Tahun (Year’s End Project)、ジャカルタ(2014)[写真提供:Serrum.org]

また、2009年に開催されたジャカルタ・ビエンナーレ「アリーナ」では、通常の展示室以外に鉄道駅を展示室として使用しました。このプロジェクトは、電車に乗っているときの安全性を訴える社会的なキャンペーンです。インドネシアでは、2014年に政府が電車に関する新しい規制を設けるまでは、次の左の写真のような危険な乗車はよく見られました。



左:2009年頃のジャカルタの駅の日常風景
右:セラム《ギャンブル人生に生きて(Di Atas Lega Bertaruh Nyawa [Betting Lives for Roomy Space])》、ジャカルタ・ビエンナーレ 2009「アリーナ」、ジャカルタ市内各所(2009)
[写真提供:Serrum.org]



私たちはつねに、さまざまな協力者たちと共同作業を行なっています。当初の協力者は、多様なバックグラウンドをもつ一般市民たちでした。例えば、「アリーナ」では、セラムはプレゼンテーションおよびアーティキュレーションの一形態として漫画を制作しました。この漫画は展示空間だけでなく、駅などの公共空間にも展示されているので、より多くのさまざまな人と関わることができるのです。また、それだけではありません。 例えば、漫画を配布するためには、一般の人に直接アプローチする必要があります。そこで、この展示方法が、私たちの作品のなかにあるアイデアやコンセプトから、人々に知識を手渡すプロセスとなるのです。
──2021年8月に実施したセラムへのインタビューより



セラムはこのような公共への介入の形式を継続し、次の年にはコラボレーターとして一般市民を巻き込みました。以前の介入が一方向的なものであったとすれば、2014年にはそのプロセスを演出し、よりオープンなものにしたのです。「クリクラボ─移動する教室」で展示されるモジュールが、その最新形になるでしょう。

「クリクラボ─移動する教室」のモジュール

1. 「クリクラボ」(集中グループディスカッション)
「クリクラボ」は、2014年にセラムがジャカルタで行なった個展でのプロジェクトとしてスタートしました。セラムはインドネシアの教育現場における本質的な問題を掘り起こし、まとめ、アーカイブすることを目的とした、いくつかのディスカッションを企画運営しました。議論が行なわれている間、頭上に設置されたカメラが音声やメモ、絵、手の動きなどを記録します。記録された映像と音声は、あたかも会話が続いているかのように同じ会場で公開されました。



「クリクラボ」[写真提供:Serrum.org]


2. 知識のマーケット
セラムがデザインした実験的なモジュールは、需要と供給のバランスに基づいた学習の相互作用に重点を置いています。知識のマーケットは、より流動的で、2人以上の人間のあいだで知識を交換することを促すように空間と時間を設計しています。2人の人間がランダムに入れ替わることで、交渉のプロセスはよりオープンで直接的なものになります。



知識のマーケット[写真提供:Serrum.org]


3. 理想の学校
学校のルールをつくる過程では、生徒の視点が軽視されがちです。このプロジェクトでは、その構造を変えようとしています。既成の教育空間ではなく、そこで学ぶ人たちの視点から学校についての印象を集めます。学生どうしの対話をベースにして、校風/システム/校舎や設備のような物理的な性質という3つの基本的な事柄について探ります。



理想の学校[写真提供:Serrum.org]

セラムとの新たな対話

セラムとYCAMの類似点を整理すると、次の3つの点をあげることができます。まずはもちろん、アートと教育について、ですね。先に述べたように、YCAMは作品制作の一環として教育的な側面を重視しており、異なる文化的背景をもつ者どうしが同じテーマについて語り合うという点で、この出会いは興味深いものになるでしょう。2つ目は、ワークモデルとコラボレーションについて。「クリクラボ」は、セラムのモジュールがパッケージとして、さまざまなスペース、コミュニティグループ、地域の文化的な文脈で試みられた初めての機会でした。YCAMとの対話によって、また違った視点が得られるかもしれませんね。3つ目は、持続可能性の方法と社会関係資本の問題です。セラムには、特に芸術的な実践の一部として社会関係資本を利用する、別の機会に研究すべき魅力的な持続可能性のモデルがあります。こうした会話が、今後の「オルタナティブ・エデュケーション」プロジェクトを継続するためのヒントになることを願っています。

この2年間、私は、この困難な状況のなかでどのように振る舞うか、アーティストやほかのアート・インスティテューションが実施したプロジェクトのいくつもの事例から多くのことを学びました。例えば、ルアンルパやグラフィス・フル・ハラ(Grafis Huru Hara [GHH])と一緒にGUDSKULを結成したセラムは、ジャカルタの医療従事者が新型コロナウイルス感染症に対応できるように、自分のオフィスをハザードスーツやフェイスシールドなどの製作室にすることにしました。

すべてのインスティテューションがこのように柔軟に対応できるわけではありませんが、これまでとは違う状況にあることを考えれば、これは時流に合った提案だと思います。さて、ここで私は考えます。社会にとって価値あるプロジェクトをつくるにはどうすればよいのでしょうか? それはどのようにして測ればよいのでしょう? アート・インスティテューションがすでに所有している素材や情報をオープンにする方法はほかにもあるのでしょうか?

一般の人々をコラボレーターとして巻き込むようなプロジェクトは、短期的な仕事ではなく長期的に取り組むことになり、また、100%の正解や処方はないのかもしれません。持続可能な関係を築くための努力や方法に焦点を当てることで、パンデミック後のアートの未来をお互いに想像できるような気がしています。

★1──札幌国際芸術祭(SIAF)2020は、オンラインプログラムを中心としたフォーマットに変更した好例のひとつ。https://siaf.jp/siaf2020/news/1437/index.html
★2──会田大也「教育普及の現場から──これからのミュージアムの最も刺激的な使い方」(artscape 2016年08月15日号)https://artscape.jp/focus/10126094_1635.html
★3──1998年5月のスハルト政権崩壊後,政治,経済,社会、文化のさまざまな面で制度的,構造的な変化が起きた。インドネシアが権威主義体制から民主主義体制へと転換した時代。
★4──「空間を占有し、人々と出会い、同僚や一般の人々と自分の仕事を共有するための非公式な場であり、可能であるからこそ、また必要であるからこそ、寛大な空間です。このような観点から、私にとって初めて『もうひとつの空間』という概念が具体的な形をとったのです」(Reinaart Vanhoe, Also-Space, From Hot to Something Else: How Indonesian Art Initiatives Have Reinvented Networking, Onomatopee, 2016)

(翻訳:YCAM[吉崎和彦+渡邉朋也])

クリクラボ─移動する教室

会期:2021年10月30日(土)〜2022年2月27日(日)*会期変更
会場:山口情報芸術センター[YCAM]
(山口県山口市中園町7-7)

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