キュレーターズノート
また会いましょう、どこかも知らず、いつかもわからないけれど──とある学芸員のよしなしごと
工藤健志(青森県立美術館)
2022年03月15日号
対象美術館
この10年あまり、パンデミックや災害を契機に刻々と社会が変わっていくなかで、美術館や美術展も例外ではなく変化を迫られてきた。そのたびに本連載で、展覧会を企画していくことを通しての葛藤や喜びなど、さまざまな思いの丈をその都度綴ってくださっていた青森県立美術館学芸員の工藤健志氏。自ら携わった全国5館による共同企画展の大・タイガー立石展を振り返って前回の原稿で「自らの展覧会の仕事がちょうどぐるりと一周した気がしている」と書かれていた昨年末から少し経ち、いま思うことをご執筆いただいた。(artscape編集部)
社会的な不自由、精神的な自由
オミクロン株による感染症第6波の拡大防止のため2022年1月24日から臨時休館に入った青森県立美術館。担当した2021年度第4期のコレクション展は、当初2月5日からの開幕予定で作業を完了させましたが、青森県も蔓延防止等重点措置の対象区域となったため、休館期間が何度も延長され、現時点では4月10日までの休館が決定しています。これで昨年春に開催した「富野由悠季の世界」展の第4波、夏の「大・タイガー立石展」の第5波に続いて三たび大波に飲み込まれることになってしまいました。展覧会の延期と再準備、会期途中での打ち切り、イベントの中止や内容変更、そして感染症対策などさまざまな対応に追われ、そのたびにひどく消耗する1年でした。
コロナ以前から年齢も50代に突入して体力も集中力もどんどん落ちる一方でしたが、「あれをやりたい! これもプラスしたい!」という欲望だけは一向に衰えず、展覧会を担当するたび各所に迷惑をかけることが多くなっていたので、今回のコロナ禍は、どんな大きな困難に直面してもなお仕事を進めていける力がまだ残っているか、超越的な存在から試されているようにも感じられました。もちろんその答えが「否」であることを強く思い知らされたわけですが、不思議なことに感傷にふけるようなことも一切なく、むしろそれを肯定的に受け入れ、穏やかな気持ちになっていきました。体力や気力と欲望は等しく衰えていくべきで、そのバランスが崩れるとどうしても自己中心的な思考に陥ったり、利己的な言動が増えてきますからね。あるいは権威や権力にしがみついて若い人たちを道具のように酷使したり。まあ、背負ってきたものが大きいほど、人はそうなってしまうのでしょう。逆に言えば僕程度の人間が背負っているものならさっさと捨てちゃえばすぐ身軽になれるってことがやっとわかったというわけです。気持ちが軽くなったら、これからの人生をあれこれ思い描くのがとても楽しくなってきました。社会的な不自由さのなかで精神的な自由を得る。なんだかとっても面白い。
と、いつものように与太話から始めちゃいましたが、コロナ禍を言い訳に自宅と美術館をただ往復するだけの生活はいまだ続いています。たまに仕事で余所に出かけても行くのはほぼ用務先とホテルだけ(あ、模型店ははしごするけど)。よって今年見た展覧会は、福岡市美術館の田部光子展「希望を捨てるわけにはいかない」と、神楽坂、eitoeikoの大洲大作「Loop Line」と、CAVE - AYUMI GALLERYの赤羽史亮「Rotten Symphony」、そして新しく開館した八戸市美術館の「開館記念 ギフト、ギフト、」とごくわずかです。
淡々と続いていくことの不安
大洲さんの「Loop Line」は、環状鉄道をテーマにしたインスタレーション。ギャラリーの中央に円環運動を続ける電車の模型が設置され、その止まりそうで止まらない、ゆったりとした電車の動きを、監視カメラによるリアルタイムプロジェクションとモニターへの出力、影絵という三つの手法で壁面へ放射状に展開。速度が落とされた電車の円環運動はまさに「社会」と「日常」の比喩のようであり、人間の呼吸、すなわち「生のリズム」と呼応するような心地よさを感じさせてくれました。しかし、心地よさと同時に生じる不安感。大きな自然災害、感染症の蔓延、さらには世界を震撼させる戦争が起きてもなお自らの日常は淡々と続いていくような錯覚を抱かせる社会の潜在的恐怖が、現実の非現実的表現によって浮かび上がっているからでしょう。
大洲さんの作品は、模型と映像の二重構造を通して社会の光と影、人間の存在と不在を暗示させたものと言えますが、一方で「Nゲージをここまで低速でスムーズに走らせるのはすごいな!」とか、光源の位置が絶妙で、思わず「エヴァかよ!」と唸ってしまったダイナミックな影絵アニメーションなど、オタク的好奇心をきちんと満たしてくれるのもさすが大洲さん。そして僕はやっぱり技巧を凝らしたオブジェクトが大好きなんだな、と確信できた展覧会でした。
地域に即した、美術館の活動メソッド
同じ県内だけど片道100キロの雪道を運転するのが億劫で、八戸市美術館の開館記念展は最終週の土曜日に駆け込みました。途中の平内町で青森県内でも評判の美味いうどんを食べ、地元のにんにくや野菜が安く買える七戸町の道の駅で買い物をし(今回はいつものにんにくや納豆のほか、珍しいとっくり芋を入手。煮物にして食べたら絶品でした!)、同じ七戸の牧場にあるお店でこれまた人気の手作りジェラートを食べるなど気分は小旅行。八戸に着くまで4時間もかかってしまいました(笑)。
八戸市美術館は竣工時に建物の中を見せてもらっていたのですが、実際に作品が設置されると空間の印象はガラリと変わりますね。開館記念展では、「ギャラリー」、「スタジオ」、「コレクションラボ」、「ブラックキューブ」、「ホワイトキューブ」といった諸室を横断しながら、八戸の文化風土や人々の暮らし、そのハレとケの関係性を空間の中に落とし込んでいました。打ち上げ花火的な企画ではなく、八戸の地域的特質に焦点を当てた展示に絞ったところがとても清々しい。「ギフト」というテーマも1本の展覧会という枠にとどまらず、八戸市美術館が目指す方向性を示すもののように感じられました。「ギフト、ギフト、」というタイトルはむろんモースの論文からの引用ですが、八戸三社大祭を軸足に置きつつ、八戸というコミュニティに織り込まれた全体的給付の体系を、アートの術によって再構築していく試みとも解釈できそうです。
贈与、受領、返礼というギフトの循環システムは、人間相互の関係性を強く結びつける行為ですが、経済的合理性に先立って、地域の全体的給付体系を強く押し出し、社会を活性化させるためのさまざまなギフトを提示することに本展の意義はあるのでしょう。いわゆる「展覧会」としては物足りなさや「ん?」と思うところがあったのも正直な感想ですが、美術館活動の第一歩としての「種まき」と考えるとすべて納得がいきました。僕の勤務する青森県立美術館の開館時もそうでしたが、空間が特殊であればあるほど使いこなすには時間もかかるし(僕の場合は空間を理解するのに数年かかったような気がします)、それを踏まえると、展示空間としてのクオリティは決して悪くなかったと思います。
美術館に入ってすぐに広がる「ジャイアントルーム」は美術館の中でもっとも広く、天井が高く、自然光もたっぷり降り注ぐ気持ちの良い空間ですが、エントランス、ロビーといった一般的機能に加え、ワーキングスペース、ライブラリー、カフェなど多目的な使用が想定されています。八戸市美術館は作品の鑑賞を目的とした従来型の美術館から脱し、流行りの言葉で言えばラーニングを活動の根幹に据えて、その成果としての展示を諸室で展開させていくようですが、その象徴的空間として「ジャイアントルーム」は強い存在感を有していました。観客参加型、インタラクティブなコミュニケーションを重視するいまのアートの潮流と正面から向き合うための新しい美術館のかたち。コロナ禍ということもあり、まだ本格稼働という状態ではなかったけれど、囲いから可動壁や高所作業用のはしごの頭がちらっと見えたり、ディスカッションのメモがそのまま残されているなど、バックヤード的な状況が美術館の最前面に押し出されているのはとても新鮮でした。
こうしたアートの「工場」、モノやコトが起こる「現場」がどこまでも地域に根差したものとなるために、活動のメソッドもまた地域に即したものが開発されていくことに期待したい。中央の視点から地域を捉えようとした時点で、真の意味でのローカルは消失していくのではないか、と九州に生まれ育ち、東北に移り住んだ「隅っこ暮らし」の僕はすぐ心配になっちゃうんです(「地方創生」のためのコンサルの多くが大都市に拠点を構えていることに誰も疑問感じないのかなあ、とかね。あくまで個人の見解ですが)。だからこそ八戸市美術館には市の直営による管理と、常勤の専門職を配置するといういまの体制を維持し続けてほしいと願っています。
あらゆる変容のなかで
帰りの車の中で、美術館のあり方もアートや社会の流れに即して変容していくんだなあ、とぼんやり考えていました。コロナ禍は社会を変えていく絶好の機会でもあるから、すぐ流行りに抗ってしまう了見の狭い僕のようなオールドタイプの学芸員はこの際淘汰されるべきだろうという結論に至りました。観客としても、僕はひとりで作品とじっくり向き合う、昔ながらの鑑賞スタイルが大好き。作品をより深く理解したいとは思うけど、集ったり語り合ったり、共に学んだりするのはちょっと苦手。これは世代ではなく、個の資質の問題なのでしょう。いくら歳をとっても時流にうまく乗ってる人もたくさんいますしね。
そういえば学芸員として、僕は集客を目的とする巡回パッケージ展を一度も担当したことがありません。自分がまったく関心もないものを、きちんと展覧会として見せられる自信がないし、加えて他所でつくられた展覧会を青森でやる必然性も見出せないからです。
青森県立美術館では「出会い」をテーマにした「ラブラブショー」(コンセプトが気に入ったので、不入りだったにもかかわらず2回も開催)や、空と飛行機をテーマにした自主企画を担当。さらに、島根県立石見美術館の川西由里さん、元静岡県立美術館で現在は東京藝術大学大学美術館に在籍する村上敬さんと3人で「トリメガ研究所」というチームをつくって開催した「ロボット」、「美少女」、「めがね」の展覧会、そしてウルトラ怪獣をデザインした彫刻家の成田亨さん、アニメーション監督の富野由悠季さんの展覧会を福岡市美術館の山口洋三さんをはじめ全国の同じ趣味趣向を持つ仲間と一緒に企画させてもらいました。他館や台湾の美術館から依頼され、海洋堂のフィギュア、タミヤやバンダイのプラモデルを通して日本文化を捉え直す展示をキュレーションできたのもいい思い出です。
このように僕が大好きなもの、やりたかったものはほぼ展覧会にすることができました。僕の偏った心的固着はたとえ少数であっても共有できる人がいるはず(想像力のない僕は、顔の見えない「みんな」を想定して物事を考えることはできないのです)。そういう人たちに向けて展覧会をつくり、美術、アニメ、音楽、模型、デザインなどさまざまな表現を横断しながら、それぞれの表現に写し込まれた時代性や社会性、人々の意識のありようを探り、ジャンルを越えた表現の相互性について考察することを専らとしてきました。数えてみると青森県立美術館だけでも2006年の開館から16年間で自主企画、共同企画展を12本もやらせてもらえたし、コレクション展でもさまざまな小企画を打ち出せたし、昨年の夏は学芸員になって初めて手がけたタイガー立石さんの回顧展に再び関わることができたので、まるで円環が完成したような気持ちになっていたのは前回も書いたとおりです。さらに、コロナ禍で人との接触の機会がぐんと減ったら、不特定多数の人とつながることまで億劫になってしまった次第(SNSが不気味で強制的なネットワークのようにも感じられ、一切を止めたら心まですっかり健康になったというオチまでつきました)。そろそろ展覧会屋としての仕事は潮時かなあと思っていましたが、八戸市美術館を見て、それは確信に変わりました。
そんな折、まるで狙いすましたかのようにartscape編集部から連載終了の通告が。そりゃ毎回〆切守らないし、しかも前回は〆切そのものを失念して編集のスケジュールを大きく狂わせてしまったんだから、当然と言えば当然のこと。毎度毎度の痴れ言でアクセス数が少ないことも容易に察しがつくし(でも広く漫然と読まれるより、ひとりでもいいからニヤリとしてくれるものを書きたいんですよね。と言いつつ、誰ひとりいなさそうな気も)、むしろ2011年から10年以上の長きにわたって掲載の機会をいただけたことにすごく感謝しています。しかし一方ではもっと早くに若い世代へ席を譲るべきだったと反省することしきり。ダラダラとくだを巻くおっさんより、いまにしっかりとコミットし、そこからより良き未来を志向していく柔軟でしなやかな人の視点が何よりも求められる時代だと思うから。
なんてことを言いつつ、学芸員の仕事は展覧会だけじゃないし、いろいろ溜まっている案件もあるので、とりあえずもう少しだけ学芸稼業は続けるつもりです。でも、学芸員だけで終わる人生もいやなので、もうひとつくらい新しい仕事も経験してみたいなあ、と思案しているところです。 だから、きっとまた会えるでしょう、いつかある晴れた日に。
大洲大作「Loop Line」
会期:2022年1月29日(土)~2月23日(水・祝)
会場:eitoeiko(東京都新宿区矢来町32-2)
公式サイト:http://www.eitoeiko.com/picture/etc/LoopLine_JP.pdf
赤羽史亮「Rotten Symphony」
会期:2022年1月29日(土)~2月27日(日)
会場:CAVE-AYUMIGALLERY(東京都新宿区矢来町114 高橋ビルB2F)
公式サイト:https://caveayumigallery.tokyo/FumiakiAkahane_RottenSymphony
開館記念 ギフト、ギフト、
会期:2021年11月3日(水)~2月20日(日)
会場:八戸市美術館(青森県八戸市番町10-4)
公式サイト:https://hachinohe-art-museum.jp/project/1452/
※工藤健志学芸員の過去の執筆記事一覧はこちら。