キュレーターズノート
#ResidenciesWithoutBordersの取り組み
勝冶真美(京都市アーティスト・イン・レジデンス連携拠点事業コーディネーター)
2022年06月01日号
対象美術館
ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって3カ月。ウクライナの人口の約4分の1、1400万人以上がウクライナ国内外で避難を強いられ、日本に避難した人は1040人を数える(5月22日現在)。いまだ先が見えない状況のなか、長期化すれば人々の関心も薄らぐ。政治に左右されない立場で、長期的に、ウクライナだけではなくさまざまな紛争地等から避難するアーティストを支援していこうとする動きが日本でも始まっている。(artscape編集部)
#ResidenciesWithoutBordersのはじまり
ロシアによるウクライナ侵攻の報があったのが2月24日。不穏な空気が充満するなか、事業や日々の業務に追われていた3月4日、松戸市でアーティスト・イン・レジデンスのプログラムをしているPARADISE AIR(以下、PAIR)の森純平さんとアーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/ エイト]の東海林慎太郎さんからメールをいただいた。
欧州では戦火となり、毎日心が痛いですね。
こうした中、最近のメールニュースによればフィンランドのHIAP と、またベルリンでも、戦争で影響を受けたアーティストをレジデンスで受け入れているようですね。
日本も難民受け入れの一時拡大を発表した、とニュースで聞きました。
PAIRの森さんと話しをしていて、森さんのアイデアなのですが、国内のAIRで同じように戦争が活動に影響しているアーティスト(キュレーター/クリエーターなど)をレジデンスで迎えるという緊急策が立てられないかなと思っています。こうした場合、場所をすでに持っているところが中心になるかと思うのですが、例えば天神山・ACACには、森さんが感触を聞いてくださるようです。(中略)
どうしたらネットワークを活用しながらできるかなどお話しできましたら。
お二人に加え、さっぽろ天神山アートスタジオの小田井真美さん、青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)慶野結香さん、インディペンデントキュレーターの長谷川新さんがすでに始めていた議論に加わるかたちで、3月10日に打ち合わせをもった。
その後、さまざまな議論を経て4月20日に、京都市が運営(京都芸術センター〈公益財団法人京都市芸術文化協会〉が企画運営を受託)する、日本全国のアーティスト・イン・レジデンス総合サイト「AIR_J」で#ResidenciesWithoutBorders(通称「TOUCH JAPAN」)をリリースした。メッセージは以下のとおりである。
いまほど国境によって創造的活動のための移動が妨げられている状況はありません。日常生活と、何よりも命が失われていく世界に直面し、日本にいる私たちは互いに寄り添うことの大切さを一層感じています。私たちは、いかなる国家間の争いの影響にながされることなく、これまでとかわらず全てのアーティスト、アート関係者に対して、平穏な日常生活、制作活動の場を提供したいと考えています。
大きく揺らぐ世界情勢のなか、こうした議論に参加し、同じように賛同を示し態度を表明した日本のAIRとその運営者、関係者は、日本に滞在を希望するアーティストからの相談や問合せ、提案を受け付け、AIRの紹介をはじめ、滞在に関してできる限りのサポートをします。
ResidenciesWithoutBorders 賛同者一同
侵攻が始まった直後から、各芸術機関ではウクライナ支援が表明され、それぞれの方法でこの状況に応答してきた
。日本では、美術評論家連盟が国際美術評論家連盟の声明に賛同を示すメッセージが掲出され 、多くの留学生を受け入れてきた芸術系大学でもウクライナ人学生への特別措置や、ウクライナ・ロシア双方からの留学生が安心して留学生活を送れるようなサポート体制が敷かれるなどの対応があった 。こうしたなか、アーティスト・イン・レジデンスのプラットフォームとしてどのようなメッセージを出すべきなのか、上述の有志間で意見交換するなかで出てきたのは「長期的」「実際的」というキーワードだ。
日ごろから場をもち、アーティストとともに制作や生活を共にするアーティスト・イン・レジデンスとしては、「日常から逃れ、安心して芸術活動ができる場を提供」することは、なにもこの非常時だけのことではなく、まさにこれまでしてきたことそのものであり、そしてそれは非常時でも変わらず開かれているのだということが伝わるメッセージにしたいと考えた。
切り離されるアーティストたち(いかに支援できるのか)
筆者としては、今回のメッセージを「ウクライナへの支援」だけではなく(もちろんロシア政府によるウクライナ戦争は許されないというのは前提として)、さらに広い視野でのメッセージとできないか、と考えていた。というのも前日談があり、京都芸術センターでは当時、オンラインでのレジデンスプログラムを実施していたのだが
、4名の参加者のなかにはロシア在住者もいた。すでに1カ月以上プログラムに参加していただいており、作品も制作中、3月下旬にはロシアで制作した作品を日本へ輸送し、成果発表展をする予定であったのだが、プログラム途中で戦争が起きたため、輸送ルートは絶たれ、SWIFT停止などの経済制裁の影響で支払う予定であった制作費も送金できない事態となっていた。チェコ共和国、イギリス、アメリカ在住のほかの3組は問題なくプログラムを完了したのに対し、本人の意思とは関係なく、否応なく国際的な活動の場から切り離されていくロシア人アーティストの状況を目の当たりにしたことは、この戦争の広範な影響について考えるきっかけとなった。こうした、危険にさらされているアーティストへの人道支援にいち早く取り組んでいたのがArtist at Riskだ。2013年にフィンランドで設立されたArtist at Riskは、さまざまな理由で迫害や弾圧の危険にさらされている、あるいは戦争やテロから逃れているアーティストを支援するためのネットワークである。彼らの実施するプログラムのひとつ「AR-Residencies」の趣旨に賛同した世界各地のレジデンス施設と連携し、表現の自由の権利を行使したために迫害の危機に直面するアーティストに対し、一時的に安全な場所としてレジデンスプログラムを提供するもので、ウクライナ戦争以前には19カ国で26以上のAR-Residencesを実施していた。これまでにアフガニスタン、エジプト、ケニア、シリア、ベトナム、トルコなどのアーティストを支援している。
ウクライナ戦争後はヨーロッパで500以上のホスト機関がこのプラットフォームに参加し、ウクライナから800人以上、ロシアとベラルーシから250人の迫害、投獄、拷問などの危険にさらされている芸術家をサポートしているという。
Artist at Riskのこれまでの実績が示すとおり、残念ながら今回のウクライナ戦争のような悲劇はこれまでも存在し、またこれからも起こりうる。だからこそ、#ResidenciesWithoutBordersの取り組みは、長期的に行なわれていく必要があると考えている。
TOUCH JAPAN
最後に、#ResidenciesWithoutBordersの現況を報告したい。現在、代表窓口を経由した問い合わせは6件となっており、うちいくつかのマッチングが行なわれている。PAIRでは7月よりウクライナ人アーティストを受け入れる予定で調整が進められている。PAIRでの受け入れ可能期間終了後も引き続き別の団体で受け入れ可能か有志間で検討されているところだ。こうしたやりとりは結果として私たちのネットワークをより強固にしていくだろう。
新型コロナウイルスによるパンデミックが起きた際は、移動しなくても可能な芸術活動の在り方を考えていたはずなのに、今後は移動せざるを得なくなった人々のための仕組みづくりを考えるという、目まぐるしい動きとなったわけだが、つまるところは「すべての表現活動を行なう人びとが、安心して創作ができる環境を提供したい」というシンプルなモチベーションであることには変わりがない。始まったばかりの取り組みだが、緩やかな連携による持続性と、個別の相談状況に寄り添えるような有機性をもって続けていきたい。
公式サイト:https://air-j.info/residence/residencieswithoutborders/
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