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スタッフエントランスから入るミュージアム(5)美術図書室司書──もうひとつの収蔵品の案内人
岩田郁子(東京都現代美術館 美術図書室司書)/坂口千秋(アートライター)
2021年09月15日号
対象美術館
東京都現代美術館(以下、MOT)の美術図書室に行かれたことはあるだろうか。都内の美術館附属の図書室のなかでは歴史が古く、2019年のリニューアル・オープン時には、スタイリッシュな内装に生まれ変わった。さて、美術館の図書室とは一般の公共図書館とどのように違うのだろうか。バックヤードをたずねてみると、図書室はまさに美術館の内臓のようなところだった。スタッフエントランスからミュージアムの奥に入り、知られざる「アートの仕事人」に出会うシリーズ、第5回目は美術館の図書室司書の仕事を紹介します。(artscape編集部)
東京都現代美術館 美術図書室司書 岩田郁子さん
美術に関するあらゆる印刷物を収集
──美術館で展覧会をよく見る方でも、図書室まで利用する方は少ないかもしれません。まずはどんな特色があるか教えてください。
岩田郁子(以下、岩田)──MOTの美術図書室は、約27万冊の蔵書を持つ日本最大級の美術専門図書室です。近現代の美術に関する図書や展覧会カタログ、美術雑誌などを収集保存していて、どなたでも無料でご利用いただけます。特に美術館関係の資料が充実していて、特別文庫や創作版画誌をはじめとする貴重な資料群が多いのも特徴です。美術館内に併設された図書室は国内にいくつかありますが、これだけ大規模で、しかも誰にでも公開している機関というのは珍しいと思います。
──どのようにしてこれだけの蔵書が集まってくるのでしょう?
岩田──1995年にMOTが設立されたときに、それまで上野の東京都美術館美術図書室で所蔵されていた図書資料も当室に移管されました。前身の東京府美術館(1926年開館)時代も含めた寄贈資料が原点となっています。美術館関係の資料については、国内の美術館とカタログや年報・紀要などの資料を交換で寄贈いただいているので、継続して集まってきます。司書が調べたり、学芸員のリクエストに応じて購入したり、古いものは古書店から買い付けたりもします。閲覧に出すとどうしても本が傷むので、可能なものは、保存・閲覧用に3冊まで受け入れます。年間で数千冊の本が集まりますが、一度収集したものは原則としてすべて保管するという方針です。
──先ほど見せていただいた閉架書庫も美術館収蔵庫並の広さで驚きました。
岩田──展覧会カタログも一度なくなってしまうと収集が難しいものが多く、実際、東日本大震災で資料がなくなってしまって当室にだけ残ったということもありました。また、休刊した雑誌や全国の美術館のポスターやチラシ等の印刷物も保管しています。展覧会チラシ、ポスター、ダイレクトメールなどは、一般の書籍と区別して非図書資料と呼びます。古い展覧会チラシの場合、開催館でも保存していないことがあったり、ときには美術館自体が廃館している場合もありますので、これも貴重な資料です。非図書資料は図書館用語で「エフェメラ」といいます。これは昆虫のカゲロウのように儚い存在という意味です。
──美術に関するあらゆる印刷物が保存されているのですね。どのような方が図書室を利用していますか?
岩田──美術関係者や研究者をはじめ、展覧会を見に来られた方、木場公園が近いので散歩のついでに立ち寄る方、子どもからリタイアされた方々まで、本当にさまざまな方にご利用いただいています。2019年のリニューアル・オープンで図書室も利用しやすいように大改装したのですが、このコロナの状況で、残念ながら現在は予約制となっています。
「こどもとしょしつ」「メディアブース」、デジタルアーカイブ
──リニューアルではどのような点が変わりましたか?
岩田──「こどもとしょしつ」を新設しました。当室では、作家が書いた絵本や作家を題材にした子ども向けの伝記や子ども向けの美術史など、子どものための美術資料を以前から積極的に収集していたのですが、一般閲覧室だとお子さん連れの方が気おくれしてしまいがちなので、入口付近に「こどもとしょしつ」を独立させて気軽にご利用いただけるようにしました。
また、デジタルメディアとオンラインデータベースを閲覧するための「メディアブース」も新設しました。著作権の関係でインターネットに載せられないものや、保存と閲覧の便宜を図る意味で、貴重で触ることができない資料などを撮影して館内限定で公開しています。
──カウンターで人と接する裏で司書のお仕事はたくさんあるのですね。
岩田──閲覧のカウンター業務と書架の整頓、資料目録の整理と蔵書検索サイトへの公開準備、新規受け入れ資料の選定をはじめ、デジタルアーカイブの準備、リサーチ、傷んだ本の修復など、たくさんの業務があって、それを私を含めて司書6人が持ち回りで手がけています。
──司書のお仕事のなかでも専門分野はありますか?
岩田──最初から専門を決めて入ってくる人はあまりいません。何年か働いて基本的な仕事を覚えてから、それぞれの得意な分野の専門性を身につけていきます。自分の職場だけだと得られる情報が少ないので、研究会に参加したり講義を聞いたり、ほかの施設の司書と意見交換をするなどもして学びます。
──岩田さんご自身のご専門はどのあたりですか?
岩田──戦前大正期の美術、古いものを図書館のなかで主に受けもっています。また、デジタルアーカイブにも取り組んでいるところです。
──デジタルアーカイブに力を入れようと思ったのはなぜですか?
岩田──2015年にある学会に出席したとき、美術作品のデジタルアーカイブ化を進めようという動きが盛り上がっていました。図書室でもできるかもしれないと思い提案して、保存のための高精細な撮影からはじめ、その後インターネット公開もできるようにしていきました。現在は戦前期のものが中心ですが、現代の作家の自筆の日記やドローイングなどもデジタル化したいと思っています。現在、限定公開中の創作版画誌もリニューアル期間中に一気に撮影しました。よく「休館中は何をしているんですか?」と聞かれるのですが、休館中こそやることは多いんですね。デジタルアーカイブ化が進み一般公開することで、さらに研究が進めばと思っています。
本は美術館のもうひとつの収蔵品
──岩田さんが現在の仕事に就くようになった経緯を教えてください。
岩田──文化や芸術に携わる仕事をしたくて、大学と大学院では芸術学を専攻しましたが、もともと文献を整理するのが好きで、論文を書くときなどに自分で図書カードをつくったりしていたんです。それで司書の仕事に興味を持って、学芸員の資格をとったあとで別の大学で司書の資格をとり、公共図書館に勤めました。その後、出版社や博物館などでも働いたのですが、美術への興味はあったので、こちらの司書の募集があったときに応募したんです。
──美術と分類に興味があった。まさに天職のようです。岩田さんのように学芸員の資格を持っている司書は美術図書室には多いのですか?
岩田──たまにいますが、司書はジャンルを問わず本を相手にする仕事なので、公共図書館の司書を目指して資格を取る人が多いです。
──資格が現場で役に立つこともありますか?
岩田──はい。ふつうの美術館では収蔵庫に入っているような一点物の自筆資料なども図書室に所蔵しているため、他の美術館から出品依頼をいただくことがよくあります。その窓口は私が担当しているのですが、創作版画誌などオリジナルの版画作品が入っているものもあり、ただの図書資料ではなく美術作品と同じ価値を持つものとして取り扱っています。そこで博物館学芸員の資格が生かされていると感じます。たまに、本だからと、気軽に電車で運ぼうとする話もあるのですが、紛失などの事故がないように保険をかけて美術専用車で運ぶようにお願いしています。
──いままでの経験で心に残った出来事はありますか?
岩田──2017年に美術家の柳瀬正夢(1900-1945)の旧宅から見つかった戦前の資料の寄贈を受けたことです。当室には柳瀬の旧蔵図書と自筆のノートやスケッチブックを中心とした「柳瀬文庫」という特別文庫があったのですが、それに追加するかたちで大量の図書や雑誌を受け入れることができました。それは当時は発禁処分となっていたもので、隠し棚のような空間にしまわれていたおかげで、色が劣化せずに戦前のものとは思えないほど良い状態で残っていたものもあったんです。
──それはどのように発見されたのですか?
岩田──壁を壊した際に偶然見つかったんです。以前私がデジタルアーカイブ化を進めるために柳瀬さんの御遺族とやりとりをしていたことがあったので、追加寄贈したいというお話を御遺族からいただきました。
──戦前の厳しい思想弾圧や言論統制下での表現が、こうして発見されて保存されていく。美術図書館司書のミッションの高さを感じました。
収集、研究、展示──学芸員との連携
──美術図書室の司書と学芸員とはどのように連携していますか?
岩田──学芸員は美術の専門家ですから、参考文献の調査に長けています。現代美術においては、ジャンルや国と地域がますます多岐に渡るので、学芸員からのリクエストや展覧会を通して作家や文献を知ることも多いです。専門家の目を通しているので資料収集の面でも助かりますし、それが当室を利用する研究者の役にも立つというわけです。逆に、司書からこんなものがあったよと学芸員に伝えることもあります。学芸員との協力関係は大事だと思います。
──2019年のリニューアル・オープン記念展「百年の編み手たち ─流動する日本の近現代美術─」では、図書室の創作版画誌や特別文庫など戦前からの貴重な資料が多く紹介されていました。あれは学芸員との協働作業だったのですか?
岩田──はい。出品作品選びや展示方法など、お互いのアイデアを出しながらの良い作業でした。展示することで大きな反響がありましたし、紹介してくれた学芸員に感謝しています。
静的でかつ先進的でもある図書室のあり方
──展示室だけではないパブリックスペースとしてのミュージアムの役割がひろがるなかで、美術館の図書室と司書の役割も変わっていくと思いますか?
岩田──美術に関する資料を収集して閲覧してもらう、という基本的な役割は変わらないと思います。図書館業界でもデジタル化とウェブ閲覧、検索連携の流れが進んでいて、当室でもデジタルアーカイブのコンテンツを増やして公開することに力を入れたいです。一方で、リアルな図書ならではの魅力も伝えたい。蔵書検索だけを見ていても本の魅力は伝えきれないので、本の紹介にもっと力を入れたいです。展覧会の企画と合わせて紹介したり、本という媒体自体に魅力を感じているアーティストのアイデアを展開することもできるでしょう。2019年の「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展
のときは、皆川さんが本好きでご本人からお申し出があって、皆川さんがコレクションごとに出すインビテーションを図書室で展示しました。──エフェメラですね。インビテーションは絶対に思い入れがあってつくられるものですから、それを丁寧に見せることが作家の世界をより深く知ることにも繋がりますね。
展覧会は有料でも図書室は無料ですから、美術図書室は美術に触れるきっかけをつくる大切な場所なのだと感じました。
──最後に、美術館の図書館司書になるにはどんなスキルや資質が必要でしょうか?
岩田──まず図書館司書資格は必須です。美術の知識も必要ですが、専門家ではない一般の方と接する公共図書室としてのコミュニケーション力も必要です。また最近は図書業界でも蔵書情報の国際的なデータベース化が進んでいますので、これまで以上にITリテラシーや語学スキルが求められます。定期的に求人がある職種ではないので、他業種で経験を積みながら採用情報を収集してもいいと思います。最近では司書とは別に、広く資料を扱う「アーキビスト」という職も注目されていて、課程や資格もあります。将来役に立ちそうな科目や資格があったら無理のない範囲で取得を目指してはいかがでしょう。図書館職員は本が好きでおとなしい印象があるかもしれませんが、変化に対応して新しいことを採り入れる積極性が必要な仕事だと感じています。
東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1
美術図書室:https://www.mot-art-museum.jp/library/
*新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、美術図書室は当面の間、事前予約制。詳細は美術館ウェブサイトでご確認ください
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