2021年10月15日号
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中村正義《舞妓》──反逆するプリミティブな日本画「大野俊治」

影山幸一

2011年11月15日号

反画壇

 1955年、正義は鷹野あやと再婚し、翌年長女の倫子(のりこ)が誕生した。1960年、36歳という若さでは異例の日展審査員となった。しかし翌年思いもよらない岳陵の権威主義に反発し、蒼野社を辞め、日展も脱会。以降、無所属の画家として、三上誠や星野らが1948年に結成した反権力・反体制の立場を表明した「パンリアル美術協会」を意識しながら、反画壇の活動を開始した。1963年正義の発案により加山又造、横山操、星野眞吾らと「日本画研究会」を発足。ポップな黄色い《舞妓》は、この時期に制作している。
 すでに日本画として形骸化していた舞妓というモチーフを使って、生身の人間を描いている。日本画としては邪道な表現である。日展を脱退した後の制作時期から推測すると、日展や既成画壇に対する反逆の表明として、古い体質そのものを打ち破る強いイメージで意図的に制作したと思われ、油絵具の上から日本画の顔料をねじ伏せるように定着させるなどセオリーは度外視、と大野氏は言う。
 1974年には星野らとともに同じ傾向の異色画家7人と、社会的な意識の高い前衛画家によるグループ「从会」を結成、画壇の縦系列を廃止して、人は平等を旨とした。そして1975年正義は日展に対抗する「東京展」の事務局長となり、東京都美術館で展覧会を開催。日本画の枠を超え、絵画の枠も超え、画題的にも画材的にも多様多彩な絵画を遺し、1977年肺癌により52歳で夭逝した。多元的にクリエイティブで、策略は練るが根はピュアな正義。若い作家を奨励し、援助もした。男女問わず誰もが惚れ込んでしまう魅力があると大野氏は言う。日本画壇の奇才や異端、風雲児などと呼ばれた。

【舞妓の見方】

(1)モチーフ

舞妓。日本画家が扱う代表的なモチーフのひとつ。

(2)題名

舞妓。「女」という題名で展覧会に出品していた時期があるが、加筆し、「舞妓」に変えた。

(3)制作年

1963年。

(4)構図

人体をこけし人形のようにとらえ、腰から上部の正面を画面の真ん中に配置。

(5)色

黄と紫、赤と緑、青と橙など、意図的に補色を使い、さらにショッキングピンクにより鑑賞者の目を引き付けている。

(6)描法

描き始める前にでき上がったイメージが鮮明にあり、そこに向かってあらゆる手法を用いて、自己流に大胆な筆致でダイナミックに描いている。顔の部分は、絵具のチューブから絵具を直接出して凸凹に盛り上げて描いているが、画面全体はフラットに見える。

(7)サイズ

縦90.9×横72.9cm。

(8)画材

和紙と絵具。絵具はアクリル絵具や油絵具、蛍光塗料など日本画の画材以外の素材と思われる。

(9)サイン

画面左下に「正義 NAKAMURA」と記載。海外で展示するため、黒い漢字と赤いローマ字を組み合わせて完成の印とした。日本文化としての文字、日本画の様式としての落款という意識かもしれない。

(10)鑑賞のポイント

ポイントは「顔」。人間の奥底にある感情が表層に出た時の、揺れ動く顔の機微を土俗的な顔として表わしている。山形県米沢に伝わる相良人形やこけし、土人形など古い郷土玩具をヒントに、滅びゆく美しさを求めて、舞妓という高級的な概念を、原初的なたくましさに置き換えている。わび・さびを含む、時間を経た強靭さと重厚感を内在させ、一方で単純な形態と円や十字など幾何学模様や明るい色彩が、はかなくポップな軽みを強調している。この真逆の同居が正義の特徴。

  • 中村正義《舞妓》──反逆するプリミティブな日本画「大野俊治」

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