矛盾した世界
大野氏は「中村正義の不孝は、病魔と闘いながら因習的日本画壇に対決を挑み、自らが反権力のリーダーとしてさまざまな実験的企てを試みたが故に、ドラマティックな生きざまが先行し、ひとつの時代を象徴するエポックとしてカリスマ的人物像が語られてきたことだ」と言う。「さらに問題なのは、正義の画業を俯瞰するとき、さまざまな主題が一見何の脈絡もなく、断片的に表われては消えるという一貫性の欠如と、振幅の激しさによる危険性が指摘されたことで、晩年の作品群に至っては、難解な内的幻視世界に支配され、現実と非現実が複雑に交錯して謎を孕んでしまったことだ」と語った。
ある人は正義の《風景》がよいといい、ある人は《源平海戦絵巻》、またある人は《うしろの人》がよいと言う。顔にこだわり、晩年には大首絵の謎の絵師・東洲斎写楽を研究した正義。
あってないような幻のような日本画を求めて、日本画という表現がどこまで耐えられるのか、あらゆる可能性を探求し、日本画というものを「これが日本画なんだ」と正義は実感したかったのだろう。画風や画材をめまぐるしく変えて5,000点を超える大量の作品を制作していった正義。その多様な作品を見ると、これが日本画の世界なのだろうと思えてくる。曖昧ですべてを受け入れつつも、何かに抵抗している矛盾した絵画世界。正義はこの矛盾した絵画をすべて体験した日本画家ではなかったか。
正義の映画『父をめぐる旅─異才の日本画家・中村正義の生涯─』が来春公開される予定である。
主な日本の画家年表
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大野俊治(おおの・しゅんじ)
豊橋市美術博物館主任学芸員。画家。1952年愛知県豊橋市生まれ。1971年大阪芸術大学美術学科入学、1975年同大学卒業。同年高校で美術の非常勤講師、1976年美術研修のため渡仏。1978年豊橋市美術博物館準備室、1979年より豊橋市美術博物館学芸員、現在に至る。専門:近現代美術。从会会員。個展・グループ展多数出品。主な監修:「開館記念特別展 日本画家五人展」(桜ケ丘ミュージアム, 1994), 「星野眞吾展」(豊橋市美術博物館・新潟市美術館, 1996), 「没後20年─中村正義展」(豊橋市美術博物館・川崎市市民ミュージアム・新潟市美術館, 1997)。主な論文・記事:「中村正義《男と女》」『昭和の美術 第4巻』(毎日新聞社, 1990)、「中村正義と从会の作家達」『月刊美術』No.211(サン・アート, 1993)、「現代日本画の変革者─日本画家・中村正義」『人物で語る東海の昭和文化史』(風媒社, 1996)など。
中村正義(なかむら・まさよし)
日本画家。1924〜1977年。愛知県豊橋市生まれ。1941年豊橋市商業学校中退。1946年中村岳陵に師事し、蒼野社に入門。《斜陽》で日展に初入選。1947年《爽涼》が院展に初入選。1949年一采社同人。1950年中日美術教室開設。1960年日展審査員。1961年蒼野社と日展を脱退。1963年舞台美術制作、映画用作品制作。1964年「日本画研究会」発足。1970年研究書『写楽』発行。1974年从会結成。1975年事務局長として第1回東京展開催。1977年肺癌のため逝去。主な受賞:朝倉賞・白壽賞(1952)、豊橋文化賞(1953)、中日文化賞(1960)。作品:《風景》《斜陽》《谿泉》《空華》《女》《舞妓》《舞子》《男と女》《おねえちゃん》《《源平海戦絵巻》《顔》《観世音菩薩》《うしろの人》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:舞妓。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:中村正義, 1963年, 紙本着彩・額装, 90.9×72.9cm, 中村正義の美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:中村正義の美術館。日付:2011.11.5。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 350dpi, RGB 8bit, 17.0MB。資源識別子:Kodak 247。情報源:中村正義の美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:中村正義の美術館
【画像製作レポート】
「中村正義の美術館」より著作権の承諾書を得て、《舞妓》4×5カラーポジフィルム(Kodak 247)、《斜陽》4×5カラーポジフィルム(Kodak 126)、《女》〔赤い舞妓〕4×5カラーポジフィルム(Kodak 1043)、《舞妓》〔白い舞妓〕4×5カラーポジフィルム(Kodak EPY 7741)、《舞子》〔黒い舞妓〕6×9ブローニーカラーポジフィルム(FUJICHROME-RFP 2‐3)の5点を送付してもらった。
メインのポップな黄色い《舞妓》は、印刷会社にてポジフィルムを350dpi, 20MB(8bit)にスキャニングし、TIFFファイルに保存。その他4点は、350dpi, 5MB(8bit)で、JPEGファイルに保存。合計5, 985円。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、《舞妓》画像の色調整作業に入る。モニターに表示したカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイドを参照しながら、目視により色を合せる。時計回りに0.3度回転し、作品の淵に合わせて切り抜く。Photoshop形式:17.0MBに保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。
セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
針生一郎「業執の芸術家中村正義」『中村正義画集』中村正義画集刊行委員会編, pp.163-175, 1981.10.1, 講談社
図録『中村正義展』1983, 神奈川県立近代美術館
菊屋吉生「戦後日本画変革の戦士たち」『風土と伝統の見直し 戦後日本画変革の戦士たち』パンフレット, 1986, 西武百貨店池袋店 ザ・コンテンポラリー・アートギャラリー
図録『異端から正道へ・深遠なる精神世界 中村正義展』1989, 西武百貨店池袋店 西武アート・フォーラム
大野俊治「生と死の狭間で──人間(ひと)であることへの執念──」『久遠の時に生きる 中村正義展』図録, 1991, 西武百貨店豊橋店
図録『没後20年─中村正義展』1997, 中日新聞社
中村正義『創造は醜なり』1998.9.23, 美術出版社
大野俊治「从前・从後〜中村正義・星野眞吾を中心に追う〜」『中村正義と交友の画家たち展─从会創立の頃』図録, pp.6-8, 2002, 刈谷市美術館
Webサイト:「中村正義─100枚の自画像」『美の巨人たち』2005(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/051210/)2011.11.9
大野俊治「発見された中村正義の絵」『豊橋市美術博物館研究紀要』第15号, pp.8-9, 2007.3.31, 豊橋市美術博物館
丸地加奈子「中村正義 星野眞吾 異端の系譜〜呪力を持つ絵画」『REAR』No.17, pp.6-9, 2007.9.1, リア制作室
笹木繁男「中村正義《舞妓》の発見」『jaic会報12』pp.4-6, 2008.2.8, 日本美術情報センター
図録『中村正義の美術館』2009.3.6, 中村正義の美術館
笹木繁男「正義の風景画」『jaic会報19』p.6, 2010.2.26, 日本美術情報センター
大野俊治「中村正義作品に纏わるエピソード」『豊橋市美術博物館研究紀要』第17号, pp.2-7, 2011.3.31, 豊橋市美術博物館
山田 諭「限りなく変貌を続ける絵画─中村正義の芸術について─」『日本画壇の風雲児 中村正義 新たなる全貌』図録, pp.8-16, 2011, 中日新聞社
Webサイト:「中村正義」『豊橋市美術博物館』(http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/art/nakamura-m.html)2011.11.9
2011年11月