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アート・アーカイブ探求

古賀春江《海》──空想のユートピアを超えるために「大谷省吾」

影山幸一

2012年02月15日号

【海の見方】

(1)モチーフ

海、空、女性(アメリカの女優グロリア・スワンソン)、工場(ドイツ)、飛行船(ドイツのツェッペリン号)、潜水艦(フランスの雑誌「La Nature」)、帆船、灯台、鳥、魚、海老、海藻など。

(2)構図

絵葉書や雑誌『科学画報』『科学知識』などから、時代を象徴するイメージをコラージュして画面に配置。

(3)サイズ

100号(130.0×162.5cm)。

(4)色彩

多色。

(5)画材

キャンバス、油彩。

(6)技法

既成のイメージを引用し、それらを写実的にキャンバスへ写しつつ、モンタージュ技法により組み合わせ、ひとつの画面を創り出す。表面の絵具は、筆跡が自己主張しないフラットな薄塗り。

(7)制作年

1929(昭和4)年。

(8)タイトル

海。この作品はシンプルなタイトルだが、翌年あたりから前衛詩人との交流が増えて凝ったタイトルが付けられていく。

(9)サイン

右下に「HARUÉ KOGA」。

(10)鑑賞のポイント

生物と機械、空と海、丸と四角、垂直と水平、立体と平面、硬質と軟質、不変と可変、新と旧、白と黒、明と暗、内と外など、対極のモチーフを拡大縮小を考慮しながら対比させ、画面に複数の視点が共存する構造をつくっている。アンドレ・ブルトンらが気付いた、二つの事柄の間で偶然に生起するイメージが、感動の力と詩の現実性をもつことに古賀も触発されたのかもしれない。また右手を高々と上げた堂々たるモダンガールは新しい時代の象徴で、大地と海と空をつなげて健康的。モダンガール、飛行船、工場、潜水艦と絵の周辺から反時計回りに見始めていき、鳥や魚など細部へ視点を移す。そして灯台や煙突の上へ行くベクトル、水平線に浮かぶブイなどから下へ行くベクトルに注目しながら、海の中の運動や水温を想像してみよう。古賀自身による解題詩と呼応して、ぐるぐると回る感じがする。古賀にとって理想的な社会像をいくぶん楽天的に描いている。機械文明の進歩を肯定しているのか否定しているのか、簡単にこうだとは言えない。言ってしまうとどちらも間違いになってしまう。




透明なる鋭い水色。藍。紫。
見透される現實。陸地は海の中にある。
辷(すべ)る物體。海水。潜水艦。帆前船。
北緯五十度。

海水衣の女。物の凡てを海の魚族に縛(つな)ぐもの。
萌える新しい匂ひの海藻。

獨逸最新式潜水艦の鋼鐵製室の中で、
艦長は鳩のやうな鳥を愛したかもしれない。
聽音器に突きあたる直線的な音。

モーターは廻る。廻る。
起重機の風の中の顔。
魚等は彼等の進路を圖る──彼等は空虚の距離を充塡するだらう──

雙眼鏡を取り給へ。地球はぐるつと廻つて全景を見透される。

(『古賀春江畫集』第一書房、1931年より)

“メディアの絵”

 《海》のなかで最も大きく描かれているモダンガール。このモデルが誰なのか、近年徐々に明らかになってきている。以前はドイツのグラフ雑誌『Berliner Illustrirte Zeitung(ベルリナー・イルストリールテ・ツァイトゥング)』(29巻31号, 1920.8.1, ウルシュタイン社)に掲載されていたモノクロ図版「Kalifornische Bademode(カリフォルニアの海水浴モード)」からの引用と考えられていた。それが2001年7月、古賀春江を特集したNHKテレビ番組「新日曜美術館」の視聴者から、モダンガールが絵葉書「原色写真新刊西洋美人スタイル(八枚組)第九集」(青海堂)の写真の女性にそっくりだと手紙が寄せられ、NHKを通じ絵葉書の所有者を大谷氏が訪問し、人の形体や印刷、彩色などからモダンガールの引用元と認定した。しかしこの女性の名前まではわからなかった。2年ほど前、インターネット上で映画に詳しい人がこの件について指摘しているのを大谷氏が見つけた。モダンガールは、1917年ハリウッド映画『雨中の逃亡』の女優グロリア・スワンソンであることが判明した。
 こうして絵の主役ともいえるモダンガールの100年前のモデルの名前が明らかになった。雑誌や絵葉書などの大衆メディアをもとにして描かれた《海》が、現代においてもメディアによって謎が解明されてきているのは面白い。この状況から大谷氏は《海》を“メディアの絵”と呼び、そして「実際《海》はぺたーっと平面的で、当時もポスターみたいだと悪口を言われていた。しかし古賀はこれを意図的にやっている。タッチを活かすのは、そのときの作者の感情を反映させるためや自己主張だが、むしろ古賀はエディターとしてイメージを組み合わせていくほうに主眼を置いていた。まさに古賀はメディアの人なのです」と語った。
 1929年関東大震災から6年を経て、この《海》は描かれた。急速に復興を遂げた東京、都市文化が花開いたこのころカメラが普及しはじめ、「アサヒグラフ」のようなグラビアページの充実した雑誌が発刊された。「写真や大胆なレイアウトに古賀は刺激を受けている」と大谷氏は推測している。

  • 古賀春江《海》──空想のユートピアを超えるために「大谷省吾」

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