アート・アーカイブ探求
狩野芳崖《悲母観音》──近代日本画の意志「古田 亮」
影山幸一
2012年10月15日号
文明開化の絵
一見隙のない完成度の高い宗教画に見えるので、かえって取り付く島がないと感じていたのかもしれない。切手や教科書などで子どもの頃から目にしていた作品にもかかわらず、高みに置いておいた作品が、狩野芳崖の代表作《悲母観音》(東京藝術大学蔵)である。悲しい母ではなく、慈悲深い母の観音様である。
積極的に一歩踏み出して見はじめると、崇拝対象となる観音でありながら、斜に構え慈愛を注いでいるのは、胎児とも思える生まれたばかりの嬰児である。観音様に子どもという形式的な仏画のようだが、不思議な空間表現を感じた。狩野派は室町後期から明治時代の初めまで武家の御用絵師として約400年繁栄した絵師集団である。狩野芳崖は文明開化の明治期を生き、どのようにこの絵を描いたのだろうか。《悲母観音》と正面から向き合い、かつて親しめなった理由を探り、またその引力に迫りたいと思ってきた。
日本近代美術史研究と展覧会企画を行なっている東京藝術大学大学美術館准教授の古田亮氏(以下、古田氏)に話を伺いたいと思った。古田氏は「《悲母観音》研究の再構築にむけて」という論文を発表後、2008年「狩野芳崖展」を企画開催するなど、芳崖の魅力を創造的視点で発掘しつつ記録している。猛暑の夏がやっと過ぎ秋の展覧会シーズンへ向かう上野の森に、東京藝術大学大学美術館を訪ねた。