近代日本画の原点
素朴で純真、ひとたび熱狂的なモチベーションに包まれると、自分を制することができなくなる性格という芳崖は、積極的に空気遠近法や西洋顔料を取り入れ、日本画の新しい表現を試行錯誤、創意工夫し、フェノロサが主導した鑑画会で受賞を重ねた。フェノロサ・岡倉天心らが創設した東京美術学校の絵画科主任教授となり、本格的な日本画の革新運動を指導していく矢先の1888年11月5日、芳崖に突然死が訪れた。61歳、肺炎だった。
芳崖は、ある意味で時代と共に生きた人。非常に翻弄されていて、それは同じ年生まれの高橋由一も時代との関わりのなかでしかありえなかった。個性の強い天才型の狩野派のひとりという言い方もあるが、極めて意志的な人で自分を持っており、そこに近代精神を見ることができる。自分の仕事というのを広く、自己主張だけではなく、あからさまに言うと国のためみたいな公共性が見受けられる。東京美術学校は国の唯一の日本画教育機関、そういう自覚で最後は絵画科主任教授として自分の仕事を定めていたと思う、と古田氏は語る。
古田氏は初めて《悲母観音》を見たときの印象を忘れてしまったというが、《悲母観音》は今も変わらず「もの凄い密度のある絵だな」という印象で、見るたびに圧倒されるそうだ。近代日本画の原点に位置づけられるそれは、工芸的な努力とも違い、これをさせた強い意志の力だと言う。
主な日本の画家年表
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古田 亮(ふるた・りょう)
東京藝術大学大学美術館准教授。慶應義塾大学非常勤講師。1964年東京都生まれ。1989年東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、1992年同大学大学院美術研究科修士課程修了、1993年同研究科(日本東洋美術史)博士後期課程中退。1993年東京国立博物館美術課絵画室研究員、1998年東京国立近代美術館研究官(2001年〜主任研究官)、2006年東京藝術大学大学美術館助教授、2007年より現職。専門:近代日本美術史。所属学会:美術史学会、明治美術学会、美学会。主な受賞:第19回倫雅美術奨励賞(2007, 「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに展」企画及び図録)、第32回サントリー学芸賞(2010, 『俵屋宗達 琳派の祖の真実』)。主な展覧会企画:「琳派 RIMPA展」(2004)、「揺らぐ近代展」(2006)、「横山大観展」(2007)、「狩野芳崖展」(2008)、「高橋由一展」(2012)など。主な著書:『狩野芳崖・高橋由一』(ミネルヴァ書房, 2006)、『美術「心」論』(平凡社, 2012)など。
狩野芳崖(かのう・ほうがい)
江戸末期〜明治初期の日本画家。1828-1888(文政11-明治22)年長府印内(山口県下関)生れ。幼名は幸太郎。名は延信(ながのぶ)、雅信(ただみち)。号は松隣(しょうりん)、皐隣(こうりん)、勝海(しょうかい)。長府藩(長州藩毛利家)御用絵師・狩野晴皐(せいこう)の長男として、はじめ父に絵を学ぶ。1846年江戸の木挽町狩野に入門し、狩野勝川院雅信(しょうせんいんただのぶ)を師とする。また独学で雪舟や雪村を学ぶ。同門に橋本雅邦。狩野派の古い手法に抵抗を抱き、法外に出るという意味から、1864年頃より芳崖と号す。82年頃よりフェノロサと親交を得て鑑画会で革新的な日本画を発表。フェノロサ、岡倉天心とともに東京美術学校設立に尽力するが、開校を目前に没した。伝統画に西洋絵画の表現を取り込んだ近代日本画の父。代表作は《悲母観音》《大鷲》《不動明王》《仁王捉鬼(そっき)図》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:悲母観音。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:狩野芳崖, 1888(明治21)年, 絹本着色, 額装, 縦195.8×横86.1cm, 重要文化財。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 東京藝術大学大学美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 716KB(1,000dpi, 16bit, RGB)。資源識別子:CP00012-P001, 260MB(RGB 16bit, 1,000dpi〔107号〕)。情報源:東京藝術大学大学美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京藝術大学
【画像製作レポート】
《悲母観音》は東京藝術大学が所蔵する。大学美術館のホームページにある「写真撮影等許可書申請書類」(http://www.geidai.ac.jp/museum/explore/explore_ja.htm) から申請書をダウンロードして必要事項を記入、社印を押し企画書を添えて、返信用送付代金440円の切手と一緒に美術館へ郵送。一週間後画像データが入ったCD-Rと「借用書」が届けられ、「借用書」に返却予定日など記入してFax。CD-R にはカラーガイドとグレースケールの付いた260MB(RGB 16bit, 1,000dpi)の画像を収納。Webサイト掲載の条件としては「東京藝術大学所蔵」の記載、画像サイズ500×500pixel以内、掲載期間1年間(サムネイルは除く)、その他トリミング等作品のイメージを損ねる加工は認めないという条件が付いていた。写真使用料は税込み5,250円。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の作品画像を参照しながら、Photoshopで500×500pixel以内716KB(1,000dpi, 16bit, RGB)に加工し、Photoshopファイルに保存。キャプションに「無許可転載・転用を禁止」を表示。
今回のケースではないが、作品のポジフィルムをスキャニングした画像データで悩むのは、ポジフィルム自体が経年変化によって変色しているのか、それともデジタル化の過程で誤った加工作業をしてしまったのか、判断が付かないことだ。劣化している画像はいずれにしても没なのだから考える必要がないとも言えるのだが、一般的に画像データは疑いなく信頼して使う習慣がある。私たちは画像データに対し、確認する習慣を身に付ける必要があると思い始めているが、さてその確認方法はどのようにすればよいか。
参考文献
徳川忠明「悲母観音と狩野芳崖」『大法輪』9月号, pp.82-83, 1953.10.1, 大法輪閣
水上勉「悲母観音私考」『日本の名画1 狩野芳崖』pp.89-99, 1976.8.25, 中央公論社
細野正信『ブック・オブ・ブックス 日本の美術52 江戸狩野と芳崖』1978.6.20, 小学館
図録『没後100年記念 特別展覧会 狩野芳崖─近代日本画の先駆者─』1989.2.28, 京都新聞社
佐藤道信「2[総論]日本画の誕生─つくられた近代日本画“正史”─」「母と観音とマリア──《悲母観音図》」『日本の近代美術2 日本画の誕生』監修:青木茂・酒井忠康, pp.5-16, pp.17-26, 1993.6.9, 大月書店
佐藤道信「狩野芳崖筆 悲母観音圖」『國華』第1172号, pp.23-26, 1993.7.20, 國華社
佐藤道信『〈日本美術〉誕生』1996.12.10, 講談社
佐藤道信『明治国家と近代美術─美の政治学─』1999.4.1, 吉川弘文館
古田亮「《悲母観音》研究の再構築にむけて」『MUSEUM』No.561, pp.11-34, 1999.8.15, 大塚工藝社
Webサイト:「悲母観音」『東京藝術大学大学美術館』2003.1.3(http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=1368)東京藝術大学, 2012.10.6
古田亮「〔日本画〕の終焉」「往復書簡〔可能性としての日本画〕(抜粋)」『「日本画」──内と外のあいだで』pp.94-100, pp.282-289, 2004.5.30, ブリュッケ
古田亮『狩野芳崖・高橋由一─日本画も西洋画も帰する処は同一の処─』2006.2.10, ミネルヴァ書房
安村敏信『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい狩野派──探幽と江戸狩野派』2006.12.20, 東京美術
図録『狩野芳崖 悲母観音への軌跡─東京藝術大学所蔵品を中心に─』2008.8, 芸大美術館ミュージアムショップ/(有)六文舎
『別冊太陽 日本のこころ154 近代日本の画家たち──日本画・洋画 美の競演』2008.8.22, 平凡社
古田亮「近代日本畫の成立 脱狩野派の諸相」『國華』第1370号, pp.19-29, 2009.12.20, 國華社
Webサイト:石田智子「狩野芳崖の後期作品とフェノロサ」『東アジア文化交渉研究』第5号, 2012.2.1(http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/6138/1/3-08-28-ISHIDA%20Tomoko.pdf)関西大学, 2012.10.10
Webサイト:「古田亮」『東京藝術大学』2012.3.13(http://tsdb.geidai.ac.jp/profile/ja.9WqvEhz2VyGZmmB3X-hv2w==.html)東京藝術大学, 2012.10.6
古田亮『美術「心」論 漱石に学ぶ鑑賞入門』2012.5.23, 平凡社
2012年10月