仮の制作日
《鷹見泉石像》のモデルである鷹見泉石(1785-1858)は名を忠常といい、下総(茨城県)国古河(こが)藩の家老職を務める一方、ヤン・ヘンドリック・ダップルというオランダ名を持つ蘭学者でもあった。崋山とは蘭学を通じて知り合ったらしく崋山も泉石に親しい感情を抱いていたようである。
《鷹見泉石像》は、天保8(1837)年4月15日に制作した、と崋山は絵の落款に記している。また鷹見家の言い伝えとして、縁戚にあたる日本美術史学者の藤懸静也(ふじかけしずや, 1881-1958)氏は、「大塩平八郎の乱の平定後、江戸に帰った泉石が、藩主の菩提寺である浅草誓願寺へ代参した際に崋山の家を訪れ、“良き折なれば”と泉石が言い、正装姿の泉石を崋山が写生した」と伝えている。
ところが、日本南画を専門とする美術史家、吉澤忠(よしざわちゅう, 1909-1988)氏によると、『鷹見泉石日記』には4月15日は江戸幕府に対する反乱「大塩平八郎の乱」(1837)の鎮圧とその後の処置に忙しく、大坂城代を務めていた藩主の土井利位(としつら)に従い、泉石はまだ大坂に滞在していたと記されており、さらに不思議なことは、崋山の肖像画の多くは丹念なスケッチをしたうえで初めて一幅の絵を仕上げているが、この《鷹見泉石像》には一点もスケッチが残されていない。
日比野氏は、崋山が1839(天保10)年に「蛮社の獄」に連座して捕えられたことと、それまで長年泉石の家に通い、泉石をスケッチしてきたことを考え合わせても、まだ1837(天保8)年に《鷹見泉石像》は完成しておらず、1841(天保12)年蟄居中に仕上げ、泉石にも影響が及ばないよう逮捕前の制作日を書き入れたと推測している。泉石との親密さを慮った崋山がスケッチを処分したとも考えられる。内外の緊張が高まった幕末のこの時期、当局の目をはぐらかすため《鷹見泉石像》の制作日は仮の日付けとしたのかもしれない。《鷹見泉石像》の制作年をめぐって、日比野氏は1995年5月27日「第58回美術史学会全国大会(大阪大学)」で発表した。
秘められた思い
1986年の春、日比野氏は静岡県立美術館の開館記念展「東西の風景画」に崋山の《千山万水図(せんざんばんすいず)》を展示するため、昭和50年代の終わり(1983-1985)頃から学芸員として個人所有者へ拝借依頼に伺っていた。しかし展覧会の直前に所有者が亡くなり、結局《千山万水図》の展示は翌年となってしまった。
日比野氏が崋山の作品を見て再考を促されたのは、1986年10月豊橋市美術博物館で開催された「渡辺崋山展」を観覧したときだったという。何回か足を運び崋山の名品を多く目にしたが、49歳で自刃した崋山の答えは得られなかった。自決の数カ月前に制作された《千山万水図》と《蟲魚帖(ちゅうぎょじょう)》は展示されず、その作品の意味するところは何なのか、疑問を抱いたそうだ。
それから数年経った1989年、日比野氏にひらめきがあった。「絵を描いている画家には、自分なりに絵を描いている意味がある。画家にとって描かなければならない切実な動機があるはずで、作品を様式史だけで考えるのは、画家の言わんとする、意図しているものとは違ってしまうのではないかと。江戸にずっといた三河田原藩の家老が、駕籠に揺られて田原に送られ蟄居の刑で閉じ込められた。崋山が本当に言いたかったのは何か、と思ったとき《千山万水図》を見て、ぐぐっときた」。
静かな山水図である《千山万水図》が、悲憤慷慨(こうがい)の嘆きを秘めた作品ではないかということ。「千山万水」という四字熟語は中国の漢詩から引用し、その意味は王様が代わり、家来たちも皆左遷され、人の住まない山中に追いやられ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住む千山万水に追いやられるというものだそうだ。作品のなかに画家の思想が込められており、作品理解が180度転回して驚いたと日比野氏は言う。《鷹見泉石像》が日比野氏の推測通り1841(天保12)年蟄居中に仕上げられたとすれば、さらに一歩踏み込んで考えてみる価値がありそうだ。蟄居時代の作品には死をもって真実を訴えた崋山の思いが込められている。日比野氏は、崋山のその思いに触れた。激動の幕末に崋山が生んだ《鷹見泉石像》の価値発掘は続いていく。
主な日本の画家年表
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日比野秀男(ひびの・ひでお)
常葉大学特任教授。1947年静岡県島田市生まれ。1970年慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業、1973年同大学大学院文学研究科修士課程修了。1973年静岡県教育委員会社会教育課(文化財担当)、1980年同教育委員会美術博物館建設準備室、1986年静岡県立美術館主任学芸員、1990年常葉学園短期大学美術デザイン科教授、1995年から2007年常葉美術館館長を兼務、2002年常葉学園大学造形学部教授、2013年より現職。専門:日本近世絵画史、博物館学。文学博士。所属学会:美術史学会、文化財保存修復学会。主な受賞:棚橋賞(日本博物館協会, 1990)。主な著書:『定本・渡辺崋山』(共著, 郷土出版社, 1991)、『渡辺崋山──秘められた海防思想』(ぺりかん社, 1994)、『美術館学芸員という仕事』(ぺりかん社, 1994)、『渡辺崋山(新潮日本美術文庫20)』(新潮社, 1997)、『美術館と語る』(ぺりかん社, 1999)など。
渡辺崋山(わたなべ・かざん)
江戸時代後期幕末の画家、洋学者、三河田原藩の家老。1793─1841(寛政5─天保12)。江戸麹町生れ。名は定静(さだやす)、通称登(のぼり)。別号は全楽堂。儒学を佐藤一斎に学び、蘭学にも通じた。谷文晁の門下に学び、西洋画法を取り入れ独自の様式を完成。高野長英、小関三英らと尚歯会(しょうしかい)を結成。幕府の攘夷策を戒めた「慎機論」を著し、言論を弾圧した蛮社の獄に連座、郷国に蟄居中に自刃。1946年田原城の出丸跡に崋山神社が創建された。代表作は《鷹見泉石像》《佐藤一斎像》《市河米庵像》《千山万水図》《蟲魚帖》《一掃百態》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:鷹身泉石像。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:渡部崋山, 1837(天保8)年, 絹本着色, 一幅, 縦115.1×横57.2cm, 国宝, 東京国立博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 21.9B(8bit, RGB)。資源識別子:C0060827, TIFF, 59MB(RGB 16bit), 列品番号A-9972。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。
【画像製作レポート】
《鷹見泉石像》は東京国立博物館が所蔵。東博ホームページの「画像検索」には2つの《鷹見泉石像》のアイコンが表示されており、ひとつはさらに2つのアイコンが表示される。東博の「画像検索」内には《鷹見泉石像》画像が4つ存在しているが、差異は明確ではなく、選択に困ったが、新しく撮影されたと見られる画像を依頼。
東博の作品画像を管理、販売する(株)DNPアートコミュニケーションズへメールを送信。翌日画像をダウンロードするURLがIDとパスワードとともに返信された。59MBのTIFF画像(画像番号: C0060827)、カラーガイド・グレースケール付きをダウンロード受信。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参照しながら、目視により色を調整。画像を0.25度、反時計回りに回転させ、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:29.1MB(8bit, RGB)に保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。
セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
※《鷹見泉石像》の画像は、東京国立博物館の所蔵作品掲載期間終了のため削除し、2024年10月31日より、ColBaseの画像に差し替えました。そのため画像の拡大はできません。
参考文献
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上村益郎・高見沢忠雄 編『近世日本画大観 第十巻 崋山』1932.1.30, 高見澤木版社出版所
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鈴木 進「崋山の肖像画」『MUSEUM』No.46, p.17-p.19, 1955.1.1, 美術出版社
飯島 勇「崋山の人と芸術」『渡辺崋山』東京国立博物館監修, p.7, 1955, 東京国立博物館
鈴木 進「崋山の肖像画をめぐって」『MUSEUM』No.46, p.7-p.10, 1956.4.1, 美術出版社
矢代幸雄『日本美術の特質 第二版』1965.8.14, 岩波書店
石川 淳『石川淳全集第十巻』1969.1.25, 筑摩書房
大西 廣「《行為としての絵画・1》近代化批判への一視点─渡辺崋山の肖像画稿を中心に」『美術手帖』通号352, p.208-p.225, 1972.2.1, 美術出版社
大西 廣「《行為としての絵画・2》断念の価値について─近代化批判への一視点II」『美術手帖』通号353, p.152-p.163, 1972.3.1, 美術出版社
鈴木 進・尾崎正明『日本美術絵画全集 第24巻 渡辺崋山』1977.6.25, 集英社
菅沼貞三 編『日本の美術』No.162渡邊崋山, 1979.11.15, 至文堂
菅沼貞三『渡邊崋山〔人と芸術〕』1982.10.30, 二玄社
図録『武士と文化との間で「渡辺崋山展」』1984.2, 栃木県立美術館
菅沼貞三 監修『崋山』1985.4.20, 常葉学園
佐藤昌介『渡辺崋山』1986.2.10, 吉川弘文館
図録『豊橋市制施行80周年記念特別展「渡辺崋山展」』1986.10, 豊橋市美術博物館
菅沼貞三 監修『《没後150年記念出版》定本・渡辺崋山〈全3巻〉』1991.3.15, 郷土出版社
図録『生誕200年・田原町博物館開館記念特別展「渡辺崋山とその師友展」』1993.4, 田原町博物館
日比野秀男『渡辺崋山──秘められた海防思想』1994.12.15, ぺりかん社
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金原宏行『幕末から明治へのめまぐるしい美術──渡辺崋山を中心に』2002.11.19, 沖積社
橋本 治「連載 その百一 前を向くもの向かないもの一─渡辺崋山筆〔鷹見泉石像〕〔市河米庵像〕」『芸術新潮』通号647, p.138-p.145, 2003.11.1, 新潮社
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Webサイト:「絹本淡彩鷹見泉石像」『文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=158935)文化庁, 2013.6.9
2013年6月