アート・アーカイブ探求
国吉康雄《誰かが私のポスターを破った》──アンニュイそして希望「市川政憲」
影山幸一
2013年07月15日号
アメリカが認めた日本人画家
いつの頃からか、国吉康雄の絵が味わい深いものであることは感じていた。それでもなかなか接近できなかったのは、日本国籍をもつ日本人でありながら、アメリカの画家として活躍した稀有な経歴をもつ画家であること。そして国吉の生きた時代が第二次世界大戦勃発という混乱の時代で、一筋縄ではいかないと思っていたからだ。また画面は煙るように暗く、断片的なモチーフが複雑な意味をつくっている。目が喜ぶ視覚的な絵ではなく、脳が喜ぶ思考的な絵に距離を置いていたのかもしれない。国吉の作品は、こうして見る者へ、覚悟を要求してくる。国家の枠組みを乗り越えた画家の作品と初めて対峙する決心をした。
国吉の代表作としては《誰かが私のポスターを破った》(個人蔵)が挙げられる。しかし遠近感を混乱させるこの作品より、他の作品の方が優れているのではないかとぐずぐずと悩んだ。だがタイトルが何やら文学的で社会的でもあり、イメージに残った。また代表作を避けていては決心もないだろうと挑んでみることにした。
国吉展を企画した日本近代美術に詳しい茨城県近代美術館館長の市川政憲氏(以下、市川氏)に、この絵の見方や魅力を伺ってみたいと思った。市川氏は1982年「アメリカに学んだ日本の画家たち展」と2004年「国吉康雄展」の2回、国吉の展覧会企画に関わっている。
猛暑が襲来する前の梅雨の中休み、茨城県水戸市にある茨城県近代美術館へ向かった。