アート・アーカイブ探求

国吉康雄《誰かが私のポスターを破った》──アンニュイそして希望「市川政憲」

影山幸一

2013年07月15日号

【誰かが私のポスターを破ったの見方】

(1)モチーフ

女性、ポスター。

(2)タイトル

誰かが私のポスターを破った(だれかがわたしのぽすたーをやぶった, 英名:Somebody Tore My Poster)。国吉が大事にしていたというベン・シャーン(1898-1969)作の反ファシズムポスター《我々フランス労働者は警告する》(1942, オフセット・紙, 70.3×99.8cm, 福島県立美術館蔵)が破られたところから題名を採ったという説もある。

(3)制作年

1943年。国吉54歳、第二次世界大戦ただ中に描かれた。

(4)画材

キャンバス、油彩。

(5) サイズ

縦117.0×横66.5cm。縦長の特異な大きさ。

(6)構図

基点となる女性を画面中央に配置。女性を振り返えらせたポーズによって、右上から左下へ流れる斜めのベクトルに奥行き感が生み出された。地面と階段の手すりを平行させ、安定感を加えている。

(7)色彩

画面全体を煙るような茶褐色が覆う。細部は他の色と混色した明暗の微妙なグラデーションが付けられている。「クニヨシ・ホワイト」と呼ばれる独自の白色が複雑で美しい。国吉の色彩は基本的に海と荒野の色から生まれる。

(8)技法

キャンバスを筆の筆軸などで擦ったような表現が見られる。一見粗雑に描いた絵にも見えるが、ブラウスの細い輪郭線、素材の質感によって変えるタッチやぼかしなど、思考した後の絵肌づくり。

(9)サイン

右上に黒文字で「Kuniyoshi」と署名。描かれたポスターと同化するように書かれた。

(10)鑑賞のポイント

国吉絵画を代表する女性像のなかでも広く知られた作品である。疲れた女性がタバコを手に階段の手すりに寄りかかっている。さり気ない一瞬のポーズだが、ひとり黙って何者かを待ち受けているような哀感漂う肉体は官能的にも見える。タバコを持つ女性の右手、階段の手すりを握る左手、ポスターの中の大きな手、そして手のように見える女性の帽子、さらにその帽子に宙を飛んでいる女性が手を差し込んでいる。謎めいた表情を浮かべる女性の回りを多くの手が取り囲み、熱を帯びた息苦しい戦時下の空気を映している。背景の破れたポスターは、国吉と親交があったベン・シャーン作の《我々フランス労働者は警告する》。ポスターには「我々フランスの労働者は警告する。屈服は隷属、飢餓、そして死を意味する」と書いてあり、フランス政府がナチスの言うがままに労働者をドイツの強制労働に送り餓死者が出たことなどから、反ファシズムとしてシャーンが描いたとされる。宙を飛んでいるサーカスの女性は、国吉が1925年にフランス旅行で繰り返しスケッチをした芸に打ち込むサーカスの少女に由来、ロマンチスト国吉の希望の象徴だ。国家主義の台頭した時世でファシズム反対の良心が妨害されるも、未来へ希望をつなぐ作品である。

ワスプとサーカス

 市川氏は、国吉の作品にとってワスプ(WASP:White Anglo‐Saxon Protestant。白人アングロ・サクソン系プロテスタントのアメリカ人)とサーカスが重要だと言う。ニューヨーク近代美術館が所蔵する《ゴルフをする自画像》でも見られるように、国吉の作品はアメリカ社会のマジョリティであるワスプの、マナーに厳しいメイトリアーカル・マザー(Matriarchal Mother。ワスプの母親)への批判もはらまれているかもしれない。アングロ・サクソンのマナーのスポーツといえるゴルフの出で立ちの国吉のポーズは、優美とか洗練とはほど遠い不躾(ぶしつけ)な筋肉を誇張させた奇妙な姿で、日本の古典の伝統世界、“烏滸(おこ)”“おかし”というおかしみを表現している気がする、と市川氏。ワスプにとって、こんなゴルフ姿は認められない。国吉は、社交の場でわざと羽目をはずすこともし、またワスプの社会は徹底的にそれを求めた。ワスプはいのちを制御し抑圧もする。それに対して国吉はいのちということを感じていた。
 このワスプの問題はサーカスにも関係している。市川氏はサーカスというのは、鍛練された身体の妙技を演じる曲芸師と、勝手に動き出す身体を制御できずにへまを演じる道化師がいる。曲芸師が非常に高度な演技を演じているとき、観客はみんな緊張して息をのんでいる。道化師はへまをし、こける。そこでみんなが大笑いをする。市川氏は典型的にこれは“烏滸”だと言う。この息をのむ、息を吐くという循環、いのちが息づく。だから国吉はサーカスにこだわった、と市川氏は国吉作品の特徴を語った。

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