アート・アーカイブ探求
国吉康雄《誰かが私のポスターを破った》──アンニュイそして希望「市川政憲」
影山幸一
2013年07月15日号
私は誰か
市川氏の開口一番は、「この絵についてはよくわからない。読み解けないいちばんの謎はタイトル」だった。わからないということがはっきりわかる人は、わかっていることも多くあると思い返しているうちに、市川氏は引き続き語った。
「僕はこの壁に描かれた宙を飛んでいる女性が気になる。僕は、私が誰か読み取れないが、このタイトルの意味がもし成り立つとすれば、飛んでいる女性はサーカスの人で、タイトルにある“私”なのではないかと思う。しかし宙を飛んでいる女性がポスターなのかどうかはわからない。そういうポスターがあったかもしれないし、“画中画の唐突な挿入”“手のように見える女性の帽子”などと、東京国立近代美術館の学芸員・蔵屋美香さんが書いていたけれど、つまりいろんな断片で継ぎ合わせをつくっている。前後感覚が曖昧になって、背景のポスターが本当にポスターかどうかもわからない。絵の奥行きについては、遠近感をわざと混乱させている。立っている女性はサーカスに関係のある人かもしれない。国吉の女性像は、そこに女性がいるだけで醸し出される何かがある。女性の佇まいとか、国吉はそれを敏感に感じる人。その感覚がなければこの《誰かが私のポスターを破った》は生まれてきていない」。
ミイラと身体
市川氏は、1946年戦後間もない東京に生まれ、夕方になるとなんとなく怖く、暗い時代だったけれど確かに明かりを感じる少年期を過ごしていた。中学生か高校生のとき、デパートの展覧会で、暗い中で覗くような展示で見た「日本のミイラ展」を強烈に覚えている。「部分ミイラ」というのがあって、出羽三山のふもとのミイラは、遊女に好かれた男が寺に入るとき、自分の一部を切ってその遊女に渡し、乾固したというもの。また武士を殺してしまった農民が寺に逃げ込み、最後はミイラになろうと石仏の下に入った。村人が可愛そうだと差し入れたまんじゅうが空気穴につかえ窒息死してしまい、ミイラになりきれなかった農民のミイラを展示していたという。好奇心旺盛な時期に心をとらえたミイラはいまもあるのだろうか。デパートの催事にしてはかなり奇抜に思えるが、時代の要請に応えた展覧会を見た市川氏は、現在展覧会の企画をするプロフェッショナルになっている。
市川氏はいまも歴史や古いものが好きで古代への憧れがあるそうだ。東京大学で美術を選んだのは完全にディレッタントと、無頼の一面を見せるが、1971年に大学卒業後はスムーズに東京国立近代美術館へ就職、その後副館長、2003年には愛知県美術館館長、2007年より現職を務める。
国吉との出会いは東京国立近代美術館に入ってからであった。先輩が担当していた展覧会だったが急に都合がつかなくなり、担当になって初めて国吉を知ったという。そして1982年に「アメリカに学んだ日本の画家たち展」として開催した。国吉作品の第一印象は女性像のアンニュイ。官能的な何かを感じた、と言う。市川氏は、先頃も話題を集めた「フランシス・ベーコン展」を30年前に企画しており、身体にまつわるテーマ性のある展覧会を企画している。
絵画は言葉
1889(明治22)年岡山県岡山市に生まれた国吉康雄は、小学校卒業後、県立工業学校染織科に入学する。井上芦仙(1872-1941)という岡山県出身の日本画家が国吉の才能を見つけ、絵描きにするよう父親に勧めたが、現金収入に見込みのある友禅の図案を描く職人を目指して、染織科を選んだという。
1906年、アメリカ生活に夢を抱き、英語を習得するために17歳でアメリカに渡った。国吉にとって絵画は言葉になっていった。国吉の絵画的才能が日本人としての劣等感をぬぐい去り、アメリカの市民社会に入り込むきっかけになって以来、国吉は一貫して絵画を通じてのコミュニケーションを心がけていた。国吉は美術に目覚め苦労しながらニューヨークで画家として自立していく。藤田嗣治が1913年に画家を志してパリへ向かったのとは異なっていた。
ほとんど日本に帰ることなく活動した国吉がアメリカで生きた時代は、日本人移民排斥、大恐慌、第二次世界大戦と世界的規模の大戦に突入し、アメリカ社会が激しく揺れ動いた時代で、敵性外国人として扱われたこともあったが、自由と民主主義の理想を掲げるアメリカを信じていた国吉は、軍国主義を強く批判し続けた。そして戦前戦後を通じてアメリカを代表する美術家のひとりに数えられ、高い評価を得るようになった。
国吉の作品は国内では福武コレクションが570余点を有する。福武書店(現ベネッセホールディングス)創業社長・福武哲彦(1916-1986)氏が国吉の女性像と出会った1979年から収集が始められたもので、現在そのコレクションはすべて岡山県立美術館に寄託され公開されている。「瀬戸内国際芸術祭2013」の開催地、ベネッセアートサイト直島の原点に国吉があることは案外知られていない。国吉作品は現代美術と近代美術のかけ橋になる。