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小田野直武《不忍池図》 近代化の不完全な融合──「山本丈志」

影山幸一

2013年12月15日号

婚礼の調度品

 山本氏は《不忍池図》のモチーフにはどのような意図が隠されているかを考えたと言う。「本草学者の源内のところへ直武は出向いている。源内の本職が薬草の分析と考えると《不忍池図》の植物も薬草と関係があるかもしれない。芍薬(シャクヤク)に薬という字が使われていることから植物の薬効について調べてみると、シャクヤクもキンセンカ(金盞花)もソビソウ(またはヤクヨウサルビア)★2も効能として出てくるのが、婦人病の漢方薬として使われる植物というものだった。またキンセンカが春とシャクヤクが夏、ソビソウが秋と、開花時期が違うことがわかってきたが、冬がない。ハス(蓮)の名所である不忍池にハスがないのは不自然だと気付き、景色を冬と見ることができないかと考えた。すると春夏秋冬が揃う。平安時代から和歌と結びついて、季節に美意識を見出してきた日本人の絵画の基調をなす“四季絵”だ。解読はそれで終わるはずだったが、シャクヤクの花が紅白であり、慶賀の意味もあるのかもしれないと思い始めた。その頃、霊能力者が登場する映画や陰陽師が流行っていて鬼門が話題になっていて、寛永寺が江戸城の鬼門にあたる北東にあることを知り、《不忍池図》を改めて見ると、絵は真北に向かって描かれており、絵の中の寛永寺も北東に位置していた。裏鬼門にあたる南西には、杭が打たれている。絵の“東”には木が描かれ、影があることで太陽の位置がわかる。東の文字の成り立ちを調べてみると、木と日が重なって東。また空を飛んでいる鳥は“西”に向かっており、西の文字は鳥と鳥の巣の形を合わせたもので、中国では鳥の巣は西にあって鳥は西からきて西に帰るとされていた。“南”の文字は十分な日の光を浴びて生い茂った植物という意味だそうで、おそらく絵のなかの鉢植えが該当する。東西南北も《不忍池図》から読み取れる感じがしてきた。“北”は、人と人が背を向けることで生まれた文字といわれ、まだ見当たらないが、女性の尊称が「北の方」や「北政所」、「北堂」と呼ばれたことから、女神である弁才天を祀る弁天堂が北を意味するのではないかと推測している。蟻については今も謎だが、古代中国に起源をもつ哲理である陰陽五行説の“土”ではと考えている。《不忍池図》は「春夏秋冬」と「東西南北」の意味(表参照)が込められたモチーフを描いたものだろう」と山本氏は語った。
 その当時、藩主佐竹義敦の長女梅姫を薩摩藩第8代藩主の島津重豪(しげひで)の嫡子である斉宣(なりのぶ)へ輿入れさせるという話があったそうだ。どちらの藩主も西洋式の習俗に憧れる蘭癖(らんぺき)大名といわれ、実際に薩摩へ佐竹家家来の絵として直武の絵が贈られたことがある。山本氏は《不忍池図》はじつは婚礼の調度品になる予定だったのではないかと推察している。しかし梅姫は早世してしまい直武が存命中に婚礼は実現しなかった。薩摩との縁組みを考えると、蘭画は婚礼の調度品として申し分なく、だからこそ《不忍池図》は女性用の薬を描いた絵であることと、陰陽道や民間信仰に準じたまじないのような吉祥を反映して描かれた絵ではないかという。

方位 干支 四季 イメージ 漢字 五行 モチーフ
春・キンセンカ 神木・日・緑 木と日 木と日、若葉
西 秋・ヤクヨウサルビア 死(浄土)・黄・白 鳥と巣 鳥(カラス?)
夏・シャクヤク 草木の繁茂・赤 日と草 植物
冬・ハス 死・女性・青、白 人と人 弁天、池、冬景色
北東 丑寅 鬼門 寛永寺
南西 未申 裏鬼門

《不忍池図》のモチーフと意味の表(山本丈志「秋田蘭画をめぐる、未着手の文化的背景」『国際日本学』p.287より)

★2──鼠尾草。サルビア、セージに似たシソ科の植物で現在のアキノタムラソウと考えられる。

近代化の足音

 小田野直武が“秋田蘭画”を創始するためには、源内をはじめとする時代の最先端をゆく蘭学者たちとの出会いは欠かせないものだったが、洋風画のなかでも直武が随一の評価を得たのは“四季絵”に通じるような伝統に根ざした深い教養と高い品格を持っていたからだ、と山本氏は述べている。山本氏は直武の生涯についてはいまだ不明なことが多いため、従来の定説に縛られず、素朴な疑問から調査を開始して事実を重ねていきたいという。
 近代化が訪れる足音がする時代のなかで、進取の気性に富んだ藩主に従い、自由に絵を描く絵師直武の姿を感じることはできないが、実直に絵を描ききった東北武士の姿が浮かんでくる。知識を意味に変換し、その意味はリアルな視覚表現に組み込まれた。《不忍池図》は科学的視点と陰陽五行説が不完全な美しさで融合している。シャクヤクの蕾にいる蟻は直武自身だったのかもしれない。



山本丈志(やまもと・たけし)

秋田県立近代美術館主任学芸主事。1961年秋田県阿仁町(現、北秋田市)生まれ。1984年秋田大学教育学部小学校教員養成課程美術副専攻卒業。1985年秋田県立花輪高校教師、1994年秋田県立近代美術館学芸主事を経て、現在に至る。専門:秋田県出身の作家を調査・研究。主な展覧会企画:「大正画人ネットワーク 田口掬汀が拓いた『中央美術』」(1996)、「東北の洋風画 融合する東西の美意識開館5周年記念展」(1999)、「没後70年平福百穂展」(2003)。主な論文:「小田野直武の洋風画──落款にみるその成立と制作期間についての考察」『鹿島美術研究』(2009, 鹿島美術財団)、「圖版 寺崎廣業 瀟湘八景」『國華』(2012, 國華社)、「秋田蘭画をめぐる、未着手の文化的背景」『国際日本学』(2010, 法政大学国際日本学研究センター)など。

小田野直武(おだの・なおたけ)

江戸中期の洋風画家・秋田藩士。1749〜1780(寛延2〜安永9)年。角館生まれ。角館所預・佐竹義躬の槍術指南役の父直賢の次男。幼名が長治、通称武助、字を子有、号は羽陽、玉川、玉泉、麓蛙亭、蘭慶堂など。はじめ秋田藩の御用絵師である武田円碩に狩野派を学び、浮世絵、琳派、南蘋派とさまざまな画法に関心を示す。1773(安永2)年秋田藩の要請で阿仁銅山の検分に訪れた平賀源内により西洋画法を知る。同年秋田藩主佐竹義敦(雅号:曙山)に「源内手銅山方産物他所取次役」江戸詰めを命じられ、源内の下で蘭書や銅版画を参考に西洋画法を学習。翌1774(安永3)年刊行の杉田玄白訳『解体新書』の挿絵を描く。藩主佐竹曙山や佐竹義躬、田代忠国、荻津勝孝らに洋風画技術を伝え、秋田蘭画の基礎を築いた。主な作品:《不忍池図》《唐太宗・花鳥山水》《富嶽図》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:不忍池図。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:小田野直武, 江戸時代・1770年代, 絹本着色, 額一面, 縦98.5×横132.5cm, 重要文化財, 秋田県立近代美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:秋田県立近代美術館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2013.10.31。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 15.2MB(350dpi, 8bit)。資源識別子:4×5カラーポジフィルム, A0001J-⑦, 2152 kodakを350dpi・8bit・20.6MB・TIFF形式にデジタル保存。情報源:秋田県立近代美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:秋田県立近代美術館

【画像製作レポート】

 《不忍池図》の写真は秋田県立近代美術館が管理。美術館へ電話をし、用件を伝達後当方で作成した「作品画像利用申請書」を郵送。後日4×5カラーポジフィルム(カラーガイド・グレースケール付)と「資料特別利用許可書」が送られてきた。ポジフィルムからスキャニングしてデジタル化。350dpi・8bit・20.6MB・TIFF形式にデジタル保存、2,100円。使用代金は無料。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドと作品画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参照しながら、目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:15.2MB(350dpi, 8bit, RGB)に保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 元来《不忍池図》は掛軸であったが、現在は額装されているため額縁に納まった状態の作品を表示したかった。しかしポジフィルムには額縁から外された絵しか写っていなかった。昭和時代の立派に仕立てられた額縁も大事な情報であろう。残念である。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]

参考文献

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平福百穂『日本洋画曙光』1930, 岩波書店
奈良環之助・太田桃介・武塙林太郎『近世の洋画──秋田蘭画』1965.3.25, 明治書房
武塙林太郎「秋田蘭画の表現技法について」『秋田大学教育学部研究紀要(人文科学・社会科学)』第23集, pp.175-187, 1973.2, 秋田大学附属図書館
武塙林太郎「特集:秋田蘭画 秋田蘭画──鎖国下の洋風画」『三彩』No.323, pp.29-35, 1974.10.1, 三彩社
太田桃介「特集:秋田蘭画 秋田蘭画の終焉」『三彩』No.323, pp.35-39, 1974.10.1, 三彩社
成瀬不二雄「特集:秋田蘭画 西洋銅版画と秋田蘭画」『三彩』No.323, pp.39-43, 1974.10.1, 三彩社
隈元謙次郎監修『図録 秋田蘭画』(編著:太田桃介・武塙林太郎・成瀬不二雄)1974.11.30, 三一書房
飯島耕一「秋田蘭画展から 秋田蘭画のロマネスクな背景」『美術手帖』No.388, pp.148-153, 1974.12.1, 美術出版社
細野正信「秋田蘭画展から 秋田蘭画と洋風画──直武と江漢」『美術手帖』No.388, pp.120-147, 1974.12.1, 美術出版社
安村敏信「〔展覧会〕写実の系譜I 洋風表現の導入|江戸中期から明治初期まで 見えるものと見つめる眼」『美術手帖』No.555, pp.134-141, 1986.1.1, 美術出版社
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三輪英夫『日本の美術』(小田野直武と秋田蘭画)No.327, 1993.8.15, 至文堂
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高階秀爾 監修『江戸のなかの近代──秋田蘭画と『解体新書』』(著:芳賀徹・武塙林太郎・成瀬不二雄・養老孟司・河野元昭)1996.12.20, 筑摩書房
山本丈志「秋田蘭画・小田野直武をとりまくイメージ(1)」『秋田美術』No.39, pp.17-38, 2003.3.16, 秋田県立近代美術館
成瀬不二雄『佐竹曙山──画ノ用タルヤ似タルヲ貴フ』2004.1.10, ミネルヴァ書房
山本丈志「秋田蘭画・小田野直武をとりまくイメージ(2)」『秋田美術』No.40, pp.16-34, 2004.3.22, 秋田県立近代美術館
橋本治『ひらがな日本美術史6』2004.10.25, 新潮社
山本丈志「四季絵「不忍池図」について考えられること」『秋田美術』No.41, pp.4-18, 2005.3.22, 秋田県立近代美術館
鷲尾厚『復刻 解体新書と小田野直武』2006.8.1, 無明舎出版
山本丈志「コレクション展 椿説・秋田蘭画」『秋田県立近代美術館ニュース「アーク」』No.51, 2007.3.10, 秋田県立近代美術館
山本丈志「椿説・秋田蘭画 「秋田蘭画」の時代感覚と再発見への道程」『秋田美術』No.43, pp.6-15, 2007.3.16, 秋田県立近代美術館
松尾ゆか「秋田蘭画の写実表現」『秋田蘭画とその時代展』図録pp.10-16, 2007.9, 秋田市立千秋美術館
山本丈志「秋田の名画 秋田蘭画・小田野直武」『秋田魁新報』1面, 2009.1.1, 秋田魁新報社
今橋理子『秋田蘭画の近代 小田野直武「不忍池図」を読む』2009.4.23, 東京大学出版会
山本丈志「小田野直武の洋風画──落款にみるその成立と制作期間についての考察」『鹿島美術研究(年報第26号別冊)』pp.108-119, 2009.11.15, 鹿島美術財団
Webサイト:今橋理子・中村桂子
「生命誌ジャーナル66号, 絵と言葉で自然を描き出す」『JT生命誌研究館』2010(http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/066/talk_index.html)2013.12.5, JT生命誌研究館
大橋敏博「〔書評〕『秋田蘭画の近代 小田野直武「不忍池図」を読む』」『総合政策論叢』第19号, pp.83-84, 2010.3, 島根県立大学総合政策学会
山本丈志「秋田蘭画をめぐる、未着手の文化的背景」『国際日本学』No.8, pp.275-288, 2010.9.24, 法政大学国際日本学研究センター
小室千鶴子『小田野直武──解体新書を描いた男』2011.9.7, 郁朋社
安村敏信『日本文化 私の最新講義01 江戸絵画の非常識──近世絵画の定説をくつがえす』2013.3.23, 敬文舎
Webサイト:「絹本著色不忍池図」『文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=151921#)2013.12.5, 文化庁





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2013年12月

  • 小田野直武《不忍池図》 近代化の不完全な融合──「山本丈志」