アート・アーカイブ探求
アンリ・ルソー《夢》──空想の楽園「橋本恵里」
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2020年07月15日号
※《夢》の画像は2020年7月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。
多様性の安らぎ
自然環境が明らかに変わってきた。九州の記録的な豪雨など、容赦のない雨を広範囲に降らす「線状降水帯」という発達した積乱雲の連なりが天気予報に現われ、台風よりも予測が難しいという。新型コロナの感染予報としては、ビッグデータを活用した「感染予報マップ」が実用化しつつあるようだ。
自然の変化にともない美術館も変容を始めている。東京・世田谷美術館が「作品のない展示室」を見せている。コロナ後の美術館の在り方を問う思い切った企画展(2020年7月4日〜8月27日、無料)である。ゴルフ場だったという広々とした都立砧(きぬた)公園の中にある窓の大きな美術館として、建築や自然を丸ごと体感してもらおうという試みだ。人の行動変容とともに美術館も作品だけを見せる館(やかた)ではなくなってきた。
自然のパワーに対する芸術の存在をイメージしていたとき、思い浮かんだのが熱帯の絵画、アンリ・ルソーの代表作《夢》(ニューヨーク近代美術館蔵)だった。習慣化してきた自粛が開放感のある絵を求めたのかもしれない。ルソーのジャングルは緑が心地いい。人類の存立が危ういと気づき始めた昨今、ルソーの不思議なジャングルには安心感がある。
満月や裸婦のバスト、ライオンの目、木の果実など、正円の図形が多用されており、絵本に出てくるイラスト画のように明快な絵柄は、平面的で正面性が強い。鬱蒼としたジャングルの中、背もたれのある長椅子に横たわる裸婦が、黒ずんだ太い指で笛を吹く男の方を指さしている。常識的な理性を超えて、多様な動植物が月光に照らされて静かに生き生きと調和している。ルソーが憧れた“夢の世界”を描出したのだろうか。
ルソーを研究している福島県立美術館の学芸員、橋本恵里氏(以下、橋本氏)に《夢》の見方を伺いたいと思った。橋本氏は西洋近代美術が専門で、論文「アンリ・ルソー作品における月の表象:《眠るジプシー女》を手掛かりにした一考察」(『美術史論集』No.19、神戸大学美術史研究会、2019)を書いている。西から天気が変わって雲の動きが速い梅雨空の下、福島県立美術館へ向かった。
わからなさが面白い
福島市のシンボル信夫山(しのぶやま。標高275メートル)の麓に建つ福島県立美術館は、広大な敷地に県立図書館を併設しており、見る・聴く・語る・つくる・考える空間となっていた。福島県緊急事態措置の解除により5月16日から再開館、訪れたときは「もうひとつの江戸絵画 大津絵展」(2020年5月29日〜6月28日)が開催されていた。
3年前に美術館へ就職したという橋本氏は、1993年福島県に生まれた。絵を見るのが好きで、小学生のときから母と一緒に美術館へ行っていた思い出があるという。
広く世界のことを知りたいと思った橋本氏は、国際学部のある栃木県の国立宇都宮大学へ入学。3年生の頃に学芸員になる目標が見えてきて、19世紀後半の美術運動のダイナミズムや時代の熱気に惹かれ、フランス近代絵画に興味を持った。フランス文化論のゼミに所属し、フランス語を学び、アンリ・ルソーの30点ほどあるジャングル画シリーズのなかから、卒論は《夢》や《飢えたライオン》など数点を選んで作品論をまとめた。ルソーのカタログ・レゾネ『Le Douanier Rousseau et son temps(税関吏ルソーとその時代)』(1984)を編纂した美術評論家で小説家のアンリ・セルティニ(1919-95)が、ルソー研究の第一人者という。
初めてルソーの絵を見たときは違和感を覚えた。「なんだか不思議な絵、この不思議な雰囲気はなんなのだろう」。橋本氏は美術史のある大学院を探し、神戸大学大学院人文学研究科へ進学した。大学院ではルソーの《眠るジプシー女》について修士論文を書き上げた。独特な主題や各モチーフが選択された背景について考察を試み、ルソーの画業のなかでの本作の位置付けを行なった。《夢》を見たのは、2015年大学の卒業旅行のときのニューヨーク近代美術館だった。「実物の大きさは圧巻。サイズは知っていたが、本物を目にしたときには圧倒された」と橋本氏は述べた。
アンデパンダン展とパリ万博
アンリ・ルソーは、1844年パリから西へ292キロの地方都市、マイエンヌ県ラヴァルの15世紀建築の城門の塔で生まれ、生涯の大半をパリの貧しい下町で送った。父ジュリアンは1階でブリキ屋を開くかたわら、不動産業を営み2階を住居にしていた。母エレオノールは軍人の娘であった。ルソーは四人姉弟で二人の姉と弟がいた。
父の仕事が行き詰まり一家はクートランに移る。ルソーは学校をやめ、19歳で代訴人フィヨンの事務所に勤めるが、二人の悪友と雇主の金を盗みクビになってしまう。感化院に送られるのを逃れるために志願してアンジェの軍隊に入隊、歩兵連隊の一員として兵役を務めた。1868年24歳、父親がアンジェで死去、母の扶助を理由に除隊するが、ルソーはアンジェでなくパリに住む。翌年女家主の娘クレマンス・ボワタールと結婚、長男が誕生。普仏戦争が勃発し、召集を受けドルーの第51連隊に加わった。1871年長男死去、パリ市入市税関の二級吏員になる。その後、次男アンリ・アナトールと、三女ジュリア・クレマンスらが誕生する。七人の子供が生まれたが、生涯をまっとうしたのは三女だけだった。
1884年ルソーはルーヴル美術館などで模写の許可証を得て、本格的に絵を描き始め、1885年サロン(官展)へ《イタリアの踊り》《日没》を出品したが落選。これらを落選者の集まりであるアンデパンダン展 にも出品、紙上に酷評が出、ルソーはその酷評記事をスクラップし、反応があることをよしとした。1888年44歳のとき、愛妻クレマンスが結核のため死去。翌年開催されたパリ万国博覧会へ行き、異国の珍奇な展示物に触れてエキゾティシズムに刺激を受ける。
1893年49歳、22年間勤めたパリ市入市税関を退職し、翌年第10回アンデパンダン展に《戦争》など4点を出品。ルソーを高く評価した同郷の劇作家で詩人のアルフレッド・ジャリ(1873-1907)と知り合う。ジャリはルソーを税関吏(ドワニエ、douanier)と呼んだが、実際のルソーは税関吏より格下の入市税徴収員(ガブルー、gabelou)であった。誤りであることを知りつつ、虚勢を張るルソーは、ドワニエと呼ばれることに誇りを感じていた。ルソーの強い願望が、往々にして事実を覆い隠した。三女ジュリアンは、父の乱行と貧困生活に耐えかね、アンジェの叔父の家へ移った。
1897年53歳、次男アナトールが死去し、ルソーは独り身となる。《眠るジプシー女》をアンデパンダン展に出品後、故郷ラヴァルの市長宛てに買い上げを依頼するが断られる。1899年55歳、ジョゼフィーヌと再婚するも、4年後(1903)に死去。同年、ルソーは技芸振興協会の正式教授となった。1905年61歳、終の住処となったペレル街二番地乙に転居し、パリ万博からの影響を受けて、ジャングル画シリーズに本腰を入れるきっかけとなる《飢えたライオン》を制作、サロン・ドートンヌに出品し入選する。
イノセントな素朴派
ルソーは画材に事欠くほどの極貧のなかでも、パリの植物園の大きな温室で写生をしたり、新聞「ル・プティ・ジュルナル」や子供用の猛獣図鑑から得た知識を集結させ、空想のリアリティとして独自の異国風景を想像力豊かに創造して描いた。
ルソーの描く主題は、パリジャンの日常生活、肖像、静物など多岐にわたったが、もっともルソー的な世界は密林を主題とした晩年のジャングル画であった。異国情緒性、神秘的象徴性に満ちた画風が広く知られ、後年ルソーは素朴派の祖と呼ばれるようになる。素朴派の画家には、郵便配達夫だったルイ・ヴィヴァン(1861-1936)、婦人服の仕立て屋だったモリス・ハーシュフィールド(1872-1946)、庭師だったアンドレ・ボーシャン(1873-1958)、サーカスのレスラーだったカミーユ・ボンボワ(1883-1970)らがいる。
ルソーは、ジャングル画をアンジェの軍隊時代に遠征したメキシコの原風景に基づくものだと人に思い込ませたり、《夢》に描かれている裸婦をポーランド出身のエキゾティックな女ヤドヴィガであると解説していた。しかし、ルソーは一度もメキシコへ行ったことはなく、また異国的な名前の女が実在していたかは謎で、ルソーが心に宿していた妻クレマンスであったとも言われている。ルソーは、愛情は深いが、嫉妬心の強い、わがままで、変わり者、世事にうとく、虚言を語り、社会のなかでは無に等しい存在だった。しかし、無であったからこそ絵の世界では色彩豊かに、画面に輝きを与えることができたのかもしれない。
1907年に最初のルソーの伝記作者となる美術評論家ウィルヘルム・ウーデ(1874-1947)と出会うが、その年銀行詐欺事件に巻き込まれ、逮捕されてサンテ監獄に拘留され、年末に仮釈放。1908年詩人ギヨーム・アポリネール(1880-1918)を介してパブロ・ピカソ(1881-1973)らと知り合う。ピカソはルソーの《女の肖像》(1895)を購入。モンマルトルのピカソのアトリエ「洗濯船」に、アポリネール、画家マリー・ローランサン(1883-1956)、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)ら芸術家が集まり、「ルソーを讃える夜会」が開かれた。ルソーの事物を単純化し、構成的な構図を作る素朴的な強さと、キュビスムに通ずる明確さ。そしてルソーの純粋性、ストレートでイノセントな人間性にピカソは才能を感じたのかもしれない。ルソーがピカソに向かって、「現在、本当に優れた画家は君と僕の二人しかいないね。もっとも君は様式的にはエジプト風で、僕は現代風だけどね」と言った有名なエピソードがあると橋本氏。
1909年ルソーは54歳の未亡人であり、かつての上司の娘でもあったレオニーに結婚を申し込むが拒否される。1910年、第26回アンデパンダン展に《夢》1点を出品した。その後、足の壊疽のため8月に入院したが、9月2日死去。享年66歳。バニューの共同墓地に葬られた。その後、画家ロベール・ドローネ(1885-1941)と管理人のクヴァルの奔走によって個人墓地に改葬された。寄付者のなかには、ピカソ、ローランサン、ラウル・デュフィ(1877-1953)らの名があったという。墓は1947年に生まれ故郷ラヴァルのペリーヌ公園に移された。
【夢の見方】
(1)タイトル
夢(ゆめ)。英題:The Dream
(2)モチーフ
月、裸婦、魔術師、像、猿、ライオン、蛇、鳥。ハス、コリウス、サンセベリアなど、熱帯地域の草花、果樹、樹木などの植物。
(3)制作年
1910年。ルソー66歳。
(4)画材
キャンバス・油彩。
(5)サイズ
縦204.5×横298.5cm。ルソー作品は概して小さいが、《飢えたライオン》(200×300cm)とともに大作。
(6)構図
水平・垂直線を考慮してチーフを複雑で緻密に配置。前景・中景・後景と階層的に描き、浅い奥行だが立体感のある正面性の強い構図。
(7)色彩
赤、青、黄、緑、白、黒、茶、灰色など多色で、大きな花や丸い果実など鮮やかな澄んだ色彩と、小暗い密林の深い色調が調和している。月の白と、樹木の幹や魔術師などに見られる黒とのコントラスト、特に画面の多くを占める緑色は50種に及ぶと言われ多様で豊かである。
(8)技法
一つひとつの形態は単純化されて、色面を繊細な筆遣いで1センチメートル四方ずつ丁寧に描き、躍動的なデフォルメが見られる。画面は凹凸のないフラットな平塗り。
(9)サイン
黄緑色で「Henri Rousseau 1910」と画面右下に署名。
(10)鑑賞のポイント
長椅子に寝入っているヤドヴィガが、魔術師が吹く縦笛の音を聞いて、森の中に運ばれていく夢を見ているところとルソーは言う。メキシコ遠征した兵士から聞いたメキシコの話や、パリの万国博覧会に触発されて異国への目を開いたルソーは、パリの植物園を訪れ、エキゾティックな花や葉を観察し、月明かりに照らされた深いジャングルの中に、野生動物と不調和な裸婦とを加えてありそうであり得ない、安らぎと静かな喜びを与える不思議な幻想世界をつくり上げた。ソファに横たわり眠っているのはヤドヴィガ。動物を前に身の安全が確保され、ルソーが最初に愛したポーランド系の女性とも言われている。もっとも完成度の高いルソー最晩年の大作。ルソーは《夢》について次の詩を残している。
「心地よく眠りこんだヤドヴィガは
美しい夢の中で
考え深げな蛇使いの吹く
笛の音をきいた
月が花々や緑の木々を
照らすあいだ
鹿子色の蛇たちも
その陽気な音色に耳を傾ける」
(岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』p.265)
未知なるものへの憧憬
橋本氏は「《夢》はルソーの色彩感覚が優れているのがわかる作品。モチーフをたくさん散りばめて色も多いが、うるさい雰囲気ではなく、いろいろな色を上手にまとめている。特に多くの緑色を使い込んでいるからこそ、ルソー独自のリアルな密林感が描けた。影を付けない画家と言われているが、樹木にあたる光の具合や色彩の濃淡をはっきりと描く特徴がある。ポール・ゴーガン(1848-1903)は『ルソーの黒は真似できない』と言ったそうだ。また、構図の正面性はルソーの作品全般的な特徴で、レイヤーのように植物を重ねて描くため奥行感や立体感が出ている。月は、空間に光を投じる以外にも、神秘的な未知なるものへの憧憬や、野生動物の闘争心を鎮める役割を担っていると思われ、裸婦像と呼応するかのように配置が工夫されている。生涯最大級の絵の大きさや、構図のまとめ方、色彩のまとめ方にしても《夢》は、独自の画風を貫いたルソーの集大成と言える」と語った。
また、恋多きルソーにとってミューズとしてのヤドヴィガのポーズは、ルネサンス以来、西洋絵画史が培ってきた「横たわる裸婦」の系譜と考えられているという。ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)の《レカミエ夫人》やドミニク・アングル(1780-1867)の《グランド・オダリスク》、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)の《鸚鵡と女》、エドゥアール・マネ(1832-83)の《オランピア》らの先例がある。
第二の現実
大学院生だった橋本氏は、2016年オルセー美術館で開催された「アンリ・ルソー展(Le Douanier Rousseau. L'innocence archaïque)」を見に行った。その際、ルソーが通ったパリの植物園にも寄ったという。「植物園の温室に入ったとたんルソーのジャングル画の作品がそのままあるような感覚になった。それほど温室の密林感は凄く、感動しました」と、橋本氏はルソーの感覚に触れる体験をした。
ルソーには自分で描いているジャングル画の繁茂した密林の息苦しさに、途中で窓を開けたという逸話が残っている。橋本氏は「それだけルソーにとって絵の世界は、生きるための現実と空想が一致した第二の現実だったのだろう」と述べた。
《夢》は、風景画や肖像画などの主題を超えた、ルソーの細部への執着と、強い完結性がつくった独特の異国風景画である。不自然なわずかな狂いの感覚が、詩的で豊かな和みの空間を生み、一見稚拙にも見える絵だが、象徴主義 やシュルレアリスム の要素が垣間見えてくる。しかし、象徴主義の内面性や不安や死のイメージとは無縁であり、またシュルレアリスムの無意識の表出としての幻想は、根っから偉大な無意識家であったルソーに無意識という観念が宿ることはなかったと思える。偉大な無意識家が自然を見つめ、奥深く育んできた空想によって、月光の下に楽園を表出したルソー。野生の植物が繁茂する生命力のように、《夢》には現実を力強く生き抜くための想像する力、夢を見るという希望が満ちている。
橋本恵里(はしもと・えり)
アンリ・ルソー(Henri Rousseau)
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参考文献