アート・アーカイブ探求

ヒエロニムス・ボス《快楽の園》──人間存在のすべて「神原正明」

影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)

2023年01月15日号

※《快楽の園》の画像は2023年1月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。


奇々怪々

ネットで西洋絵画を検索していたときに宗教画に見える奇怪な絵に出会った。森羅万象、晴天のもと美しく川が流れ、緑が広がり、白人も黒人もいる。天国と地獄、科学と寓話が混然一体となって、得体の知れない生き物に裁かれていく人間。宗教画という既成概念はたちまち瓦解していった。拡大して見ると、裸の人間が逆さまになりY字形に足を開いて水に潜っていたり、尼僧の姿をした豚が男にキスをしたり、尻から金貨を排泄したりと、目を疑うような意表を突く奇想が次々と展開されている。

500年以上前に制作されたヒエロニムス・ボスの《快楽の園》(プラド美術館蔵)であった。《快楽の園》に登場する人間は、ときに果物や鳥と同じサイズで描かれ、あるときは蟻のように小さく無数の群れとなり、画面の中でスケールが変わっているのだが、三連画全体としては破綻なく整っている。知識がなくても、奇々怪々な絵柄をひとつずつ見ているだけで楽しい。このような絵画が500年も残されてきたことに驚嘆する。倉敷芸術科学大学名誉教授の神原正明氏(以下、神原氏)に《快楽の園》の見方を伺いたいと思った。

美術史家である神原氏は、北方ルネサンス美術を専門とし、『ヒエロニムス・ボス─奇想と驚異の図像学』(勁草書房、2019)や、『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』(河出書房新社、2000)などを出版され、長年ボス研究を続けられている。美術作品にはオリジナルのアウラに引き込まれて見てしまう芸術と、印刷やカメラの目を通してやっと姿を現わしてくれる作品があり、ボスの作品は後者の典型だという。美術史家には珍しく、作品の実物を実見する重要性に疑問を呈していることにも関心があった。兵庫県のJR西明石駅へ向かった。


神原正明氏



わからないところを何とかしたい

改札口で待ち合わせたが予定時刻より早く着いたため、初めて訪れた西明石の駅前風景を見ようと下りのエスカレーターに乗ったところ、反対側の上りエスカレーターに神原氏を発見。折り返して改札口へ駆けつけた。

神原氏は1952年大阪府大阪市西区に生まれた。サラリーマン家庭だったが、工場の多い大阪の下町文化に育ったという。子供の頃は理数系が好きだったが、高校では演劇や映画に興味を持ち、その延長線上で美学美術史を勉強したいと思い、1971年岡山大学法文学部に入学した。部活動は放送部に入り、シナリオを書いて放送作家を目指していた。大学3年のとき美学の先生に刺激を受け、ミシェル・フーコー著『狂気と文化』(合同出版)を手にし、挿絵にあったボスの作品と出会った。

美術史の興味というよりも、「奇妙な絵だな」と思ったことが出発点だったという。「何を描こうとしているのかわけがわからない。そこのわからないところを何とかしたい」と研究を始め、1975年神戸大学大学院へ進学。「ボスの作品は夢や創造の世界とは違い、当時(中世)の約束ごとや古い歴史の上に立って描かれており信頼感がある」と神原氏。突っ込めば突っ込むほど何かが出てくる。真の革新はいつも保守的で、古い形式を足がかりにして受け継がれていく、と神原氏は図像学にのめり込んでいった。卒論も修士論文もボスについて書き、1979年福井県立美術館の学芸員になった。

10年ほどの美術館勤務で多くのことを学び、興味の範囲を広げたが、ボスの研究に専念するために1989年佐賀大学へ転職、教育学部助教授として美術理論・美術史を教えた。1996年には神戸学院大学の人文学部教授となり、2001年からは第二の故郷岡山にある倉敷芸術科学大学大学院の芸術研究科・芸術学部教授を務め、2020年に退職し名誉教授となっている。

ボスの実物作品を初めて見たのは、大学院生だった25歳のときだった。修士論文を書くため100日かけてボスを観る旅をした。オランダ、スペイン、ポルトガルなどヨーロッパ各地を巡り、ヨーロッパ中にあるボス作品を全部観た。神原氏はそれがいま一番財産になっていると言う。ただ実物の《快楽の園》を間近にしたときは、「何だ。こんなものか」とがっかりしてしまったそうだ。修復前で画面がくすんでいた。そしてブリューゲル(1530頃-69)とボスの研究での世界的権威マレイニッセン(Roger H. Marijnissen、1923-2019)が論文を寄せた大部の画集『Hieronymus Bosch』(Arcade Brussel、1972)で、《快楽の園》のクリアな細部の図版を見ていたため、実物の醍醐味は実感できなかったようだ。神原氏は「ディテールを見るのであれば、実物よりもむしろ画集やデジタル画像の方がよく見える」と述べた。


ルネサンスの奇想画家

ヒエロニムス・ボスは、本名ヒエロニムス・ファン・アーケンといい、ネーデルラント、現在のオランダ南部のス・ヘルトヘンボスという町で1450年頃に生まれた。二人の兄弟と二人の姉妹がいる。ス・ヘルトヘンボスはネーデルラントの4大都市(ブリュッセル、アントウェルペン、ルーヴァン)のひとつであり、この町の名に由来するあだ名からボスと呼ばれている。日本語では「森」か「林」の意味になる。ドイツのアーヘンから来た画家の家系で、財産家であったボスは、父親のアントニウスから絵画技法を叩き込まれたようだ。

イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)や、ドイツの巨匠デューラー(1471-1528)と生きた時代が重なっているが、文献が揃い足跡がわかる二人に比べ、ボスの生涯はほとんど不明で自分の経歴をあえて隠していたと言う研究者もいる。

1480年、30歳のときに画家として組合に正式に登録。風刺的、幻想的、宗教的主題を扱い、非日常的な絵を細部まで生き生きと描写するとき、ルネサンスの奇想画家ボスはもっとも高揚した。同年富裕層のアレイト・ホヤールツ・ファン・デン・メールフェンネと結婚したが、子供はいなかった。1486年敬虔なカトリック教徒として「聖母マリア兄弟会」の正式会員となる。1488年名士(一級市民)としてス・ヘルトヘンボス市に記録される。1490~95年に三連祭壇画の制作を行なう。1492年にはコロンブスのアメリカ大陸発見があった。1516年ス・ヘルトヘンボスで死去、盛大な葬儀が行なわれた。


エル・ボスコ

《快楽の園》は、ボスが没した翌年の1517年にブリュッセルのナッサウ館にあったことから、ハプスブルク家に仕えたネーデルラントの貴族ナッサウ伯アンリ3世(ヘンドリック)の婚礼を機に描かれたという説がある。博物館が奇妙なものを収集し始めた頃で、貴族の珍品趣味として個人コレクションしていたと考えられ、ナッサウ家が《快楽の園》を注文した可能性は高い。

アンリ3世は、甥のギヨーム1世(ウィリアム)に相続させ、そのオレンジ家のもとで所蔵品を受け継がせた。その後1566年、フランス出身のアントワーヌ・ペルノ・ド・グランヴェル枢機卿(1517-86)が、《快楽の園》をタピスリーにコピー。スペインの将軍アルバ公(1508-82)がそのタピスリーを欲しがっていた。アルバ公は枢機卿へタピスリーの貸し付けを依頼したが、枢機卿は不在だった。アルバ公は権力を行使してギヨーム1世の財産を没収し、タピスリーではなく、原画(《快楽の園》)を入手する。その後アルバ公の庶子ドン・フェルナンドの所有となり、フェルナンドが亡くなると、保守的なカトリック信者で、変わったもの好きなスペイン王フェリペ2世(1527-98)によって競売で買い取られ、エル・エスコリアル宮殿に「世界の多様性についての絵」という名称で1593年コレクションされた。プラド美術館にはおよそ200年後の1819年に「快楽の園あるいはイチゴ絵」として収蔵されている。

ドイツのクラナハ(1472-1553)やブルューゲル(1530頃-69)、ゴヤ(1746-1828)を経て、20世紀のシュルレアリスム運動のなかで、ボスは甦った。ボスの現存する作品は40点に満たないが、宗教改革に伴うイコノクラスム(偶像破壊運動)の難を逃れた大作《快楽の園》が、スペインのプラド美術館で200年以上生き続け、ギリシャ人エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス、1541-1614)とともにオランダ人のボスは、エル・ボスコの愛称でスペイン人に親しまれている。


【快楽の園の見方】

(1)タイトル

快楽の園(かいらくのその)。英題:The Garden of Earthly Delights Triptych

(2)モチーフ

三連祭壇画左翼パネル=エデンの園、キリスト、アダムとイヴ、池、バラ色の塔(生命の木)、泉(生命の泉)、キリン、象、一角獣、兎、フクロウ、鳥、人面岩、知恵の木、南国風の樹林、青い山、青空。
中央パネル=快楽の園、裸体の人物群、妊婦、川、池、穴、馬、牛、ラクダ、ロバ、ヤギ、フクロウ、鳥、鼠、魚、貝、卵、イチゴ、リンゴ、サクランボ、ブドウ、ザクロ、塔、Aの形をした赤いテント、青空。
右翼パネル=地獄、闇の火災風景、木男、玉座に座るサタン、罪人、酒場、舟、鍵、壺、氷、バグパイプ、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディ、トライアングル、ドラム、フルート、サイコロ、ナイフ、耳、豚、犬、兎、蛙。

(3)制作年

1500年頃。ボス50歳頃の作品。

(4)画材

オークの板、油彩。

(5)サイズ

三連祭壇画形式で左と右:各縦220×横97cm、中:縦220×横195cm。現存するボスの作品中最大。

(6)構図

左翼はエデンの園、中央は快楽の園、右翼は地獄を表わし、前景・中景・後景と分かれ正面性のある画面。曼荼羅図を思わせる幾何学的な構成と華麗な色彩が装飾的で、裏面にはグリザイユ画法(灰色の濃淡のみで描く)を用いた旧約聖書の創世記に記された神による天地創造の第3日目の世界がガラス球の中に表現されている。天国と地獄という「最後の審判」の画題を扱っているが、天国の場面を地上におけるアダムとイヴの結婚に置き換え、世の初めとして、時が左から右へと移っていく。本来なら天国行きか地獄行きか分かれるはずだが、ここではすべての人間が地獄へ行ってしまう。

(7)色彩

緑、青、ピンク、赤、黄、茶、白、黒など多色。

(8)技法

ヤン・ファン・エイク(1390頃-1441)から始まるネーデルラントの伝統をしっかり踏襲した油彩画技法。

(9)サイン

なし。

(10)鑑賞のポイント

現世の快楽に浸っていた者が地獄へ堕ちることを警告する教訓画とされる。一方で「イチゴ絵」とも呼ばれていた本作は、イチゴやリンゴ、サクランボの赤色をところどころに心地よく配置し、爛熟した腐りやすいイチゴのもつ逸楽のイメージが、肉体の喜びの実体なき性質を象徴する。左翼パネルは、すがすがしい天地創造の第6日目である。眠りからさめたばかりのアダムは、驚いた様子で神の方を見上げる。イヴは、目を伏せて視線を地上に落とす。イヴの手を引き、アダムに引き合わせる神。この天(男性的要素)と地(女性的要素)という二つの視線は、中央の神によって受けとめられ二人の結婚を暗示する。中央の泉に立つ甲殻に覆われたピンクの塔は、神の衣の色と対応し、生命の泉と生命の木を示唆する。円形の穴の中には世界を見守る「眼」となってフクロウが鎮座し、水辺にはダリ(1904-89)のシュルレアリスム絵画を先行したような人の横顔を模した岩がある。草原にはキリンや象、水を飲む一角獣など、のどかな風景が広がるが、肉食動物の殺戮や陸に這い上がろうとする三つ頭の火トカゲ、前景の黒い池にも未分化の生物が混在し、結婚を出発点とした平和な楽園に不吉な臭いを漂わせている。

左翼パネルから青空と草原が続く中央のパネルでは、人類が繁殖し、白昼に500人を超える裸体の若い男女が遊園地のような水辺で戯れている。子供はいない。肉欲にふけるにしては肉感性に欠け、みな無表情で無邪気だ。前景では等身大の果物や貝、魚などと一緒に白人・黒人の男女が淫らに遊ぶ。対角線が交わる絵の中心は、丸い池の周りをメリーゴーランドのように円環行進する男の頭に置かれた卵にあり、その卵が世界の始まりを意味する。また卵と背後に立つ鉱物と植物が組み合わさったような四つのピンクの塔を線で結ぶと、教会をサタンから守る護符のシンボル五角形が浮かび上がってくる。

右翼パネルは地獄の闇の世界が描かれている。遊び人地獄や音楽地獄など、人間の欲望の肥大から起こる罪の数々が地獄の怪物によって罰せられる。後景に火災風景が広がり、前景には便器の玉座に座る鳥の頭をもつサタンが、人間を丸呑みしては尻から排泄する。中景では、人間が樹木に変身した通称「木男」と呼ばれる白い奇妙な怪物がこちらを見ている。憂愁と悲哀に満ちた顔は、人生を地獄と見、地獄を免れぬ人間を慈悲の目で見ているかのようだ。この顔はボスの自画像とも言われており、卵の殻の胴体と枯れ枝の足、舟の靴をはいた不安定な足には包帯を巻いた傷がある。卵の殻の中は酒場になっていて、テーブルに座って酒を飲む者、樽から酒を汲みだす女、酔いを醒ますように殻のへりに寄りかかる亭主らしい中年男がいる。世紀末の当時、病気で半身不随になったり、足がもげたりするアントニウス病(麦角中毒)があった。足を切断され不具者になり、物乞いをして生き続ける実在の人間のイメージがある。人間の生とは何か、愛とは、徳とは、罪とは何か。ダンテの叙事詩『神曲』に書かれた、人間存在の世界観を描出したボスの代表作。


貴族主義的な知的遊戯

《快楽の園》は、目で人物の視線を追ったり、指の使い方を比較していると、類似したものを見つけたり、関連するものが対称的な位置にあることに気付く。子供や老人はおらず、みんな同じくらいの年齢で、妊娠している女性がいることもわかってくる。

神原氏は《快楽の園》の解釈が分かれるところは中央パネルだという。神原氏が注目したのは、丸い池の中に立つ裸婦の人数だ。「24人が立っており、一日の時間を示す。その内訳は左から1+4+12+7、それぞれ年・四季・月・週という時間の単位に合致する。白人と黒人がペアで描かれ、昼夜の時間的経緯が喚起される。その女性たちの周りでは、さまざまな獣にまたがる男たちの円環運動があるが、こちらは天体の黄道十二宮を意味し、無限に繰り返される時間の輪を象徴している」と神原氏は、「時間」を視覚化した法則を発見した。

また《快楽の園》は「ネーデルラントの民衆言語、占星術や錬金術の図版、『トンダロの幻視の書』(1482)をはじめとする文学、マルティン・ショーンガウアー(1448頃-91)や『ハウスブーフの画家』と呼ばれるドイツの版画家・画家の銅版画など、限りない情報を集めた知の結晶であり、一つひとつのシンボルが百科事典のように整然と編み込まれている」と言う。

奇妙なポーズについて解釈はいろいろあるが、「これはボスの独創性や想像力ではなく、民衆の文化芸能に根差したもので、特殊に見えるモチーフは決して特殊ではない」と神原氏。写本の隅に描かれた挿絵や余興の人形や飾りなど、いまは残っていないが当時日常生活で目にしていたビジュアルを反映させているという。そしてモチーフは、「Y字」の図像が左右のどちらかを選ぶという「自由意志」を示すように、それぞれ言葉に置き換えられるというのだ。

神原氏は「オランダの言語学者が、失われてしまった当時の言語を、この絵に置き換えられるのではないかと研究している。当時の諺も含めて、オランダ語と何らかの関連はあるだろう。例えば『壁に耳あり、障子に目あり』という日本語の諺をそのまま絵にすると不思議な絵になる。外国人が見たら奇妙な絵に見えるけど、日本人には諺だとわかる。限られた人しか知らないけれども、知っている者にとっては特権的な感じ。そういう調子でボスは《快楽の園》のモチーフを描いた。貴族主義的な知的遊戯。お茶席で掛軸を掛けて、何も言わないままその意味がわかるかわからないかを問うのと近いようなところがある」と、言葉と図像の関係を語った。


★──太陽と月などを含む惑星が運行する帯状の領域(獣帯)を12個に等分割した総称。主に占星術の分野で使われ、十二星座と対応している。



神原正明(かんばら・まさあき)

倉敷芸術科学大学名誉教授。1952年大阪府生まれ。1975年岡山大学法文学部哲学科美学美術史専攻卒業、1978年神戸大学大学院文学研究科芸術学芸術史専攻修士課程修了。1979年福井県立美術館学芸員、1989年佐賀大学教育学部助教授、1996年神戸学院大学人文学部教授、2001年倉敷芸術科学大学大学院芸術研究科・芸術学部教授、2020年退職し、現職。専門:北方ルネサンス美術、図像学。主な賞歴:2001年第13回倫雅美術奨励賞美術史研究部門受賞(『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』)。主な著書:『ヒエロニムス・ボスの図像学─阿呆と楽園に見る中世』(人文書院、1997)、『ヒエロニムス・ボス─奇想と驚異の図像学』(勁草書房、2019)、『天国と地獄─キリスト教からよむ世界の終焉』(講談社、2000)、『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』(河出書房新社、2000)など。

ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)

オランダの画家。1450頃~1516年。ネーデルラント(現オランダ南部)のス・ヘルトヘンボスに生まれる。画家の家系であり、父のアントニウスから絵画技法を学ぶ。1480年30歳のときに画家として組合に正式に登録し、富裕層出身のアレイト・ホヤールツ・ファン・デン・メールフェンネと結婚。1486年聖母マリア兄弟会の正式会員。1488年名士としてス・ヘルトヘンボス市に記録される。1490~95年三連祭壇画の制作を開始。1516年8月9日ス・ヘルトヘンボスで死去。聖母マリア兄弟会の礼拝堂で葬儀が催された。代表作:《快楽の園》《聖アントニオの誘惑》《最後の審判》《乾草車》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:快楽の園。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ヒエロニムス・ボス《快楽の園》1500年頃、オークの板・油彩、三連祭壇画形式の左右各:縦185.8×横76.5cm・中:縦185.8×横172.5cm、プラド美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:プラド美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式234.5MB、72dpi、8bit、RGB。資源識別子:BAL3247801(Jpeg形式234.5MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:プラド美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。



【画像製作レポート】

ヒエロニムス・ボス《快楽の園》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼し、数日後画像をダウンロードするメールが送信されてきた(Jpeg、234.5MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。スペイン・プラド美術館のWebサイトにある作品画像と、書籍の図版を参考に、Photoshopで明度・彩度を調整した(Jpeg形式234.5MB、72dpi、8bit、RGB)。500年ほど前に制作された《快楽の園》に著作権はなく、作品画像をダウンロードできるWebサイトもあるが、今回はDNPACを通じて掲載期間1年の制約のある画像を採用した。なるべく作品を所蔵する美術館が提供する、信頼のある画像を使用するようにしている。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。



参考文献

・高階秀爾編著『ヒエロニムス・ボッス全作品』(中央公論社、1978)
・ウォルター・S・ギブソン著、佐渡谷重信訳『ボス 光と闇の中世』(美術公論社、1989)
・神原正明「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(1)─全体の概観と外翼パネル─」(『論文集 第37集 第2号(Ⅰ)』(佐賀大学教育学部、1990.3、pp.153-174)
・神原正明「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(2)─左翼パネル『エデンの園』─」(『論文集 第38集 第1号(Ⅰ)』(佐賀大学教育学部、1990.8、pp.53-88)
・ローズマリー・シューダー著、神原正明監訳『画集 ヒエロニムス・ボス その時代と作品』(クインテッセンス出版、1993)
・神原正明「キリスト・アダム・イヴ─ヒエロニムス・ボス『快楽の園』中央パネル前景の人物群像について─」(『人文学部紀要 第7号』(神戸学院大学人文学部、1993.10、pp.89-135)
・神原正明「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の図像研究(5)─右翼パネル『地獄』─」(『人文学部紀要 第9号』(神戸学院大学人文学部、1994.10、pp.91-122)
・神原正明「ボス」(『世界美術大全集 第14巻 北方ルネサンス』、小学館、1995、pp.135-148)
・神原正明『ヒエロニムス・ボスの図像学─阿呆と楽園に見る中世─』(人文書院、1997)
・中野孝次『ヒエロニムス・ボス『悦楽の園』を追われて』(小学館、1999)
・神原正明『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』(河出書房新社、2000)
・黒江光彦「観ることと描くことと 連載 第19回 ヒエロニムス・ボス『快楽の園』」(『美術手帖』No.811(美術出版社、2001.10、pp.183-186)
・神原正明『『快楽の園』ボスが描いた天国と地獄』(新人物往来社、2012)
・岡部紘三『ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』(河出書房新社、2014)
・小池寿子「快楽の園 戒めか? 愛の手ほどきか? 裸体ひしめく結婚祝い」(『芸術新潮』No.777、新潮社、2014.9、pp.26-33)
・神原正明「ヒエロニムス・ボスと数字のシンボリズム(1)─《快楽の園》の池の人数をめぐって─」(『倉敷芸術科学大学紀要 第20号』、加計学園倉敷芸術科学大学、2015.3、pp.3-14)
・小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』(新潮社、2015)
・ステファノ・ズッフィ著、佐藤直樹訳『名画の秘密 ボス 快楽の園』(西村書店、2015)
・木川弘美「神の視線が意味するもの─婚礼画としての《快楽の園》」(『北方近世美術叢書Ⅰ ネーデルラント美術の魅力─ヤン・ファン・エイクからフェルメールへ』、ありな書房、2015、pp.89-126)
・神原正明「ヒエロニムス・ボスと数字のシンボリズム(2)─《快楽の園》の池の人数をめぐって─」(『倉敷芸術科学大学紀要 第20号』、加計学園倉敷芸術科学大学、2016.3、pp.3-14)
・神原正明『『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学』(講談社、2017)
・木川弘美「浄罪か永劫の苦しみか─《快楽の園》の右側パネルが示すもの」(『北方近世美術叢書Ⅳ ネーデルラント美術の精華─ロヒール・ファン・デル・ウェイデンからペーテル・パウル・ルーベンスへ』(ありな書房、2019、pp.73-130)
・神原正明『ヒエロニムス・ボス─奇想と驚異の図像学』(勁草書房、2019)
・ティル=ホルガー・ボルヒェルト著、熊澤弘訳『ヒエロニムス・ボスの世界 大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ』(パイ インターナショナル、2019)
・Webサイト:神原正明『快読・美術講義』2023.1.12閲覧(https://sites.google.com/view/kambarabb/
・Webサイト:『BOSCH PROJECT』2023.1.5閲覧(http://boschproject.org/
・Webサイト:『Jheronimus Bosch Art Center』2023.1.5閲覧(https://jheronimusbosch-artcenter.nl/
・Webサイト:「Jheronimus Bosch Plaza」(『Jheronimus Bosch Art Center』)2023.1.5閲覧(https://jeroenboschplaza.com
・Webサイト:『The Garden of Earthly Delights by Jheronimus Bosch』2023.1.5閲覧(https://archief.ntr.nl/tuinderlusten/en.html
・Webサイト:「Bosch, Jheronimus」(『MUSEO DEL PRADO』)2023.1.5閲覧(https://www.museodelprado.es/en/the-collection/artist/bosch-hieronymus/c9716e4a-4c24-44dd-ac65-44bc4661c8b5
・Webサイト:「The Garden of Earthly Delights Triptych」(『MUSEO DEL PRADO』)2023.1.5閲覧(https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/the-garden-of-earthly-delights-triptych/02388242-6d6a-4e9e-a992-e1311eab3609




掲載画家出身地マップ
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2023年1月

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