アート・アーカイブ探求

円山応挙《雪松図》 神々しい気の写生──「佐々木丞平」

影山幸一

2009年11月15日号

円山応挙《雪松図》(上:右隻・下:左隻)
紙本墨画金泥金砂子, 六曲一双(155.7×361.2cm), 江戸時代天明期,国宝, 三井記念美術館蔵
無許可転載・転用を禁止.
画像クリックで別ウィンドウが開き拡大表示します

理念の時代

 アートの力を信じて止まないが、言葉の力が世の中を変えている。2009年1月に就任したオバマ米大統領の“Yes, we can”は世界中に希望を与え、核なき世界をうたった4月のプラハ演説はノーベル平和賞をもたらした。戦闘が続くイラクやアフガニスタンの戦場を思えば誰もが一驚するが、大統領の理念にノーベル賞を与えた委員会の決定は意味深かった。また日本でも“友愛”である。9月に政権交代を果たした鳩山首相がこの言葉を掲げて新しい日本を作り始めている。
 インターネット内では、つぶやきサイトといわれるミニブログ「Twitter」が人気上昇中だ。ニューヨークのThe Museum of Modern Art(MoMA)やロンドンのTateなど、大規模美術館もこのコミュニケーションツールを使い広報活動を開始した。対話の重要性に多くの人が気づきはじめた。武力を使わない時代の覇者は、自らの理念を品格のある言葉で語り、新しい時代を切り開いている。絵画には新しい時代を切り開く力があるだろうか。
 新年お正月に公開される機会の多い、おめでたくも緊張感のある作品が、三井記念美術館に所蔵されている。円山応挙の代表作、国宝《雪松図》である。応挙の絵は、同時代に活躍した伊藤若冲や曾我蕭白の作品を好きな人なら通り過ぎてしまうほど個性がない。しかし、写生という技法を取り入れて、日本画展開の原点となったのが円山応挙なのだ。改めて《雪松図》を鑑賞してみようと思う。
 1,038ページに及ぶ分厚く重い、円山応挙の研究書『円山應擧研究』を見つけた。著者は日本近世絵画史を専門とする美術史家・佐々木丞平氏(以下、佐々木氏)と、佐々木氏の夫人で現在京都嵯峨芸術大学教授であり日本画家の佐々木正子氏である。研究者と作家共同による日本絵画史研究の新たな方法を示したこの本は、社会的背景考察、技法解析、落款印章照合分析、絵画思想解析、資料解析などの研究篇のほか、作品図版931点を掲載した図録篇の2冊からなり、応挙研究の決定版と呼ばれている。佐々木氏に、《雪松図》の解説をして頂くことになった。佐々木氏は、 京都国立博物館館長と独立行政法人国立文化財機構理事長を兼任している。

佐々木丞平氏
佐々木丞平氏

穴太の時空間

 10月下旬の早朝JR品川駅から新幹線に乗り、京都国立博物館へ向かった。車内で午後の取材前に円山応挙の生誕地を訪ねる計画を立ててみた。応挙は京都府亀岡市の穴太(あなお)に生まれている。JR京都駅から亀岡駅は保津川を渡り約20km 、電車で40分ほど、9時30分に出れば取材時刻には間に合うことがわかり訪ねることにした。
 穴太は、周りを小高い山に囲まれ、一面の田畑に柿や柚子、竹林、川などが点在し、風格のある大きな農家の蔵や塀が今も残っていた。西国三十三所の二十一番札所である705年創建の穴太寺があり、隣には大きな応挙生誕の碑が立っていた。そして穴太寺から500mほど、透明度の高い犬飼川を渡り、小幡神社を左へ入ると幼い応挙が小僧として奉公に出ていたという金剛寺があった。現在ここは応挙寺とも呼ばれ《波濤図》や《群仙図》など応挙作品を所有している。京都駅から電話を入れていたことが幸いしてか、応挙が書いた手紙や当時の住職の顔を描いた肖像画、《波濤図》の複製襖絵(本物は東京国立博物館へ委託)を見せてもらうことができた。応挙の作品は、日本海側にある兵庫県香住の大乗寺、瀬戸内海側にある香川県の金刀比羅宮、太平洋側にある和歌山県串本の無量寺、都会にある東京国立博物館の応挙館と各地で見ることができる。

  • 円山応挙《雪松図》 神々しい気の写生──「佐々木丞平」