2021年10月15日号
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円山応挙《雪松図》 神々しい気の写生──「佐々木丞平」

影山幸一

2009年11月15日号

【雪松図の見方】

(1)モチーフ

松と雪と大気。松は、常緑樹で長寿や吉祥を象徴するお祝の意味があり、特に若松は新春のお祝い。松のしっかりした太い幹から“力”を表わすこともある。雪は、新しいという意味。新雪であり、白い輝きがある。ポンと叩けば雪が落ちてきそうな粉雪が積もった情景を描いている。さらに金泥により、大気の神々しさ、朝の輝きを表現している。神々しさ、朝日、新しさ、長寿を夢見るモチーフであると言える。輝くような大気と清楚な雪が醸し出す雪景色の初々しさ、みなぎるような力にあふれた松の大樹である。

(2)構図

松が堂々と画面の真ん中に配置されている。右隻は、雄松(クロマツ)の太い幹に焦点を当てており、松の上部は見えないが、直線的な枝に凍りついた雪が男性的で大きく松が上部に伸びていることをイメージさせている。左隻は、2本の雌松(アカマツ)が最上部まで見える。左の若松は母に寄り添う子のようだ。中央の松は曲線的な枝ぶりが女性的で、松葉にやわらかな雪が積もっている。この剛柔の松を対比し、並べることで新たな空間世界が現出する。

(3)空間

見所の一つが空間。日本画は岩絵具の混色に不自由さがあるなど、画材の特性などからどうしても二次元の世界の平面に引っ張られてしまう。応挙が西洋の透視図法と中国の三遠の法*1を修得し、三次元性にこだわったのは、応挙の絵画思想を支えていた“自然そのものの再現”を目指す姿勢による。応挙の絵画思想の柱は写生という考え方だが、写生とは自然界と同じような形体や空間を目指すことで、そのためには的確な空間表現と立体表現が必要であった。しかし自然界に近いということは、画家の個性を殺すことにもつながる。応挙は三次元性の追求により、どこまで自然形に近づけられるかということを自らの個性とし、一つの見せ場とした。

*1:やや上方からの水平視を平遠、俯瞰視を深遠、仰視角を高遠といい、それぞれの視線角度から見えた視界をまとめた構図法であり、山水画に使用される遠近法。

(4)色彩

もう一つの見所は色彩。雪を表現する紙の白、松の葉や幹を表わす墨の黒、背景の金泥・金砂子の金。三色のみで神々しい世界を表現している。

(5)線

意志のある線。当時絵描きは誰かに絵を学ぶ習慣があった。応挙も狩野派の流れをくむ石田幽汀に基本を学ぶが、やがて本人の思想が絵に反映してくる。応挙は花を細かく、形を正確に取る場合などは専用の筆を作ってもらっている。自分の意志が実現できる道具を作らせるほど線質にはこだわった。筆に任せて描くという文人画とは反対の思想である。

(6)技法

輪郭線を描かず、墨の濃淡で直に描いていく速写描法の付立(つけたて)の技法と、片方をぼかす片隈(かたくま)の技法を用いている。以前からあった技法だが、なぜ付立という描き方が発生したか、なぜ必要であったかを応挙は考えた。応挙は技法の特徴を把握して、目的に合った描きたいものを、最も効果的な技法を選択して描いた。《雪松図》は金泥よりも墨を先に使っているが、雪は描かずに前もってイメージしてから葉先を描き、雪に見えるように描出していった。空間全体を把握するために、完全な下絵を準備し、構図を粗く描いてから、墨も金もグラデーションを描き分けて緻密に仕上げていった。

(7)サイズ

各155.7×361.2cm。六曲一双屏風規定のサイズ。

(8)制作年

江戸時代天明期。制作年を決定するには、作品に年記が入っているか、付属する資料で、いつ制作されたか記録を確認するが、《雪松図》にはどちらもない。落款、印章の照合分析結果から、制作年は応挙54歳の天明6(1786)年の冬頃と推定。豪商・三井家に伝わったことや、この作品が描かれた時期や場など状況を狭めて考えていくと、天明6年7月16日に三井家の後を継がすことができる男子(高就)が生まれた時期にもあたり、お祝のために制作されたのではないかという仮説が立てられる。

(9)落款・印章

「應擧寫」の署名と「應擧之印」「仲選(ちゅうせん)」の印章。応挙が30代から死去するまで使った印章が、右隻の右下隅と左隻の左下隅に押印されている。「仲選」は応挙の字(あざな)である。

(10)音

風が吹けば、積もった雪がさらさらと落ちる音が聞こえるような静けさ。

(11)鑑賞

明るい光が射し込んでくる商家の畳のある大広間。しかも空気がピリッと冷たい冬の季節が合う。

絵画思想

 佐々木氏は作品成立の構造を『円山應擧研究』の中で解説している。わかりやすい図があるので引用させてもらう(図参照)。絵画の表面に実際に見える技法や材料や力量と、絵画の内面にある作家の感性や思想、社会状況などとの関係が見て取れる。日本画の近代化は、描法や技法の問題ではなく、描こうとする世界の基本構造をまず把握するという絵画思想に支えられていた、と佐々木氏は述べている。写生と造形技術により、実物以上に実物らしく見える絵を完成させた応挙。その応挙の作品は、何をどのように描いているかにより4つに分類できると佐々木氏は次のようにまとめている。
 1つは実際に存在する人など「実」を写すこと。2つ目は、自然現象など「気」を描くこと。3つ目は、いかにも実であるように見える幽霊など「虚」を描くこと。4つ目は、「虚実一体空間」。特にこの空間構成は応挙の得意とするところで、絵の中だけで完結するのではなく、例えば現実の空間と絵の空間が、違和感なく連続してその絵の中に入っていけるような一体感、整合性を感じさせる。《雪松図》は「気」の分類に入る。
 応挙は、自分から鑑賞者までを満足させる壮大な絵作りを目標にして「写形が純熟してきたとき絵画は成立する」と言ったそうだ。応挙の生涯作品数は、小品まで含めると2,000から3,000点ほどになるといわれるが、正確な数字はわかっていないようだ。写生画の祖応挙は、長沢芦雪ら円山派を形成し、四条派の祖となった呉春に影響を与え、寛政7(1795)年大乗寺の《山水図》《郭子儀図(かくしぎず》《松に孔雀図》を完成させて3カ月後に没した。享年63歳、太秦の悟真寺に眠っている。

作品成立の構造図
作品成立の構造
佐々木丞平・正子著『円山應擧研究』より





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