アート・アーカイブ探求
曾我蕭白《群仙図屏風》狂気なる自我──「狩野博幸」
影山幸一
2010年03月15日号
【群仙図屏風の見方】
(1)モチーフ
中国の仙人たち。右隻と左隻に8人の仙人が描かれている。仙人は具体的に右隻右から〈1〉巻物を持つ麻衣子(まいし)、あるいは戦国時代の名医・扁鵲(へんじゃく)、または三国時代の医術に優れた董奉(とうほう)、〈2〉鳳凰を前に簫を吹く簫史(しょうし)あるいは簫簒(しょうさん)、〈3〉杖を持つ李鉄拐(りてっかい)、〈4〉龍に乗る呂洞賓(りょどうひん)あるいは陳楠(ちんなん)、左隻右から〈5〉子供を抱き鶴の前に立つ林和靖(りんなせい)、〈6〉鯉を手にする左茲(さじ)、〈7〉ガマを背負う劉海蟾(りゅうかいせん)、〈8〉桃を前に休んでいる西王母(せいおうぼ)。西王母は長寿の象徴であり、龍は出世、鯉は龍になる登竜門、鶴や亀も長寿。つまり長寿、出世を祝うために描かれた絵である。西王母は場末の娼婦のように、仙人たちは品のない顔に描かれている。中国に四呑図(しちょうず)というのがあり、人間の4つの快楽を指す。耳かきはそのひとつで女は目が寄ってガマ仙人はエクスタシーを感じている。当時の絵というのは基本的に吉祥である。
(2)技法
漢字の書体を真、行、草に分けるのと同様に、絵でも画体と呼び、筆の運び方を真(楷)体、行体、草体と区別することがある。この絵では人物や動物は真体、背景の草木や雲気などは行体で、画体が混ざっている。アカデミズムでは認められない絵の描き方。人物の衣紋線には仏画でよく使われる「金泥のくくり」が見られ、西王母のもつ透けた団扇にも金色の細かい模様が描かれている(図参照)。
(3)色
絵具は良質の岩絵具。金を多く使っている。赤・青・黄の色彩のけばけばしさは、長崎経由で伝わった同時代の中国の画風によるもの。なぜかモノクロとカラーが一緒になっている。
(4)サイズ
六曲一双。右隻・左隻ともに172.0×378.0cm。
(5)制作年
1764年(明和元年)、款記により蕭白35歳に制作されたことがわかる。
(6)落款
長い落款は遊びである。肩書に対する批判が込められている。右隻「従四位下曾我兵庫頭暉祐朝臣 十世孫蛇足軒蕭白左近次郎 曾我暉雄行年三十五歳筆」。左隻「式部太輔蛇足軒暉_入道十世 曾我左近次郎蕭白暉雄筆」。
(7)花押・印章
花押は正式なものでなく、フォルムのおもしろさを機智的に誇張した蕭白の悪ふざけ。昆虫のような花押は両隻それぞれ形が異なる(図参照)。右隻の印章は「曾我暉雄」(白文方印)、「蕭白」(朱文方印)、「虎道」(白文方印)、「蕭白」(朱文円印)。左隻の印章は「蕭白」(朱文方印)、「曾我暉雄」(白文方印)。
(8)音
動的な画面は騒がしい。
(9)師
高田敬輔という人もいるが師匠はいないだろう。『敬輔画譜』というのがあり、敬輔の弟子たちが全部出ているのだが、その中に蕭白の名前がない。追い出された可能性を考えることもあろうが、少なくとも版本が書かれたその時点では敬輔の弟子ではなかった。
(10)鑑賞
繰り返しの表現、物の硬質と軟質の反転表現、背景の処理の曖昧さなどが、蕭白の冷静な構成力によって画面全体を見る者に奇妙な感じを抱かせている。蕭白は絵の中に人間の生き方、思想を見ていた。この作品は鑑賞するものではなく祝い用のインテリアだが、度を越している。今のわれわれはこの絵を異常に思うかもしれないが、18世紀の京都の知識人を含んだ一種の巨大サロンの中では、「なんじゃこれ!」という人も当然いただろうが、決して不思議なものではなかっただろう。蕭白自身の思う美しさ、優しさ、愛らしさ、めでたさに満ちている。