アート・アーカイブ探求

曾我蕭白《群仙図屏風》狂気なる自我──「狩野博幸」

影山幸一

2010年03月15日号

縄文的な文化の流れ

 2005年の年末から2006年2月26日まで、米国・サンフランシスコのアジア美術館で文化庁が主催した『十八世紀京都画壇の革命者たち展』が開催された。これに関連した国際シンポジウムの中で狩野氏は、曾我蕭白のユニークさについて「曾我蕭白は十八世紀京都画壇のダーティハリーだったのか?」を発表し、聴衆を大いに沸かせた。アメリカ人はジョーク好きなので“ダーティハリー”を使ってみたという狩野氏。画家という枠組みの中で異端であり、また異端であろうとした蕭白をサンフランシスコ市警のはみだし刑事ハリー・キャラハンに見立てて、蕭白を論じたと言う。
 「日本の文化は茶の湯と禅だけでなく、蕭白や若冲のように異端と思われていた文化もある。無視されていたが、むしろこれが正統。日本には縄文土器というのがある。哲学者の谷川徹三さんも昔から言っているが、日本の美意識には2つある。縄文的なものと弥生的なもの。弥生的とは轆轤(ろくろ)の形、禅的、茶の湯的、儀礼的など、洗練されたものや研ぎ澄まされたもの。縄文的とは過剰なもの。付け加えたりひねったりするもの。本能の赴くままに作り上げてきたものを指す。日本人も錯覚に陥っているかもしれないが、禅・茶の湯=日本を代表する文化。それを否定はしないがそれだけではない。蕭白は18世紀の画家。蕭白の《群仙図屏風》は別の展覧会に出ていてアメリカには持っていけなかったが、蕭白の水墨画の作品をアメリカの小学生高学年くらいの子供が、4、5人で見ていた。初めて見たのでしょう。屏風絵を魂が抜ける感じで、ずーと見ていた。地元の新聞「San Francisco Chronicle」の展覧会評では蕭白の絵を指し、その卓越した筆の技術、筆力、描写力などからドイツの画家・アルブレヒト・デューラーのエッチングを思い出すと言っていた。これにはびっくり。また茶の湯とは隔絶した、あるいは無縁の、あるいはそれに敵対するデモーニッシュ(悪魔的)な表現力を持っていると理解してもらい、驚きまた心底ほっとした。瀟洒な省略をして、余情や余韻を求める茶の湯の文化ではない、縄文的な文化が現前としてあった。しかし主流はどこかで弥生的な文化というものになってきた。蕭白も若冲もそういう流れの中でとらえている。ただ孤立して、突出して《群仙図屏風》や蕭白があったのではなく、その流れのなかのことである」。

奇怪の細部を見よ

 大名家である京極家に伝わったと言われている《群仙図屏風》。生活のための絵を描いていた蕭白にとって絵具を気にせずに、上質の絵具を使い色鮮やかな絵を描いたのだろう。昭和40年代の再発見以前には《群仙図屏風》の存在はほとんど知られていなかったそうだ。蕭白は曾我派の末裔を自称し、室町時代の水墨画を取り入れる一方、桃山時代の狩野永徳、長谷川等伯、曾我直庵(ちょくあん)らの画風を学んでいた。蕭白の人物画は、鼻の描き方がぶかっこうに大きいものが多く、顔の表現が不得手だった可能性がある。ただし右隻の赤い衣を羽織った簫史(しょうし)の下半身には金糸の刺繍が施され、杖を持つ李鉄拐の髪の毛は柔らかく一本ずつ描くなど、緻密な描写力は圧倒的だ。自然と目に写るところは気色悪いが、目を凝らして見ると細部に神が宿っている感じだ。反目する要素、例えば天上界と下界などが共存するこの絵は、ダイナミックかつ繊細であり、蕭白の複眼的感覚を見て取ることができる。あるいは支離滅裂なまま一体化している不自然な調和の《群仙図屏風》は、人間のいかがわしいものを引き出してくれる作用があるかもしれない。狩野氏は《群仙図屏風》はリアリズムと荒唐無稽の奇怪な融合というほかないと語った。美を突き抜けた蕭白の表現に順応するには時間を要する人もいるだろう。だが根底のところで人間の生き方につながる美しさがわかると、蕭白の思う壺にしっかりと入ることができる。蕭白は1781年(天明元年)、52歳で亡くなった。京都上京区の興聖寺に寂しげに建つ蕭白の墓がある。観光お断りの札が出ており、自由に参拝はできないが、礼節をわきまえれば、無頼の蕭白に会えるかもしれない。


主な日本の画家年表
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【画像製作レポート】

 《群仙図屏風》は、文化庁が所蔵。文化財部伝統文化課普及指導係より作品の4×5カラーポジフィルム(カラーガイドなし)6枚を借用。右隻・左隻各3分割による写真撮影。文化庁へ電話し用件を伝え、文化庁のホームページにある「文化庁が保有する文化財の写真原版の使用及び掲載許可について」をダウンロードし、プリントアウト。必要事項を記入後、郵送、ポジフィルムを受け取りに行った。使用料は1枚3,150円、6枚合計18,900円。
 フィルムのスキャニングはプロラボへ。300dpi・10MB・TIFF、1枚1,050円、6枚合計6,300円。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像のつなぎ合せと色調整作業に入る。右隻・左隻各3枚の画像をつなぎ合わせて切り抜き、Photoshop形式:24.3MB(右隻)・24.5MB(左隻)に保存し、Photoshopの自動スマート補正で色調整。カラーガイドがないため図録を参考に色合せをしていたが、図録の色にテクニカルな部分修正を感じ、ポジフィルムを見る。しかし6枚が均一なポジフィルムではなく、特に右隻の右(一扇・二扇)のフィルムは他のフィルムと撮影状況が異なったのか、色の調整に手間どった。またこのフィルムは屏風右側の縁が写っていなかった。このような理由により、なるべくスキャンした画像に手を入れず画像製作することにした。
 画像はセキュリティを考慮して電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって拡大表示ができるようにした。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]




狩野博幸(かの・ひろゆき)

同志社大学文化情報学部教授。1947年福岡県出身。1970年九州大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。1974年同大学院文学研究科博士課程中退。帝塚山大学助教授を経て1980年京都国立博物館研究員のち美術室長、京都文化資料研究センター長、2006年より現職。専門:日本近世美術史。所属:美術史学会。主な展覧会企画:『十八世紀の日本美術─葛藤する美意識─展』、『The Art of Star Wars展』、『若冲展』、『曾我蕭白 無頼という愉悦展』など。

曾我蕭白(そが・しょうはく)

江戸中期の絵師。1730〜81年。丹波屋という紺屋(染物屋)と思われる京都の商家に生まれる。本姓三浦、名は暉雄(てるお)。父は吉右衛門、母はヨツ、兄と妹がいたと推定されるが、十代で両親と兄を亡くす。伊勢や播州(兵庫県)を遊歴。室町後期の絵師・曾我蛇足(じゃそく)の画風を慕い、蛇足十世を自称。師龍、虎道、如鬼、鸞山、祐邨、蛇足軒などの号がある。自由奔放な画風で奇怪な人物画などの極彩色の作品や荒い筆致の水墨画は、当時の京都画壇では異色。また繊細で洒脱な山水図、花鳥図の名品もある。 代表作に《山水図》《蘭亭曲水図》《唐獅子図》《雪山童子図》《寒山拾得図》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:群仙図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:曾我蕭白, 1764年制作, 六曲一双(各172.0×378.0cm), 紙本著色, 重要文化財。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:文化庁/(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2010.3.10。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 24.3MB(右隻), 24.5MB(左隻)。資源識別子:4×5カラーポジフィルム 右隻・左隻各3枚, Kodak 6121-2691(EDUPE 0224) 6枚とも同じ。情報源:文化庁。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:文化庁

参考文献

辻惟雄「曾我蕭白筆 群仙図屏風」『國華』905号, p.31-p.39, 1967, 國華社
吉村貞司「生ける幽鬼/曾我蕭白」『芸術新潮』第22巻第8号, p.107-p.109, 1971.8.1, 新潮社
図録『曾我蕭白展』1987.10.10, 三重県立美術館・練馬区立美術館
狩野博幸『日本の美術』第258号 曾我蕭白, 1987.11.15, 至文堂
図録『特別展覧会 十八世紀の日本美術─葛藤する美意識─』1991.2.6, 京都国立博物館
佐藤康宏『新編 小学館ギャラリー 名宝 日本の美術 第27巻 若冲・蕭白』1991.12.10, 小学館
図録『江戸の鬼才 曾我蕭白展』1998, 朝日新聞社文化企画局
『京の絵師は百花繚乱──「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』1998.10.2, 京都文化博物館
伊藤紫織「曾我蕭白〔群仙図屏風〕をめぐる一考察」『採蓮』第3号, p.21-p.41, 2000.3.31, 千葉市美術振興財団
林 進『日本近世絵画の図像学──趣向と深意』2000.12.25, 八木書店
橋本治「ひらがな日本美術史【七十六】へんなもの 曾我蕭白筆〔群仙図屏風〕〔商山四皓図屏風〕」『芸術新潮』第52巻第2号 通巻614号, p.120-p.127, 2001.2.1, 新潮社
橋本治「ひらがな日本美術史【七十七】もしかしたらそうかもしれないもの 曾我蕭白筆〔群仙図屏風〕〔唐獅子図〕」『芸術新潮』第52巻第3号 通巻615号, p.114-p.122, 2001.3.1, 新潮社
Webサイト「九鬼周造〔いき〕の構造」, 『青空文庫』2003.8.31(http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/393_1765.html)2010.3.8
中野三敏『近世新畸人伝』2004.11.16, 岩波書店
図録『特別展覧会 円山応挙が、なんぼのもんぢゃ! 曾我蕭白 無頼という愉悦』2005.4.12, 京都国立博物館
Kenneth Baker「Round 2 of 'Traditions' show sheds more light on individualism of 18th century Japanese painters」『San Francisco Chronicle』Review, 2006.1.14, Hearst Corporation
狩野博幸『荒ぶる京の絵師 曾我蕭白』2007.1.7, 臨川書店
中野三敏『江戸狂者伝』2007.3.25, 中央公論新社
『別冊太陽 日本のこころ150 江戸絵画入門 驚くべき奇才たちの時代』2007.12.20, 平凡社
狩野博幸『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい曾我蕭白 生涯と作品』2008.4.30, 東京美術
狩野博幸・横尾忠則『無頼の画家 曾我蕭白』2009.1.25, 新潮社

2010年3月

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