アート・アーカイブ探求

福田平八郎《漣》──乾性の詩情「島田康寬」

影山幸一

2011年04月15日号

画材と表現

 「自然をどれだけ忠実に再現できるか」というのが大きな平八郎の課題だった。ところが画材の制約から忠実に再現することができない。そうなると自然の中から要約して抽出した、一番大事なものだけを提示するようになる、と島田氏は続ける。したがって「日本画」の場合、写生派と言っても、忠実にものを映しているだけではなく、心のなかに写った姿を再現することになる。目に見えた姿、形を再現する西洋に対して、日本の場合は自分の心に写ったものを絵として提示している。それは西洋画家と日本画家のデッサンの仕方の違いにも表われる。人間の肉体を通して、濾過しているものは必要なもの。これだというポイントだけを「日本画」はとらえる。
 「日本画」は材料が大切だと島田氏は言う。「材料が技法を支配する。例えば、油で溶いた岩の粉というものは、半透明の絵具になる。キャンバスの上に赤で色を塗り、その上に黄色い絵具を塗ると橙色に見える。こういういろんな色をつくれる性質を利用して、対象を忠実に再現する方向に発達したのが油彩画。『日本画(膠彩画とも言う)』の場合は、膠なので接着するだけ。岩絵具を重ねても下の色は透けて見えない。最初から決められた色を塗ることしかできず、極端に言えば、色数は絵具の数だけしかない。自然の色を忠実に再現することができず、絵具の色の美しさを生かして絵具を併置していく。だから抽象的で装飾的、平面的になる。もちろん膠彩画は中国にもあるし、『日本画』特有のものではない。しかし、四季の円環を体感し、海に囲まれた島国でつくり上げてきた日本人の美意識や人生観、世界観は独特で、地理的・空間的条件と感性、材料が一緒になって『日本画』は生まれたのだ」。岩を砕いてつくられる岩絵具を膠という接着材を使って色を置いていくという「日本画」の描法は、技術も時間も必要とされ、容易なものではなさそうだ。

無限の純粋

 1990年代の「日本画とは何か」論は、人間と世界との関係を場としてとらえ直し、主客の論理を越えた作品を手がけようとした「もの派」や、“日本画的イメージ” を描く諏訪直樹、中上清といった現代美術の画家と、かつての「日本画」とを結ぶものとのあいだに、同じ「日本画」とは思えない時系列上のイメージギャップができたことが発端だった。
 美術評論家の北澤憲昭によると、「日本画」とは、日本の伝統画法による絵画などではなく、新移入の「洋画」に対して、明治期に創出された「日本絵画」という名の西洋的タブローを指し、日本伝来の絵画が「西洋絵画」のあり方によって改変されたものであり、「日本画」という語は、1882(明治15)年に出版されたアーネスト・フェノロサの翻訳本『美術真説』がきっかけとなり、日本社会に流通した(『眼の神殿』より)。また、『〈日本美術〉誕生』の著者で東京藝術大学教授の佐藤道信(どうしん)は、本質的には人間存在のあり方を問うことが常に美術の根本的問題だったが、「日本画」の定義は歴史的に行なわれたことがなかった。人々は、“われわれの”「日本」画が、日本“独自”で“固有”の絵画として、“世界”で認められることを望んでいるという、そんな意識構造になっているのではないか、と述べている(『「日本画」──内と外のあいだで』より)。
 日本画家の平八郎の作品を、美術評論家の河北倫明(みちあき)が評している。「あの純な美しさに徹した華やかで豊かな、しかも健康な生命の通う画世界、近代日本に比べるものがないだけでなく、東西の絵画のなかにおいても無類の風格を持する観がある」「この題材の中に無限の純粋があり、極めて澄明な美の広がりが見られ、温かい心の楽しさがいっぱいである。殊に抜群の色の仕事の創作的な新鮮さには、至純無類(しじゅんむるい)のものがあると言ってよかろう」(『福田平八郎 作品と素描I』より)。
 また、島田氏は平八郎の作品には乾性の詩情があっても、感傷はない。誤解を恐れずに言えば、どこか俳諧の世界に通じるものがあるように思える、と語った。

展覧会情報

2011年4月29日から6月19日まで、大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室にて「大阪市立近代美術館展覧会 海と水のものがたり──シニャック、福田平八郎から杉本博司まで」が開催。《漣》が展示される。


主な日本の画家年表
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