アートプロジェクト探訪

アートのOSとしての都市/都市のアプリケーションとしてのアート──福岡の都市にみる文化創造の潜在的可能性について

久木元拓(首都大学東京システムデザイン学部准教授)2009年12月15日号

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まちとの関わり──地域コミュニケーション力の醸成

 また、じつはもうひとつの重要な視点に触れる必要がある。それは、地盤としてのまちとの関わりである。福岡のサステイナビリティを担う文化的価値循環の重要な基盤となっているのが博多の都市形態である。博多のまちは760余年を誇る博多祇園山笠がその基盤にある。舁き山が7つの“流(ながれ)”ごとに1基ずつつくられ、流ごとに舁かれる。流とは、いわば町の自治組織で、同時に山笠を運営する単位である。博多にこうした組織ができたのは、1587年に豊臣秀吉が行なった「太閤町割り」と呼ばれる区画整理によるもので、秀吉はさらに楽市楽座などの施策で博多町人の商業活動を保護したという。山笠は博多商人による経済基盤のもとに堅固な自治組織によって、祭りとしての形態を強め、今日に至っている。
 こうした地域の祭りなどの企画事業にも積極的に参加していくことは、活動の恒常性の維持には必要不可欠であり、TRAVELERS PROJECTもこの博多山笠の中心である櫛田神社の近くに位置する築50年のビル「冷泉荘」の企画・運営を2006年4月から2009年3月まで行ない、そこでさまざまな活動を展開している。2009年4月からは、吉原住宅・スペースRデザインが「リノベーションミュージアム冷泉荘」として運営を行なっており、地域との関わりは企画運営者が変わっても恒常的に続いている。吉原住宅・スペースRデザインはビル再生の企画・コンサルティング、マーケティング、デザイン、リノベーション工事、オンリーワン物件の不動産仲介、不動産管理及びビルストック活用の啓蒙活動までを行なう「ビンテージビルプロデュース」組織であり、これまでもさまざまなビル再生プロジェクトを遂行している。
 このビルのすぐ近くには上川端商店街という地元の商店街があり、TRAVELERS PROJECTによる「冷泉荘」の時代から現在の「リノベーションミュージアム冷泉荘」に至るまで、ビルの関係者も商店街のイベントや清掃活動に参加するなど、街の活性化に加わっている。また、このビルの隣にある川端大神宮は、地域に住む人たちが昔から護持してきた神社であるが、この神社では地元の人々が中心となって、毎月「大神宮祭」という祭りが催されており、そこにも関係者が顔を見せることで、コミュニケーションのサイクルも発生してきている。「リノベーションミュージアム冷泉荘」でも、せっかく博多文化の中心にいるのだから、地域の“流れ”にも積極的に関わりたいと考えているとのことである。博多でプロジェクトを成すには、こうした流れの関係性のなかに入り込み協力を得ることこそがビル再生プロジェクトを遂行するにあたってもっとも効率的かつ効果的であるともいう。



福岡アジアトリエンナーレ会場ともなったリノベーションミュージアム冷泉荘
写真提供=スペースRデザイン


左:上川端商店街ぜんざい広場中央に飾られている「八番山笠上川端通り」
筆者撮影
右:リノベーションミュージアム冷泉荘には道路から2mほどセットバックした空間があり、そこでさまざまな展示や催しができるようになっている
写真提供=スペースRデザイン

「村祭り」的恒常性/「サーカス」的暫定性を超えて

 筆者は以前、まちづくりに関わるイベントについて2つの視点を提示したことがある。それは「村祭り」的恒常性と、「サーカス」的暫定性である。「村祭り」的恒常性とは、年に一度の“ハレ”の祭りのための“ケ”の日常があり、今年の神輿はどうだった、来年はどうだろうと、今年のための来年、来年のための今年が延々と繰り返されるもので、安定したフォーマットのうえで淡々とバージョンアップをし続ける世界観が基本である。一方「サーカス」的暫定性とは、言わばフォーマットが曖昧ななんでもありの環境下でアタリ・ハズレの激しいスクラップ&ビルドを繰り返す世界観である。これはつねに何らかの新しさをつくっていくことが前提となる過酷な仕組みである。村祭りを繰り返していたほうがよっぽど楽である。しかし、その仕組みはその都度、豊富な選択肢が存在するはずであり、自らの柔軟性と寛容性を育みうる都市の文化的余裕とも言える潜在的可能性が秘められているのである。
 もちろん、人間はそうそうに変わるものではなく、同じことにこだわり続け、過ちを繰り返す。人間的生活には村祭り的恒常性は必要不可欠である。しかし、否、であるが故に、それとは異なる“サーカス”的暫定性もまた村人には必要なのである。
 「冷泉荘」から「リノベーションミュージアム冷泉荘」へと踏襲される地域活動は、まさに博多のまちのフォーマットのうえに乗りこんだサーカス的性格を備えた新たな「村祭り」的存在を体現するものである。一般に古くから街に住んでいる人々、新しく街にやってきた人々がともにさまざまな活動に積極的に参加することでコミュニティの結びつきは深くなり、街自体の活性化につながると言えよう。ただし、そこにおいて本当に重要なのは、古いか新しいかという歴史性に関わるような基準ではなく、その場所がどのような人と人とのあいだで現在進行形の新陳代謝を行なっているかということではないかと考える。それは言わばどこまでサーカス的暫定性を許容できる潜在的可能性(ケイパビリティ)を持った「村祭り」的フォーマットを持ち得るかということである。福岡について言えば、その可能性の束のなかには、前述の福岡アジアトリエンナーレがあり、2002年からスタートした楽による福岡都市部の一体化と文化育成のムーブメントを創りだす「ミュージックシティ天神」があり、「デザインが街を変える」をキーワードに2005年より始まった生活に関わるデザインの面白さを伝え楽しむ「デザイニング展」があり、2004年にはじまったアートを通じて出会い、考え、発見し、素敵な時間を共に過ごす「フクオカ・アートウォーク」があり、「本が集う、街へ出よう」をキャッチフレーズに2006年に始まる「ブックオカ」があると言えよう。また、1994年から開催している「博多灯明ウォッチング」は、市民が気軽に参加できるイベントとして定着してきている。こうした現在進行形のさまざまな動きはそれぞれ独自の展開で進行しているが、この新たな流れをさまざまに紡いでいくそれぞれの現場における編集とマネージメントの力の醸成によって、今後の福岡という都市のケイパビリティはさらに高まっていくことが期待できよう。


左:紺屋2023では、2009年10月にブックオカ共催イベントとして期間限定書店「にいまるにいさん書店」を開催
提供=TRAVELERS PROJECT
右:博多灯明ウォッチングの様子。灯明は竹を使わずに和紙を巻いた紙コップや紙袋にろうそくを立てるシンプルなもの
筆者撮影

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久木元拓

都市文化政策、アートマネジメント研究者

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