批評理論と教材

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新学期が始まり、あわただしくしています。今回は、大学で担当している美術史の授業について書きます。

昨年は、学部で「現代美術史」として1945年から2005年までの美術を講義し、大学院では、第二次世界大戦後の美術の代表的な作家(ジャクソン・ポロックからヴォルフガング・ティルマンスまで)を毎回1人ずつ取り上げる授業をしました。

今年は、学部では昨年とほぼ同様の授業をしていますが、大学院では批評理論を扱うことにしました。

私の所属する芸術学部は実技の学部で、授業中に現代美術の作品を説明するときに、その作品を理解する上で必要な批評や研究について最初から説明しなければいけないことがあります。ミニマル・アートを論じるときには、クレメント・グリーンバーグからマイケル・フリードへの批評の展開や、ドナルド・ジャッドとロバート・モリスの言説的な差異について、やはり触れておきたいと思うのですが、それを説明するだけで、けっこう時間がかかってしまいます。また、こうした言説を紹介しておかないと、作品について豊かに語ることも難しくなってきます。そこで、現代美術を理解する上で必要と思われる文章を13本選んで、毎回1本ずつ取り上げて論じることにしました。

選んだテキストは、現代美術の専門家でなくても、美術に関心がある人ならおおよそ知っているものばかりです。ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」、モーリス・メルロ=ポンティ「セザンヌの疑惑」、クレメント・グリーンバーグ「アヴァンギャルドとキッチュ」と「モダニズムの絵画」、ハロルド・ローゼンバーグ「アメリカのアクション・ペインターたち」、スーザン・ソンタグ「《キャンプ》についてのノート」、ドナルド・ジャッド「特殊な物体」、マイケル・フリード「芸術と客体性」、レオ・スタインバーグ「他の批評基準」、ロザリンド・クラウス「展開された場における彫刻」、フレドリック・ジェイムソン「ポストモダニズムと消費社会」、ホミ・K・バーバ「まじないになった記号 アンビヴァレンスと権威について――1817年5月、デリー郊外の木陰にて」、アーサー・ダント「芸術の終焉の後の芸術」。本当は全て原文で(少なくとも英語で)読みたいところですが、実技系の学生にそこまで要求することもできず、全て日本語で読むことになります(実は、翻訳の質の問題があるのですが、ここでは措きます)。

以前のエントリー「美術批評とアンソロジー」で書いたこととも関係しますが、こうした論文を集めた日本語のアンソロジーは存在しません(『反美学』や『視覚論』のように原著がアンソロジーであるものを除いて)。日本にはアンソロジーの文化がありませんし、翻訳を助成対象にする出版助成金もほとんどありませんので、採算が取りにくいのかもしれませんが、かつては、『現代の美術 別巻 現代美術の思想』(講談社、1972年)や『モダニズムのハード・コア』(『批評空間』1995年臨時増刊号、太田出版、1995年)など、アンソロジーの要素をもった書籍が刊行されて、好評を博したこともあります。良質な翻訳による現代美術のアンソロジーが出版されることを心より期待してやみません。

ブロガー

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