Dialogue Tour 2010

2000年以降の日本各地のアート・シーンを振り返る──〈Dialogue Tour〉総括にかえて

芹沢高志/鷲田めるろ/光岡寿郎2011年09月15日号

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ビルバオの戦略

鷲田──今日の鼎談に先立って光岡さんが書かれた論文「グローバル化の分光器としてのミュージアム」を読ませていただきました。グッゲンハイム美術館のグローバル戦略という文脈のなかで、特にビルバオでの事例に関心を持ちました。一般的に〈アメリカ化〉は〈文化の均質化〉とネガティブにとらえられがちなところをポジティブに読み替えようとされていることや、ビルバオにあるインフォーマルなカフェの役割の分析は、地方性ついて考えるうえで示唆に富むものでした。この論文を書かれた背景はどのようなものだったのでしょうか。

光岡寿郎──この論文の主題は、〈グローバリゼーション(Globalization)〉〈アメリカナイゼーション(Americanization)〉〈カルチュラル・ホモジェナイゼーション(Cultural Homogenization=文化の均質化)〉と言われる概念の混同と誤解を解きほぐすことでした。私は、おもにミュージアムについての研究をしており、その学問的な背景は社会学やメディア研究ですので、アート・ジャーナリズムにおける〈グローバリゼーション〉をはじめ、〈公共性〉〈マルチカルチュラリズム〉などといった言葉の使い方に違和感を抱いていました。ただ、そのことに苛立つのではなく、実際にアートに関わるみなさんが使いやすいように、学術的な視点から議論していくことが私に課せられた仕事かと思い書いたという経緯があります。
 アート・ジャーナリズムでは、グッゲンハイム美術館は〈ミュージアム界のマクドナルド〉などとアメリカによる文化的均質化の一例として批判されましたが、それはあるひとつの側面を切り取った理解でしかないと思うのです。そもそもローカルとグローバルはセットではあるけれど、必ずしも対立概念ではありません。というのは、グローバルなものとして俯瞰的に見る環境や視点が成立しなければ、個々のあいだでの差異は認識が困難なはずだからです。グローバルに接続される前は共通のプラットフォームがないので、そもそもその差異という形式での関係性が見えてこない。その意味では、グッゲンハイム美術館が世界展開するときに、最初からグローバリゼーションに基づいたある種の文化帝国主義としてみるよりも、各館が設置された都市における個々の文脈に注目してみると、アート・ジャーナリズムの前提とは異なり、むしろグッゲンハイムの招致それ自体が各都市の固有性を浮かび上がらせていくきっかけとなりうるという点に関心があります。


ビルバオ・グッゲンハイム美術館
撮影=入江昌樹

鷲田──そのような視点に立つとビルバオの事例はどのように見ることができるのでしょうか。

光岡──ご存知のように、ビルバオはスペインのバスク地方にあります。バスク地方においては、標準的なスペイン語を話しスペイン文化を享受すること──つまり、スペイン化すること──は、アメリカ化すること以上に文化の均質化を意味します。ビルバオ・グッゲンハイム美術館の背景として、そうしたナショナルな文化的均質化──ヒスパニゼーション──を避ける際に、それよりも相対的に上位の文化を利用することで対抗しようと判断した側面があります。その結果が、自分たちの文化を守る障壁としてアメリカ文化の象徴であるグッゲンハイムの受け入れにつながったわけです。つまり、〈アメリカニゼーション〉は〈文化の均質化〉──標準的なスペイン化──を避ける方便だったということです。それは、〈アメリカニゼーション〉と〈文化の均質化〉を区別していなければ見えてこない視点です。
 また、文献にあたっていくなかで、ビルバオの繁華街にある「カフェ・アンツォキア」というカフェ兼文化的スペースを知りました。そこではメニューがバスク語で書かれていたり、そもそも元バスク語の教師が経営していたりしていて、バスク文化と触れ合うことのできる場となっています。そのスペースがはたしている機能のひとつは、バスク文化を媒介することです。グッゲンハイム美術館ができたことで、ビルバオにおける人的なフローがグローバルになり、そもそもバスクに関心がなかった人も自然に食事を目的に立ち寄るといった状況のなかで、バスク文化を媒介する接点となっています。一般的に、文化の保存や維持は、地域に根差していることが自明視される傾向があります。ところが、カフェ・アンツォキアはバスク文化を地理的な領域に依拠して維持することをなかば諦めているというか、むしろグローバルなフローのなかで、カフェを訪れて関心を持った人々が世界各地に偏在しながらその文化を受け継いで新たなコミュニティを形成していくことを否定しません。地域と文化を分けて考えていて、うまくいくかどうかは別として、「〈グローバリゼーション〉=〈文化の均質化〉」という思い込みからズレを生じさせるような構造はおもしろい。

鷲田──アメリカ化とスペイン化を分ける見方は、金沢にとってもリアリティがあります。CAAKに関わっている人のメンタリティにも反東京という感情はあります。東京を経由せず海外と繋がっていることをおもしろがるスタンスです。
 もうひとつ興味深いのは、美術館の機能として、地域の人を啓蒙するのではなく、ツーリズムとして外から美術館を訪れる人が本来の目的とは違ったところで街を知るという文化の触れ方に着目している点です。金沢の例で言えば、マシュー・バーニーやペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスといった、日本の他の地域に巡回しない海外作家の展覧会を見に来るついでに、金沢の文化、食べ物、工芸を知るという考え方です。CAAKでは、そういう人たちにお願いしてレクチャーをしてもらうことも非常に多いです。外の人と地域を結びつけるメディアとしての美術館というのはおもしろいですね。それは今回のDialogue Tourで起こっていることと非常に密接に関わることだと思います。


カフェ・アンツォキア内観
© Kafe Antzokia URL=http://www.flickr.com/photos/kafeantzokia/4417318439/

履歴を残すことで生まれる「作品の厚み」

鷲田──外からの訪問者と地域のアイデンティティの関係をお話いただきましたが、美術館に収集展示されている作品と地域の関係はどう考えられていますか。ビルバオ・グッゲンハイム美術館に収集展示される作品とバスク文化が関係性を持ちうるのか……。たとえば、国内の事例で考えたときに、芦屋市立美術館の問題があります。芦屋市で起きた美術運動である「具体」の作品を芦屋市美がコレクションすることの意味はなにか。もし、グッゲンハイムやポール・ゲッティ美術館に収蔵されれば、世界からのアクセシビリティは高まるかもしれない。美術館とは文脈からモノを切り離すものですから、本来そういうものであるとも言えます。しかし、それでも芦屋に具体のコレクションがあるべきだという場合の理由は、作品を取り巻く文脈を重視し、作品がそこにあることでそうしたコンテクストが断ち切られてしまうことを防ぐことだと思います。

光岡──確かに芦屋市美にコレクションとして残すための理由を考えるとすれば、地縁のようなかたちで地域に広がっている情報や作品と場所の関係を持ち出すことはできますが、現実的には財政面で維持が難しい場合が多いわけですね。ですから私は基本的に作品は移動してよいと思っています。
 そもそも美術品は移動するものです。たとえば、絵画の場合はキャンバスと油彩絵具といった素材があるアトリエで一緒になって作品として成立する、つまり素材でしかなかったものが作品化することで美術という価値で評価されるようになる。それが作家のもとを離れ、市場では美的な価値と同時に経済的な価値がその生のなかに入って作品が厚みを増していきます。やがて美術館に収蔵されることでオーソライズにつながりさらに流通していきます。そうした、ライフコースの厚みみたいなものは移動することで出てくると思うし、個々の作品の社会的生を考えた場合、移動することは必ずしもネガティブな側面だけではないと思います。僕らがすべきことは、作品を一箇所に留めておくことではなく、移動によって失われがちな情報をできる限り収集して次に引き継ぐことであって、それができている限りは、むしろ美術作品の生の厚みや顔のシワみたいなものは、移動によって増えていくはずです。美術作品の「定住/移動」の関係性を問い直すことで、いかに私たちが美術品の一面しか評価してこなかったかが分かるのではないかと思います。

鷲田──今回のDialogue Tourのディスカッションのなかでも辻憲行さんが指摘していますが★7、小さな活動であってもマーケットと繋がることで継続性を担保しうるとおっしゃっていて、作品が市場で流通することの重要性はよくわかります。

光岡──私は市場価値だけを強調したかったわけではないですし、市場価値と同様に美術的な価値もまた、モノが持つ価値の一側面でしかないと考えています。いまは市場と美的な価値しか例を出しませんでしたが、それ以外にも価値基準の層があると思います。たとえば、記憶と接点を持って、ある人の思い出として生き残っていく作品があっていい。おそらくいまの〈美術作品〉のなかにも、それぞれに質の異なる価値が潜んでいます。その層のなかで上澄みとして表面に上がってくる価値が移動や時代の変遷とともに入れ替わっていく過程を、きっちり見たほうがいいでしょう。

鷲田──誰が寄贈したとか、コレクションしたとかも含めてですよね。

光岡──たとえば、どの家に掛けられていて、誰が見たかとか、そういうことを含めた履歴が作品としての厚みです。アーカイブズ学や文化人類学などの学問と連携しながらこれから考えていく必要がある指標のあり方だと思います。

鷲田──情報を残し、厚みをともなって伝えていくためにも、特にその関係者が亡くなるまでは、その地域に作品があることの意味は大きいと思います。それを感じたのは、Dialogue Tourとは別に関わっている日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴという活動においてです★8。この活動は、文字による公式な記録には残りにくいインフォーマルな情報をインタビューというかたちで残していくものです。その際、たとえば、「具体」の作家と芦屋市美のキュレーターとの信頼関係は、公式なメディアには載らない情報を聞き出すことに大きな役割をはたすことを感じました。関係者との信頼関係を醸成してゆく環境を整えるのも重要で、同じ地域に住んでいて、しょっちゅうカジュアルに顔を合わせる場があるのはよいことだと思います。そうした場が、作品を厚みを残すうえではたす役割は大きいと思います。


光岡寿郎氏

★7──「辻憲行──横糸としてのネットワークとともに、縦糸も必要で、マーケットや美術館はその役割を担っているのではないかと。経験的に美術に関わる人、特に美術館関係者はマーケットに否定的な人が多いのですが、マーケットを多様な人たちの欲望が流通し、調整されながら蓄積していくオープンな場所ととらえることもできます。」
引用=第8回:これは〈作品〉なのか? 〈作者〉はだれか? URL=https://artscape.jp/dialogue-tour2010/10000589_3390.html
★8──日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴについては以下で活動趣旨などを読むことができる。
加治屋健司「日本美術の担い手たちの声を残すデジタルアーカイヴ──日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの試み」(artscape 2011年02月01日号) URL=https://artscape.jp/study/digital-achive/1228716_1958.html

*註はすべて編集部作成。括弧内の発言はDialogue Tour各回からの引用。

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artscape開設15周年記念企画「Dialogue Tour 2010:はじめに──現代美術2.0宣言」

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  • Dialogue Tour 2010とは

芹沢高志

1951年生まれ。都市・地域計画家、アートディレクター。 P3 art and environment 統括ディレクター。神戸大学理学部数学...

鷲田めるろ

1973年生まれ。キュレーター。元金沢21世紀美術館キュレーター(1999年〜2018年)。第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館...

光岡寿郎

1978年生。メディア研究、ミュージアム研究。早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可...