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「現代美術用語辞典 ver 1.0」から「Artwords(アートワード)」までの10年を振り返る
暮沢剛巳/足立元/沢山遼/成相肇
2013年01月15日号
1. 美術における「インフラ」の問題
暮沢──最初に「インフラ編」でひとつ事象を挙げれば、美術館の建設ラッシュがありました。1980年代の終わり、いわゆるバブルの頃には日本のあちらこちらで美術館がつくられていきました。そして1990年代に入り冷戦が終了し、バブルが弾けた後にハコモノ行政批判があり、さまざまな計画が凍結されました。『現代美術用語辞典』の旧バージョンはいわゆるその「冬の時代」に書かれたものです。ところが2000年以降、金沢21世紀美術館、青森県立美術館など旧来のハコモノ行政批判を乗り越えるような新しいコンセプトを持った地方の美術館が次々につくられていきました。そのようなトレンドについて、どう見ているのでしょうか。
成相──2000年代の開館でざっと思いつくところを挙げると、熊本市現代美術館が2002年、山口芸術情報センター(YCAM)が2003年、金沢21世紀美術館と地中美術館が2004年、青森県立美術館が2006年、国立新美術館と21_21 DESIGN SIGHTが2007年、十和田市現代美術館が2008年。並べてみると必ずしもラッシュと言える状況ではないけれど、地方に大規模な施設ができたことと、現代寄りの展示を重視した美術館の多さが2000年代の特徴とはいえると思います。
暮沢──確かに国宝や古美術を扱う美術館があってもいいと思いますが、現代美術に特化したものが増えているのはどういうことなのでしょうか。
足立──古美術の作品は増えないということはありますね。ただ、美術館の数は増えても雇用状況や待遇が良くなるわけではないという印象があります。
成相──現代関連が多くなるのは、現代を専門的に扱う館がそれほど多くなかったという前提に加えて、コレクションの形成を踏まえた必然でもあります。絶対数の多さ、価格的な収集のしやすさ、それから、歴史的な評価がまだゆるやかにしか固定されていないからこそ、収集によって館の特色を出しやすいということもあるでしょう。
暮沢──ただ、費用対効果を考えた場合に現代美術は客が呼びづらいということがあり、予算を採るのが難しいという状況があります。また、以前にはなかった特徴として、美術館とただ箱として建てるのではなく、まず開館準備室を作ってまちづくりや地域住民の意見を聞くワークショップなどを綿密に行ない、数年がかりでコンセンサスを得るというプロセスが挙げられます。金沢21世紀美術館はその典型だと思います。
沢山──このような座談会に参加させてもらいながら申し訳ないのですが、僕自身は、今日のひとつのお題である「この10年」の動向についてきちんと押さえているとはとても思えませんし、先ほど成相さんが言われた2000年代にできた美術館にもそれほどマメに足を運んでいるわけでもありません。ただ、暮沢さんが例に挙げた金沢21世紀美術館は何度か行ったことがあります。とりわけ金沢21世紀美術館は、地域住民とのインタラクションと現代美術の普及がうまくいっている美術館だという評価を受けていますよね。金沢にはジェームス・タレル★3やオラファー・エリアソン★4の作品があります。実際に鑑賞してみて、タレルやエリアソンの作品というのは、インタラクティブな相互作用をつくりあげる一種の「装置」のようなものだという印象を受けたのですが、そこでは、環境的な装置によって言語化できない感覚的なエフェクトをつくり上げることが主眼となっていて、来場者とのインタラクションによる感覚的な崇高性が演出されている。そのような作品では、ロジックや予備知識が何もなくとも、感覚作用を通して鑑賞者が比較的容易に現代美術にアクセスできるようになっているわけです。また、現代美術館が地方にできているもうひとつの理由として挙げられるのは、雑誌『ブルータス』などで特集されているような、現代美術の「巡礼」モデルですね。それは先ほど言った感覚的な崇高性の話とも繋がると思うのですが。たとえば、直島の美術館にあるウォルター・デ・マリア★5の作品なんて、ほとんど新興宗教の巨大なモニュメントのように見えるわけですね。杉本博司さん★6にいたっては、そのような聖地巡礼モデルを巧妙に駆使して「護王神社」をつくってしまったようにさえ思える。神社ですから(笑)。とりわけ直島に行くことはいまや、現代美術のみを鑑賞しに行くのではではなく、そこにある風景を楽しむこととセットになっています。むしろその位置関係は逆転すらしていて、旅をするアリバイとして現代美術があるかのようです。別にそのような傾向を咎めるつもりはまったくありませんが。
暮沢──初めて地中美術館へ行った時は開館直後で行列ができていたのですが、前に並んでいたおじさんがタレルとダリを勘違いしていた(笑)。作家の名前を全然知らないお客さんも吸引しているから行列ができるんだろうと思いました。
また、従来の美術館は行政上の区分として教育委員会の所轄が多かったことがあり、各地方の税金で、その地元出身の作家のコレクションを形成しなければいけないという義務が当然のようにありましたが、それが足かせにもなっていました。一方、最近のように自治体で観光部分の所轄になると地元と縁のない作品を自由に集めることができるようになる。十和田市現代美術館がその典型で、国内外から地元と無関係の作家を連れてきて配置していますが、やはりまちづくりやシティスケープを第一に考えているからそんなことが可能になったと思います。十和田は極端ですが、最近新設された美術館は明らかに地域・地元の作家や工芸家よりもまちづくりへ向かっています。東京都心の森美術館や国立新美術館、21_21 DESIGN SIGHTにしても「六本木アート・トライアングル」★7を形成していて、そういった集客の傾向が見られると思います。
成相──まちづくり計画とリンクする観光誘致という観点は、教育・啓蒙に加えた新たなミュージアム設立の目的となったといえます。金沢などの成功例が自治体の関心を引いたのかもしれませんし、そもそもその観点は行政的に受け入れられやすいものでもあるし。かつての美術館の外観が、行政設立の場合はとりわけ、周囲の環境とゆるやかに調和するようなものが好まれたのに対して、むしろ目立つものが多くなっていることも同じ経緯でしょう。そういえば、新旧バージョンの交代で書き換えられた項目の一つに、「ナショナル・ギャラリー構想」があります。旧バージョン段階では構想段階だったものが、現在の国立新美術館となりました。基本的にコレクションを持たないために「ギャラリー」と称していましたが、結果としては「美術館」と名乗ることになりました。
暮沢──国立新美術館ができてすぐのころ、「対外的には『THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO』、日本語では『美術館』としていてダブルスタンダードだ」と村田真さんが批判していましたが、その通りだと思いました。あれは村山富市内閣時代に、多くの美術団体が平山郁夫さんを座長にかついで東京都美術館が手狭なので新しい会場がほしいという陳情をして、それに折れるかたちで出てきたという経緯があります。用地に困っていたところ、ちょうど東京大学の生産技術研究所の移転で乃木坂の一等地が転がり込んできた。旧バージョンの時点で明らかになっていた情報はその程度でしたが、その後は皆さんもご存知の通りです。設計は黒川紀章で、手前のカーテンウォールの部分だけが異質ですが、いかにも団体向けの装置にふさわしく二段掛けや三段掛けができるような巨大な壁の箱があります。東京都美術館は上野公園内の他の美術館との連動で集客ができますが、六本木の場合はそれがなかなか難しいので、各大手新聞社主催の大きな企画展で人を呼んで、そのお客さんを団体展に呼び込もうというわけです。
成相──オープニング直後だったと思いますが、国立新美術館でのある会合に参加した際に、役職に就いている方が出ていらして「現代美術では人が来ないので、泰西名画展のついでに現代美術も見ていただければ」というような挨拶をされてたいへん落胆した覚えがあります。ただ、展覧会図録のアーカイヴを形成しようとしていることは重要な機能として期待しています。
暮沢──美術館のライブラリーとしては東京都現代美術館と横浜美術館が比較的充実していますが完全とは言えませんね。
足立──国立新美術館自体も本気でやっているようには思えません。1970年以前の資料は事前に請求して、その数日後に別の部屋で見なければいけないとか、最初から使う気になれない。
暮沢──収蔵庫もない美術館なのでさらに本を集めようとしたら展示室をひとつ潰すくらいしかないですね。また、森美術館についてはどうですか。なぜこれを聞くかというと、以前著書に書いたことがありますが、1975年に開館して1999年に閉館した池袋のセゾン美術館が確実にある時期の現代美術を牽引したと考えているからです。僕が今の商売をやっている理由のひとつでもあります。それが閉館した際にはひとつの時代が終わったと思いましたが、森美術館は多くの点でその流れを汲んでいて、どうしても僕にはその流れで見えてしまいます。皆さんは世代的にセゾン美術館の実感は乏しいと思いますが、大手の民間企業による美術館がどう見えるのかを聞いてみたいと思います。
足立──意外と長く続いていておめでたいことだと思います。ただ、段々と企画展の期間が長くなり、年間あたりの本数が少なっているようですね。
成相──この10年は、デパート美術館が終わった時代です。今でも残っているのはBunkamuraザ・ミュージアムと横浜のそごう美術館くらいでしょうか。それと密接に関わって、「メセナ」という用語も聞かなくなりました。このように経済が逼迫した状況で、文化事業が余剰に属すると見なされる限りにおいてはしょうがないかもしれません。その中で、森美術館はそのいわば中心と周縁の関係を逆転させて都市計画のど真ん中に美術館を配した点に画期性がありました。開館時に比べて、展望台フロアの貸会場である森アーツセンターギャラリー★8と森美術館とでまた別の差異が目立ってきていて、当初の目論みが有機的に機能しているかどうかはわかりませんが。
暮沢──2000年頃、MoMAが六本木に進出するという噂が流れたことがあります。結果的に原宿にデザインショップを構える形になりましたが、森美術館ができた経緯とも無関係ではないでしょうね。昨今、海外の大きな美術館が分館を構える流れがあり、やはりそれは1997年のビルバオ・グッゲンハイム美術館がきっかけだと思います。その後、2004年に谷口吉生★9の設計でMoMAが拡張されたり、2010年のフランスのポンピドー・センター・メス★10(設計:坂茂ほか)、オープンしたばかりのルーブル・ランス★11(設計:SANAA★12)などもあります。そういった海外の美術館のグローバリズム戦略や拡張についてはどうでしょうか。ルーブルは中近東へ進出という噂もありましたね。
足立──東京にはもうあり得ないと思います。かつて香港や台湾に米仏の巨大美術館が進出するというような報道がありましたが、結局実現したのは中東です。今、マーケット的に大きい中国では今後あり得ると思いますが。日本は土地が余っていないということも大きいですね。
暮沢──ガゴシアン・ギャラリー★13がアジアで最初に支店を構えたのは香港ですね。日本の経済が停滞しているがゆえに、日本のアート市場の魅力が失われつつあると。
沢山──先ほどの話に少し戻りますが、近年では、美術館建築が建築家の代表作になることが増えた。つまり建築のコンペに勝つことが、建築家の大きなステータスになるという側面が強くなったように、個人的には思うんですね。フランク・ゲーリー★14のグッゲンハイム・ビルバオ★15やSANAAの金沢21世紀美術館などがその典型ですが。そうなると、美術作品を見に行くということと建築を見に行くということが、美術館に行くモチベーションとしては区別できない。これはかなり転倒した状況で、たとえば僕はビルバオには行ったことがないのですが、フランク・ゲーリーの建築は建築であると同時に、フォリー、つまり建築的な彫刻としての表現形態を備えたものですね。そしてその中にリチャード・セラ★16の彫刻が設置されているという構造になっている。ですが、そもそもゲーリーの建築のあのウネウネとした建物こそ、ポスト・ミニマリズムを参照していたわけです。もともとゲーリーは、ゴードン・マッタ=クラーク★17やリチャード・セラからの影響があり、脱構築主義(デコンストラクティビズム)と呼ばれる建築のスタイルに接近したという経緯がある。しかし、今ではリチャード・セラがゲーリーの建築を真似るようなかたちで湾曲した巨大な鉄板の彫刻によるスペクタクルを展開するようになっていて、ほとんど倒錯したすごい状況になっている。建築と作品とが入れ子状態になっているわけです。
暮沢──でも、実際に現地へ行って見ると感動しますよ。セラのあの巨大な作品を屋根のついた空間で見られるだけでも素晴らしい。
足立──あれは実は内部は大変機能的にできていますね。
沢山──まあそもそも行ったことがないので批判する権利はないのですが、以前、フランク・ゲーリーのドキュメンタリーを見たんですね。そこでビルバオの映像を見ていて気づいたのは、確かに足立さんが言われたように内部は意外とスクエアで機能的。で、実は表面だけが彫刻的にアグレッシブにつくられている(笑) ただ、その映像を見た印象ではそうした外皮と建築の内部構造的との連関は感じられず、そこにフランク・ゲーリーの建築の決定的なまずさがあると思いました。しかし、そもそもデコンストラクション建築が、モダニズム的な機能性からの離反として形態の自動的な創出という運動プロセスを推し進めたのだとすれば、むしろゲーリーはそのようなデコン建築の通念には従うものではないと考えることもできるかもしれません。むしろ機能主義とポスト・ミニマリズム的な彫刻性の折衷こそ、ゲーリー建築が世界的にも普及した理由なのかもしれませんね。
成相──いわゆるハコモノを文字通り開放的に見せる要望の高まりから、内と外との隔たりの軽減をより強く意識させる建築が目立ちます。その要望は自ずと開口部としてのドアと窓に集約されていくわけで、金沢21世紀美術館は前後左右・表と裏を決定させない円形のデザインの中に出入り口が複数あって、外壁はすべてガラス張り。要するに全部が窓になっています。こちらも基本はスクウェアで構成されていて、それぞれの間は通路というより外部から延長した道になることで内部にもう一度外部を作っています。土の展示室を入れ込むことによって内外の関係をあいまいに見せた青木淳さん★18による青森県立美術館も、建築として応えようとした課題は同じだと思います。
暮沢──あれは遺跡の構造を模しているのですね。
沢山──ビルバオにおけるゲーリーとセラはまさに、建築と作品が入れ子状態になっていて、ほとんど鏡像関係・互いを参照し合うような関係にあるということです。これも金沢21世紀美術館に典型的ですが、ガラスに覆われた建築が透明性を持っていて、内部と外部を交通するようになっている。そしてその外にはオラファー・エリアソンによるカラフルな半透明の作品があり、SANAAによる建築と相互参照関係にあります。透過と同時に反射をする、これは最初にダン・グレアム★19がハーフ・ミラーのパビリオンの作品でやったことです。そもそもグレアムのハーフ・ミラーの作品というのは、当のパビリオンを鑑賞している鑑賞者が、ハーフ・ミラーに写る自らの形姿を確認することで、美術作品をいままさに見ている自分の立場を反省的にリアルタイムで回顧するという、多分に制度批評的な構造をもつものでした。オラファーの作品になるとそれがカラフルになって、ずいぶん脱政治化されてしまっているわけだけど。ガラスは、建築が外部を遮断し内部をつくらないといけない中で、かつある透明性も確保しないといけないという二律背反に対する回答として与えられた素材なのでしょうね。
暮沢──西沢立衛さん★20による十和田市現代美術館では中の作品がかなり見えてしまっていますね。そういった美術館はハコモノ行政批判がないと出てこなかったと思います。以前であれば美術館建築はゼネコンと一部の大家にしかコンペの参加資格がなく、それゆえに似たようなものしかできませんでした。それが、青木淳さんが一席になった青森県立美術館やヨコミゾマコトさん★21が一席になった新富弘美術館★22など、完全公募制のコンペが行われるようになった。また、美術館を仕切る立場にあったキュレーターと建築家、たとえば金沢21世紀美術館であれば長谷川祐子さん★23とSANAAの協同関係や相互作用があって、それがさらにまちづくりとリンクするようになっています。美術館のデザインと美術館のコンセプトが一体となっていきますが、トップダウン的につくるとおそらく国立新美術館のようになります。