会期:2024/04/16~2024/04/21
会場:KUNST ARZT[京都府]
公式サイト:http://kunstarzt.com/Artist/SAMATA/Kazuki.htm

佐俣和木は、プロのスポーツ選手でもある異色のアーティストだ。本展では、「公式戦のスポンサー募集」「グッズ販売」という仕掛けを通して、スポーツと資本や政治、ナショナリズム、ジェンダーの関係を問うと同時に、アートの構造自体に対しても「スポーツとの同質性」というユニークな視点から再考を促している。

佐俣がプロ選手として活躍するのは、ディスクゴルフという競技である。木や岩などの障害物や山の斜面を利用した野外のコースを回り、円盤状のフライングディスクを投げ、何投でゴールのバスケットに入れられたかのスコアを競うスポーツだ。

[筆者撮影]

本展では、会期末の週末に開催される公式戦「第31回東京オープン」のスポンサーを2タイプ募集した。1つめは、出資者の名前や企業などのロゴを記入・貼付したウェアを、実際に佐俣が着用して出場するというもの。2つめは、出資額に応じて試合中の行動や服装が決定されるというもの。「金額と決定権」の例を記したパネルが、ウェアの隣に掲示された。数千円台のお手ごろな出資額には、実行のハードルが低くナンセンスに思える行為が並ぶが、「スポーツ選手に社会が期待するイメージ」がさりげなく揶揄されている。例えば、「ラウンド前にトマトを食べる」「脳内BGMを『モー娘。』にする」といった「ゲン担ぎ」「勝つためのイメトレ」のパロディだ。また、「礼儀正しく挨拶する」「空き時間に子供を見つけたら投げ方を教える」といった行動は、「スポーツ選手に求められる倫理や模範像」をストレートに示す。

[筆者撮影]

一方、1万円以上~数百万円単位の高額出資は、スポーツと資本や政治、ナショナリズム、ジェンダーの関係をより皮肉に批判する内容だ。「政治的な表現活動をしない」「国家のために戦う」といった項目は、資本や国家が「スポーツ=娯楽」という回路を利用して何を称揚し、何を抑圧しているのかを直裁的に批判する。「ショートスカートで出場する」「生理になったことを周りに言わない」という項目は、性的視線の対象化や、指導者が男性に偏ったスポーツ界の不均衡なジェンダー構造といった、女性アスリートを取り巻く困難な状況を浮き彫りにする。また、「優勝しない」「2位と6点差で優勝する」という(もし両者ともスポンサーが付けば)矛盾した項目は、特にアメリカで急拡大するスポーツ賭博産業と八百長を示唆する。

一方、もう一つの展示空間では、「グッズ販売」というスポーツ産業のパロディを通して、むしろアートとの同質性に接近していく。大谷翔平などスター選手の「ボブルヘッド人形(頭が揺れるフィギュア)」を自身に置き換えたマルチプル作品。対照的に、使い込んだディスクに、スローイングポーズの写真ステッカーを貼った「1点もの」は、スター選手が使用したスポーツ用具やユニフォームが「サイン入りの1点もの」として高額で売買されることを連想させ、スポーツ産業とアートの境界線が揺らいでいく。

[撮影:加藤菜々子]

[撮影:加藤菜々子]

「スポーツとアート」というと、絵具をつけたボクシング・グローブでキャンバスを殴って描画する篠原有司男のボクシング・ペインティングや、元アメフト選手であり、「身体の鍛錬と変容」を扱うパフォーマンスや「拘束のドローイング」を手がけたマシュー・バーニー、ナンセンスなルールの架空の競技によりオリンピックやナショナリズムをゆるく解体する西京人(小沢剛、チェン・シャオション、ギムホンソックによるユニット)などの事例が想起される。

一方、佐俣の独自性は、作家であると同時にプロスポーツ選手でもあるという二重性にある。「スポンサー名」がステッカーや手書きでベタベタと貼られたウェアを着て出場した試合は、ギャラリーで映像中継された。そこでは、「スポーツ選手としてのプレイ」と、「アーティストとしてのパフォーマンス」の境界が曖昧になっていく。だが、大型企画展や美術館の運営もまた、公的助成や企業のスポンサーなしには成り立たない。国立西洋美術館で同時期に開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?─国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」展の内覧会では、飯山由貴と、遠藤麻衣・百瀬文がそれぞれ、国立西洋美術館のオフィシャルパートナーである川崎重工業とイスラエルの軍需産業の関係に対する抗議パフォーマンスを行ない、注目を集めた。だが、「アーティストは政治的に無垢・中立であるべき」という社会的圧力は、スポーツ選手に対するそれへと置換可能である。高額出資者が決定権を持つ行動には、「試合中に抗議活動をしない」「SNSへ自由な発言をしない」といった項目が並んでいた。これらは、例えば、テニス選手の大坂なおみがBLMへの連帯を表明し、黒人犠牲者の名前が入った黒いマスクを着用して試合にのぞんだ際、日本ではSNSでバッシングが起こった事態を想起させる。佐俣のプレイ/パフォーマンスは、「見られる対象」としてのスポーツ選手の身体が、社会への抗議と抑圧がせめぎ合う政治的な場所でもあることを改めて意識させる。

スポーツの実践を通して、スポーツと同時にアートの構造を多角的に逆照射する佐俣。今大会で見事優勝したが、同じプロ選手でも男性と女性では賞金に2倍の差がある。ディスクゴルフに限らず、スポーツ業界全体における不均衡なジェンダー構造を示す一例だ。

試合の映像中継の様子。コース一覧や得点表示のタブレット、モニターが追加された。[撮影:加藤菜々子]

★──第31回東京オープンの試合結果を参照。https://www.pdga.com/apps/tournament/live/event?eventId=79081&view=Scores&division=All&round=12

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鑑賞日:2024/04/14(日)