カール・ラーション《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》
1895年、紙・水彩、31.5×47.0cm、スウェーデン国立美術館蔵
Photo: Bridgeman Images / DNPartcom
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水彩画の優しさと強さ

観葉植物パキラが弱ったため、すべての葉を落とした。幹だけのパキラに霧吹きでわずかな水をかけて1年、新緑の5月を迎えた。幹から突然ポツンポツンと芽が萌え、そのひとつは枝葉をつけるほどに伸びている。幸せとはこういうことかと思った。

「幸せは人それぞれであり、自分にとっての幸せを見つけることが大切です。」と、生成AI(Copilot)はいう。日常の幸せを絵にしたような北欧スウェーデンの画家カール・ラーションの代表作《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》(スウェーデン国立美術館蔵)を見てみたいと思った。《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》(以下、《窓辺の花》)は、画集『わたしの家』(ボニエール出版、1899)に掲載された24点のうちの1点で、写実とイラストの狭間にある温かみのあるほのぼのとした水彩画である。水彩画の優しさにスウェーデンの風土を想像するが、極細の線描や柔らかなパステルカラー、丸テーブルの反射に見られるように光の捉え方にラーション特有のこだわりがあり、水彩画に強さを感じる。

スウェーデンの画家といえば、ニューヨークのグッゲンハイム美術館 での展覧会「Hilma af Klint: Paintings for the Future」(2018-19)で、同館の過去最多の入場者数、約60万人を記録した女性画家ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)を思い出す。映画『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』も公開されていた。現在、東京のSOMPO美術館では「北欧の神秘─ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」展(2024.3.23-6.9)が開催されており、北欧にいま熱い視線が注がれている。

スウェーデン出身のラーション作《窓辺の花》の見方を、茨城県近代美術館館長の荒屋鋪(あらやしき)透氏(以下、荒屋鋪氏)に伺いたいと思った。荒屋鋪氏は、西洋近代美術史と日本近代美術史を専門とされ、1994年に学芸員として展覧会「スウェーデンの国民画家 カール・ラーション展」を担当し、著書『カール・ラーション スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家』(東京美術、2018)を出版されている。茨城県近代美術館のある水戸へ向かった。


荒屋鋪 透氏

友達からアートを教えられた

JR水戸駅南口から千波湖(せんばこ)へ向かって歩くと20分ほど、緩やかな坂の上にレンガ色の茨城県近代美術館が見えてくる。館長に4月に就任されたという荒屋鋪氏は、1956年東京・練馬に生まれた。ひとりっ子だった荒屋鋪氏は文章を書いたり、本を読むのが好きで、小学校6年生の頃、友達のお母さんからもらった挿絵の入った『トム・ソーヤーの冒険』(マーク・トウェイン著)を夢中になって読んだという。また、漫画家の手塚治虫の家が近く、「鉄腕アトムクラブ」に入っていた友達と一緒に虫プロダクションへ遊びに行ったり、友達のお兄さんが大切にしていたレッド・ツェッペリンのレコードで「胸いっぱいの愛を」を聴かせてもらった。荒屋鋪氏は「友達からアートを教えられた」という。

慶應義塾高校へ入学したとき、絵を見るのが好きで美術部へ入ったところ、顧問の先生が創画会の日本画家、毛利武彦(1920-2010)先生だった。荒屋鋪氏にとっては、先生は画家そのもので、絵を学ぶというより、アーティストの雰囲気を肌身で感じる貴重な時間だった。その毛利先生の醸し出す世界観にも影響され、慶應義塾大学の文学部に入学し、美学美術史学を専攻した。1983年同大学の大学院修士課程を修了し、その年三重県立美術館の学芸員となる。1995年に山梨県立美術館学芸員、1999年には箱根のポーラ美術館設立準備室学芸員となり、学芸部長、館長を経て2014年に退任した。そして、2017年中部大学人文学部教授になり、2024年より茨城県近代美術館館長を務めている。

当初、フランス美術を研究していた荒屋鋪氏だったが、画家の若い時期の留学期の作品を収集する三重県立美術館に入り、収蔵品を調べているうちに、フランスへ勉強に行った日本の洋画家たちに関心をもった。1986年の「生誕120年記念 黒田清輝展」では、黒田清輝(1866-1924)がフランス留学(1884-93)中に滞在したグレー=シュル=ロワン村について現地調査を行なう。パリ市街から南東に70キロのグレー村には、浅井忠(1856-1907)も滞在し、作品に「グレー村」の名を付けたり、俳句雑誌『ホトトギス』に滞在記を書いたことで、グレー村は日本の洋画家の聖地となった。グレーが芸術村になったのは、イギリスの画家たちが集まった1870年代。1880年代には北欧の画家たちが集まり、カール・ラーションもここにいた。近年、「黒田清輝通り」と「カール・ラーション通り」が新たに命名された。

荒屋鋪氏が《窓辺の花》を初めて実見したのは、三重県立美術館の学芸員として「カール・ラーション展」を準備するためにスウェーデンを訪れた1993年だった。スウェーデン国立美術館で、水彩画「わたしの家」シリーズ全24点を鑑賞した。「わかりやすくて、きれいでかわいらしい絵だけれど、その背景には生活をより芸術に近づけようとするラーションの考えがあると思った」と荒屋鋪氏は述べた。

グレー村で色彩画家になる

カール・ラーションは、1853年5月28日スウェーデンの首都ストックホルムの旧市街にあるプレストガータンに生まれた。父ウールフは愛想のない日雇い労働者で、母ヨハンナはいつも最善を尽くす人だったが、貧しい家庭であった。

ヤークブソンという教師に絵の才能を見出されたラーションは、1866年13歳でスウェーデン王立美術学校の予科クラスに入学。古典クラス、モデルクラスへと進級し、1876年には海外留学の許可を得られる国王メダル賞を受賞。そして、出版物や報道記事のイラストや挿絵など、図案画家として両親も養い、苦学しながら絵を学び続けた。学校を卒業した24歳の1877年にアカデミックな大様式の歴史画家を目指して、パリへ留学。

スウェーデン王立美術学校の奨学金が得られず、大様式絵画は実現できなかった。それでも翌年友人の肖像画《カール・スコーンベリの肖像》をパリのサロンへ出品して初入選を果たす。印象派を学び、曲線美が特徴のデザイン思潮アール・ヌーヴォーの影響を受けて帰国。その後、再びスウェーデン王立美術学校の奨学金を申請したが失敗した。それでもパリへ赴き、サロンへ応募するも落選。ラーションは、自信を失い1881年帰国する。

失意と貧困のなかで病に倒れたが、友人の劇作家アウグスト・ストリンドベリの著書『スウェーデンの人々』の挿絵に着手。1882年友人の画家カール・ヌードストロームがパリ郊外のグレー=シュル=ロワン村に誘ってくれた。明るく穏やかな芸術村でラーションは、暗い歴史画の油彩画から、水彩画による明るい風景画・風俗画へと変更し、色に目覚めて色彩画家となった。

翌年サロンへ出品した水彩画《10月(南瓜畑)》《11月(霜)》がメダルを受賞。そして水彩画《老爺と新しく植えられた木》《家庭菜園で》がスウェーデン国立美術館に買い入れられた。グレー村でスウェーデン画家たちの中心的存在となったラーションは、画家カーリン・ベーリェーと結婚。翌年グレー村で長女スサンヌが誕生、4男4女に恵まれた。水彩画《グレーの堰》がフランス政府に買い上げられた。

教授職の申し出がスウェーデン王立美術学校よりあったが、過去の奨学金失敗の虚しい記憶が甦り、応じなかった。むしろ美術学校に抵抗する若手画家たちの反逆派運動(オプーネント)を支援、1885年パリ・ブランシュ画廊で開かれた「セーヌ河畔より」に参加した。1886年スウェーデンのイェーテボリに新しく開校されたヴァーランド美術学校の教師となる。パトロンで実業家のポントゥス・フュシュテンベリーより邸宅のための三幅対の壁画《芸術の偉大な世紀、ルネサンス・ロココ・今日の美術》の注文を受け、1888年には教師を辞して取り組みパリ万国博覧会(1889)に出品、一等メダルを受賞した。

アーツ・アンド・クラフツ運動の実践

ストックホルムの北西約238キロ、ダーラナ地方のスンドボーンにある義父が所有する家屋(愛称:リッラ・ヒュットネース[岬の小さな精錬小屋])を譲り受けた。1888年から一時的に移り、雑誌から情報を得ていた英国のアーツ・アンド・クラフツ運動の実践の場としてリノベーションに少しずつ着手する。スンドボーンは、先史時代から続く湖沼鉄(こしょうてつ)の採取と鉄の精錬、また伝統手工芸で知られる小村だった。

ラーションは、1892年油彩画《わたしの家族》を描き、輪郭線と簡素な色面だけを用いて線描表現を確立した。1894年初の個展をストックホルムの画廊で開催し、翌年、初めて著書『わたしの家族』を出版。1896年には国立美術館の地階の6面に記念碑的なフレスコ壁画《スウェーデン美術の歴史》を完成させた。挿絵も壁画も必要な才能は同じと思ったラーションは、独自の線描様式を得て、水彩画「わたしの家」シリーズを制作、1899年に画集『わたしの家』を発刊。ホーム・インテリアの手本として人気を博す。人物とその背景をすべて線描で描く特異なラーション世界を生み出した。アール・ヌーヴォーやジャポニスムの影響と思えるが、壁画制作時に研究した初期イタリア・ルネサンスのサンドロ・ボッティチェリ(1444頃-1510)や、スウェーデンの伝統芸術に発想源があったことが考えられる。

芸術批評家のジョン・ラスキン(1819-1900)の「芸術と建築は『健全な精神、健康と幸福』を助長する倫理的使命を持っている」(図録『スウェーデンの国民画家 カール・ラーション展』、読売新聞社・美術館連絡協議会、1994、p.28)というラスキンの考え方に共感していたラーションは、産業革命が波及し近代化、都市化が進むなか、1901年からスンドボーンの「リッラ・ヒュットネース」に定住し、素朴な田園住宅の美点を再発見していく。家を丸ごとアート化した「カール・ラーション・スタイル(スウェーデン・スタイル)」の裏方を支えていたのは、妻カーリンであった。自然に恵まれたダーラナ地方の伝統工芸から糸紡ぎ、織物、編物を学び、デザインは独創的な幾何学模様や、制作中に起こった出来事を即興的に織り込むなど、シンプルでモダンな感覚のテキスタイルを制作。実用性を失わずに高い芸術性を実現した家具や室内装飾には、画家カーリンの才能が随所に開花している。

ラーションは、1907年ストックホルム王立劇場の天井画《演劇の誕生》を制作。また子供たちの通学のためにスンドボーンに近い、銅山で栄えた歴史の深い町ファールン(2001年世界遺産登録)にも家を買う。1909年ドイツでの翻訳画集『太陽のなかの家』が短期間に10万部というベストセラーになり、ラーションの名は国境を越えて一気に広まった。1911年国立美術館の階段上部の装飾壁画《冬至の生贄》に取り掛かるが、主題などについて論争が起き、美術館はのちに受け入れを拒否してしまう。1913年画集『他家の子どもたち』を出版後、家庭の幸福を描いたスウェーデンの国民画家ラーションは、1919年1月22日ファールンで亡くなった。享年66歳。没後1931年に自伝『わたくし』が出版された。

 

窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)の見方

①タイトル
窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)(まどべのはな「わたしのいえ」しりーずより)。英題:Flowers on the Windowsill, from‘A Home’series


②モチーフ
居間、長女スサンヌ、水差し、窓、丸テーブル、椅子、編物、鉢植え、アイビー、ソファー、クッション、チェスト、ラグ、台、額絵、燭台、ろうそく、紙。


③制作年
1895年。ラーション42歳。


④画材
紙・水彩。


⑤サイズ
縦31.5×横47.0cm。


⑥構図
四角い窓枠の水平・垂直の直線と円形テーブルの丸みを対応させ、遠近法によって室内空間を正面から広角に捉えた構図。


⑦色彩
白、緑、青、赤、茶、ピンク、黄、紫、こげ茶、黒など多色。温かみのあるすがすがしい中間色を用いている。


⑧技法
水彩画。実際の光景を正確に写しとるデッサン力を基に、細い筆ですべてのモチーフにまんべんなく輪郭線を描き、その囲んだ線の内部に明るい色彩を薄く施す。


⑨サイン
画面下の中央にある丸の中に「C.L.」と黒で署名。


⑩鑑賞のポイント
森や湖が大切に守られているスウェーデンの心の故郷ダーラナ地方の小さな村、スンドボーンにあるラーションの家(愛称:リッラ・ヒュットネース)での家族の暮らしを描いている。本図は居間の南側の窓辺の様子を捉えた室内画で、長女のスサンヌが、素焼きの鉢植えの植物に水を与えているところ[図1]。水彩画を基にしたラーション最初の画集『わたしの家』(ボニエール出版、1899)に収められた1点でもある。カーテンを取り付けず、アイビーの蔓をアクセントにした英国風の窓からは、スンドボーンの川を見ることができる。光が満ち溢れる開放的な居間に、鑑賞者は招かれたような感覚になる。いままで妻のカーリンが椅子に座って編み物をしていたようだ[図2]。素朴で温かみのあるスウェーデン・スタイルの手づくりのインテリアを配置し、ゆったりとした時の流れと家庭の幸福を具体的に表現した。ラーションの代表作。



図1 花に水をあげる長女スサンヌ(《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》部分)



図2 編みかけの靴下(《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》部分)


絵の中に入っている

ラーションは自著『わたしの家族』のなかで、ジャポニスム画家としての宣言文ともいえる言葉を記している。「日本は芸術家としての私の故郷である。この地球上で、本物の芸術家といえるのは、ただ日本人だけである。私たちヨーロッパ人にとって芸術はどこか作為的で、窮屈な、紳士気取りのものだが、日本人の間では芸術の感性、感覚は彼らの日常的な行動のすべてに及び、些細なものにさえ添えられる、風雅なものなのだ。……日本人の芸術、それは私たちには一風変わった奇怪なものに見えるが、未来へと永続する、はるか偉大な、欠くことのできないものを持っている。」(荒屋鋪透『カール・ラーション』東京美術、2018、p.69)。 荒屋鋪氏は、スンドボーンにある「リッラ・ヒュットネース」に宿泊したことがあるという。スウェーデン国立美術館の学芸部長が「カール・ラーション展」(1994)の企画を進める荒屋鋪氏に対し、特別に泊めてくれたそうだ。「窓の向こう側に川が流れていて静かで心地良かった。しかし、6月だったので白夜で午後3時頃から陽が沈まず暗くならない。結局眠れず、一晩中起きていた。忘れられない体験だった」と荒屋鋪氏。

《窓辺の花》について荒屋鋪氏は、「スウェーデン・スタイルは、もともと民俗的な簡素な家か、ドイツ風だったが、カール・ラーションの時代は、フランスやイギリスから新しいものを取り入れたため家具などはドイツ風ではなく新しくなっている。フローリングの床の上にステージ(台)を付けてみたり、椅子に布をあしらったり、壁は軽快な色にするなど、従来の室内画に比べて宗教性がなくなり明るい。南側の窓はカーテンを付けずに開放しているところが象徴的だ。また、部屋を美しくだけでなく、リアル感をもって、この居間にいるような臨場感。まさにスサンヌが花に水をやっているところに立ち会っているような感じがする。絵を見ているというより、絵の中に入っている感じが不自然でないところがすごい」と語った。


荒屋鋪 透(あらやしき・とおる)

茨城県近代美術館館長。1956年東京都生まれ。1981年慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業、1983年同大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。同年三重県立美術館学芸員、1995年山梨県立美術館学芸員、1999年ポーラ美術館設立準備室学芸員、学芸部長、館長を経て2014年退任。2017年中部大学人文学部教授・同大学民族資料博物館館長、2024年より現職。専門:西洋近代美術史、日本近代美術史。主な展覧会担当:「開館10周年記念展 アーティストとクリティック─批評家土方定一と戦後美術」展(1992)、「スウェーデンの国民画家 カール・ラーション展」(1994)、「グレー村の画家たち」展(2000)、「黒田清輝、岸田劉生の時代─コレクションにみる明治・大正の画家たち」展(2005)、「ルノワール─伝統と革新」展(2010/第5回「西洋美術振興財団 学術賞」)。主な著書:『グレー=シュル=ロワンに架かる橋 黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村』(ポーラ文化研究所、2005)、『ルノワール クローズアップ・アート・コレクション』(東京美術、2010)、『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』(東京美術、2016)、『カール・ラーション スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家』(東京美術、2018)など。


カール・ラーション(Carl Larsson)

スウェーデンの画家。1853~1919年。ストックホルムに生まれる。1866年13歳でスウェーデン王立美術学校予科クラスに入学。苦学しながら絵を学び、1877年パリへ留学。翌年サロンに初入選。挿絵の仕事で資金を得ながら、印象派を学び、アール・ヌーヴォーやジャポニスムの影響を受けて帰国。1882年パリ郊外のグレー芸術家村で水彩画を描く。1883年画家カーリンと結婚し、8人の子供を得る。1888年義父からスンドボーンの家を譲り受ける。1889年壁画《芸術の偉大な世紀、ルネサンス・ロココ・今日の美術》がパリ万博で一等メダルを受賞。1895年初めての書籍『わたしの家族』出版。1896年国立美術館のフレスコ壁画《スウェーデン美術の歴史》完成。1897年ストックホルムのオペラ座休憩室の天井画と天窓の連作を制作。1899年画集『わたしの家』初刊。1901年からスンドボーンに定住し、家屋を数年がかりでリノベーション。1907年ストックホルム王立劇場の天井画《演劇の誕生》完成、またスンドボーンに近い町ファールンにも家を買う。1909年ドイツでの翻訳画集『太陽のなかの家』がベストセラーとなる。1919年ファールンの自宅で死去。享年65歳。没後の1931年に自伝『わたくし』が出版される。代表作:水彩画《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》、油彩画《わたしの家族》、『シンゴアッラ物語』(ヴィクトル・リュードベリ著、1894年版)の挿絵、壁画《スウェーデン美術の歴史》、版画《ゆがんだ顔》、画集『わたしの家』、翻訳画集『太陽のなかの家』など。


デジタル画像のメタデータ

タイトル:窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:カール・ラーション《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》1895年、紙・水彩、31.5×47.0cm、スウェーデン国立美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:スウェーデン国立美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式443.1MB、72dpi、8bit、RGB。資源識別子:コレクション番号=BAL3106537、画像番号=XOS3106537(Jpeg形式443.1MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:スウェーデン国立美術館、Bridgeman Images、(株)DNPアートコミュニケーションズ。


画像製作レポート

《窓辺の花(「わたしの家」シリーズより)》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACの返信メールから、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、443.1MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点まで、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。作品を所蔵するスウェーデン国立美術館のWebサイトの作品画像と、『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』(東京美術)の《窓辺の花》(pp.36-37)を参考に、Photoshopで色調整を行なった(Jpeg形式443.1MB、72dpi、8bit、RGB)。淡い色調の水彩画のため、カラーガイド・グレースケールを基に微妙な色を調整したいと思った。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。


参考文献

・Karl-Erik Granath(pictures)、Ulf Hård af Segerstad(text)『Carl Larsson’s Home』(Seelig、1975)
・図録『Carl Larsson』(Brooklyn Museum、1982)
・ウィルヘルム・菊江編著『カール・ラーション:わたしの家』(講談社、1985)
・図録『スウェーデンの国民画家 カール・ラーション展』(読売新聞社・美術館連絡協議会、1994)
・Nils Ohlsen『Skandinavische Interieurmalerei zur Zeit Carl Larssons』(REIMER、1999)
・図録『グレー村の画家たち展』(読売新聞社・美術館連絡協議会、2000)
・荒屋鋪透『グレー=シュル=ロワンに架かる橋:黒田清輝・浅井忠とフランス芸術家村』(ポーラ文化研究所、2005)
・Ann J. Topjon『Carl Larsson:an annotated bibliography』(Oak Knoll Press、2008)
・荒屋鋪透『カール・ラーション スウェーデンの暮らしと愛の情景』(東京美術、2016)
・荒屋鋪透『カール・ラーション スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家』(東京美術、2018)
・Webサイト:荒屋鋪透「サロンの外光派 パリ・1884-1893・黒田清輝」(『三重県立美術館』「黒田清輝展図録」1986)2024.5.5閲覧(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55475038548.htm
・Webサイト:荒屋鋪透「カール・ラーションヘの旅──スンドボーンとグレー=シュル=ロワン」(『三重県立美術館』「カール・ラーション展図録」1994)2024.5.5閲覧(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55177038251.htm
・Webサイト:荒屋鋪透「白樺派とカール・ラーション」(『三重県立美術館』「ひる・ういんどNo.48」1994.10)2024.5.5閲覧(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/54415037491.htm
・Webサイト:川島洋一「スウェーデンの近代的住宅像形成過程におけるカール・ラーション:自邸の意義」(『大阪大学学術情報庫』1996.11)2024.5.5閲覧(https://doi.org/10.18910/52865
・Webサイト:『Project Runeberg(プロジェクト・リューネベリ)』2024.5.5閲覧(http://runeberg.org/
・Webサイト:『Carl Larsson-gården(カール・ラーション・ゴーデン)』2024.5.5閲覧(https://www.carllarsson.se/
・Webサイト:「Flowers on the Windowsill. From A Home (26 watercolours)」(『Nationalmuseum』National Museum, Stockholm, Sweden)2024.5.5閲覧(https://collection.nationalmuseum.se:443/eMP/eMuseumPlus?service=ExternalInterface&module=collection&objectId=24209&viewType=detailView


掲載画家出身地マップ

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2024年5月