会期:2024/06/07~2024/06/08
会場:ロームシアター京都 サウスホール[京都府]
公式サイト: https://rohmtheatrekyoto.jp/event/117810

沖縄本土復帰50周年の2022年度から翌年にかけて、神里雄大/岡崎藝術座『イミグレ怪談』、劇艶おとな団プロデュース『9人の迷える沖縄人~after’72~』と、沖縄を主題にした優れた演劇作品を上演してきたロームシアター京都。22年にKAAT神奈川芸術劇場で初演され、演劇賞の受賞やノミネートで高く評価された『ライカムで待っとく』が、満を持して再演された。本作は、1964年、アメリカ統治下の沖縄で起こった米兵殺傷事件を基に書かれた伊佐千尋のノンフィクション『逆転』に着想を得て、沖縄在住の劇作家・兼島拓也が書き下ろし、沖縄に出自を持つ田中麻衣子が演出。1964年と現代、死者と生者の境界が次第に混濁しつつ、沖縄と本土の関係について、「演劇」「物語」への自己批評を交えながら問い直す秀作である。戯曲は『悲劇喜劇』2023年1月号に掲載。

カルチャー誌の記者の浅野は、上司の藤井から、パン屋店員で沖縄出身の若い女性・伊礼を紹介される。古い写真に写った若い頃の伊礼の祖父が、浅野にそっくりだったのだ。伊礼の祖父は、沖縄で起きた米兵殺傷事件の手記を残しており、手記を基に記事を書いてほしいと浅野は頼まれる。妻・知華の祖父の葬儀で神奈川から沖縄へ向かう予定だった浅野は、ついでに取材もしてきたらと、半ば押し切られてしまう。

[撮影:引地信彦]

普天間基地のすぐ傍にある知華の実家に着くと、写真に写った4人の人物のうち、ひとりは亡くなった知華の祖父・佐久本寛二であるという繋がりが判明する。さらに、佐久本が米兵殺傷事件の容疑者のひとりだったことも判明。浅野と知華は、死者と話せる霊媒師の女性、金城を訪ね、佐久本を呼び出してもらう。「あなたのことは、知ってるよ」「あんたが書くんだよ。事件のこと」と佐久本に言われ、困惑する浅野。事件についての佐久本の語りが、舞台上で演劇として展開していく。経営していた写真館と、飲み仲間の同僚や友人。3人は、タクシー会社社長の佐久本の兄が、会員である米軍のゴルフ場に連れていってくれる休日を楽しみにしていた。だが、ウチナンチュだからと露骨な人種差別に遭い、ゴルフができなかった3人。酒で憂さを晴らした夜、同僚と友人が米兵に殴られるのを目撃し、新品のゴルフクラブを手に逡巡する佐久本。この島ではアメリカと仲良くしないと生きていけないと諭す兄との対立……。

[撮影:引地信彦]

裁判の証言シーンを交えて再現される過去のなかに、浅野はいつしか登場人物として入り込み、アメリカ統治下の沖縄と現代、異なる時空の境目が混濁していく。あるいは、物語のなかに迷い込んだ浅野が見聞きする体験は、「そっくりさん」である伊礼の祖父が手記を書くために取材した経験と重なり合っていく。「アメリカに支配されて、差別されて、隷属されて、その怒りや鬱憤が吹き出した末の犯行。必要なのは、そういう物語だよ」「その方が読者の共感も狙えるだろ」「そっちの方が、沖縄の人たちに寄り添った記事になると思わないか? 逆境を生き抜いたたくましい沖縄の人たちの生活に思いを馳せる。そういう記事になるんだよ、これはきっと」と上司に言われた浅野自身が、「既に作り上げられた、期待される沖縄の物語」のなかに閉じ込められてしまうのだ。

浅野の上司である藤井もまた、好意を寄せる伊礼のパン屋を訪ねたはずが、本土・日本国家の描いた脚本通りに進行する「沖縄の近現代史」の壮大な時空に巻き込まれてしまう。首里城の明け渡しと琉球処分、沖縄戦での住民のガマからの追い出し命令、辺野古の埋め立て工事反対の「座り込み」と対峙する機動隊員……。「たくさん座り込みしてるでしょ」と機動隊員が視線を向ける先は「客席」であり、私たち観客も「本土によって書かれ、既に決定された沖縄の物語」の内部に取り込まれてしまう。あるいは、「物語」を望む観客自身も完全な外部にいるのではなく、共犯関係なのだということを強制的に体感させる。「もうみんな知ってるんで。そういうふうになるよっていうのは」という台詞がたびたび放たれるが、2022年の初演時との大きな差異として、普天間飛行場の辺野古移設工事をめぐる国と沖縄県の「代執行訴訟」で、最高裁が県側の主張を認めない判決を24年2月に下したことは、この台詞の痛烈さを一層強める。

本作のキーワードのひとつが「バックヤード」であり、そこに積まれる「ダンボール箱」のメタファーの多義性だ。時空を自在に行き来し、狂言回し的な役割を担う「タクシー運転手」と佐久本は、ともに「沖縄は日本のバックヤード」だと話す(俳優も一人二役)。舞台上に持ち込まれるダンボール箱は、文字通りには裁判資料の詰まった箱だが、「日本が自由に使うためのバックヤード」を拡張するための「埋め立て用土砂」の入った箱でもある。同時にそれは、米軍基地から盗んだ品物を内地へ密輸するためのダンボール箱であり、その中には「核や毒ガス」も入っている。箱はまた、死者の封印された記憶の謂いでもある。そしてバックヤードは、表側の世界が美しく平和であるために、不快なものが見えないように隠されていなければならない。そう、きらびやかなショッピングモールのバックヤードのように。

[撮影:引地信彦]

終盤、ある事件が起こる「イオンモール沖縄ライカム」は、かつて沖縄本島中部に置かれていた琉球米軍司令部の近辺にあった米軍関係者専用のゴルフ場の跡地に建てられている。琉球米軍司令部(Ryukyu-Command)の略称「ライカム」(RyCom)は現在も地名として残り、この場所自体が「植民地の記憶を、データに変換した場所」と作中で語られる。米兵殺傷事件を軸に、本作の端々には沖縄の近現代史が散りばめられる。沖縄戦の集団自決で家族を失ったトラウマ、コザを思わせる基地周辺の暴動、冷戦下での沖縄への核配備、本土へ行くにはパスポートが必要であり、アメリカが統治する「外国」であったこと(「150人分のパスポート写真を撮って大変だった」という語りは、高度経済成長期の本土への集団就職を示唆する)。アメリカ統治下の沖縄に存在した陪審員制度と、アメリカ側に有利な証言を引き出そうとする検事の露骨な誘導尋問。基地をめぐる沖縄内部の分断や対立。基地と売春、セックスワーカーに対する沖縄内部の女性差別。名前(のみ)として登録される、戦没者のデータベースとしての平和祈念公園の「平和の礎」。そこからもこぼれ落ちる、乳幼児の死者の記憶。死者を呼び出すため、霊媒師が写真をコーラに浸し、「コーラ味」にして食べるふるまいは、一見コミカルだが、「アメリカナイズされた沖縄」を自虐ギャグとして描く。

[撮影:引地信彦]

このように本作には、近現代史を貫く「沖縄の問題」が高密度に圧縮されている……。と説明したとたんに、ではその「沖縄の問題」とは、誰の立場から言っているのかと本作は突きつける。「沖縄の物語」の語り手とは誰なのか? あるいは、「沖縄の物語」を語ること自体の困難さを本作は提示する。後編では、「物語の書き手」自体を問う「メタフィクション」という本作の構造に着目する。さらに、ラストシーンで浅野/伊礼の祖父が迫られる選択をめぐって、「家父長制(国家)とジェンダー」という別の視点からも掘り下げたい。

後編へ)

関連レビュー

劇艶おとな団プロデュース『9人の迷える沖縄人~after’72~』|高嶋慈:artscapeレビュー(2023年06月15日号)
神里雄大/岡崎藝術座『イミグレ怪談』|高嶋慈:artscapeレビュー(2023年02月15日号)
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』|山﨑健太:artscapeレビュー(2022年12月15日号)

鑑賞日:2024/06/07(金)