ツェレンナドミディン・ツェグミド《オルホン河》
1993年、キャンバス・油彩、200×191cm、福岡アジア美術館蔵
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無限の循環力

新年が始まった。新鮮な気持ちで過ごそうと初詣に出掛けた。寒いが幸い大きな地震もなく、晴天が続いている。急な石段を一段一段上がると、広い境内には人が溢れんばかり。鳥居や梅の木、灯籠をポイントに人々の行列が蛇行して上手に流れている。御札のお焚き上げの煙を眺め、鎮守の杜の高い木々を見上げると、青い空が新春を祝っていた。神殿を前に心を新たに無の境地を試みた。“無”か“空”かと。何もないわけではなく、すべてあるような気持ちになったことは収穫だった。青空と草原に生きる遊牧民たちの絵を見てみたいと思っていた。風景を擬人化して目を引いたモンゴルの画家ツェレンナドミディン・ツェグミドの代表作《オルホン河》(福岡アジア美術館蔵)である。

大きく腕を広げて迎えてくれる観音さまのような絵画作品。イヤリングを着け、胸が透けてエロティックにも見える凛とした巨大な女性。髪を頭上に丸くまとめたかんざしが満月に見え、首にストールを掛けたように首の左右から水が流れ落ちる瀑布だが、よく見るとその水は女性の頭髪から続いている。空の雲は後光のように広がり、画面下の浅い川の水は、民族衣装を着たような人物と馬に導かれてオルホン河へと注ぐ。自然が内包する癒す力、無限の循環力を超越的な神として視覚化し、鑑賞者を包み込む。風景画でもあり、仏画でもあるような《オルホン河》には何が描かれているのだろう。福岡アジア美術館学芸課長の山木裕子氏(以下、山木氏)に《オルホン河》の見方を伺いたいと思った。

山木氏は、アジア近現代美術を専門としており、「モンゴル近代絵画展」(2002)や「モンゴル画の新時代」展(2014)など、モンゴルの展覧会を企画担当され、ツェグミドにも会いインタビューをされている。福岡アジア美術館へ向かった。


山木裕子氏


エメラルド寺院の絵ハガキ

JR博多駅から地下鉄で二つ目の中州川端駅に直結したリバレインセンタービルの7階と8階に福岡アジア美術館はあった。ビルの中にあるため迷う人もいるかもしれないが、オープンな雰囲気で椅子が置かれ、8階には図書閲覧室もあり、一度訪れると居心地のよい美術館としてファンになる人も多いのではないか。

山木氏は、1973年に長崎市の漁師町に3人兄姉の末っ子として生まれ、家の前の海を見ながら育ったという。父は貨物船の船員、母は酒屋を営み、店内でも飲める角打(かくう)ちをしていたそうだ。家には土産物として父が買ってきた東南アジアの品々が飾られていた。山木氏は小学校に入る前、そうした父のお土産のなかに、タイのエメラルド寺院の絵ハガキを発見し、その建物をきれいだと実感したことをいまも覚えている。そして小学校低学年のとき、母の店に来たフィリピンの船員が初めて接した外国人だった。その人たちに可愛がられ、アジアに対して親近感が生まれていたようだ。子供の頃から山木氏は本を読むのが好きで、学校の図書室から本を借りたり、家にあった文学全集や百科事典を読んでいたそうだ。 美術作品との出会いは、高校の修学旅行で行った京都だった。三十三間堂の国宝《二十八部衆像》。迫真的な仏像の表情や像形に衝撃を受け、しばらくひとりで見続けていたという。運慶(1150-1223)の息子、湛慶(1173-1256)の一門が制作したといわれる鎌倉時代の仏像だ。この頃、北欧に興味があった山木氏は、大阪外国語大学のスウェーデン・デンマーク語学科を目指していた。ところが家族から大学進学を反対されてしまう。折しも海から陸上勤務になった父が単身赴任している福岡であればよし、と許されて九州大学へ入学する。


一体これは何なんだ!

九州大学では、元福岡市美術館館長だった仏教美術の専門家、錦織亮介先生の講義を聴講し、美学・美術史を専攻した。卒業論文は修学旅行で出会った「三十三間堂の二十八部衆像」、修士論文は仏師、湛慶について書き、1998年九州大学大学院文学研究科修士課程を修了。同年4月に福岡市美術館内にあったアジア美術館準備室の嘱託職員となった。

「学生の頃から準備室で資料を整理するアルバイトをしていた。このアルバイトが真のアジア美術との出会いになった。ビックリしたのが、中国の前衛グループで北京の東村(中国語でドンツン)で活動している人たちの写真だ。坊主頭のジャン・ホワン(張洹。1965-)や、マ・リューミン(馬六明。1969-)という女性みたいにきれいな顔をした中性的な男性のアーティスト。《12㎡》という作品の写真は、ジャン・ホワンが公衆トイレで行なった真っ裸のパフォーマンスの様子。全身に蜂蜜と魚の脂を塗り、微動だにせず1時間座った。その間、ハエや虫が身体に張り付き、這い回っている。真剣な裸のパフォーマンス。何でそんなことをやるんだろう。一体これは何なんだ!」と山木氏。1999年に福岡アジア美術館がオープンし、山木氏は2003年に正規の学芸員になる。2022年より福岡市美術館へ移動し、2年後再び福岡アジア美術館に勤務している。

山木氏が最初に企画展を担当したのが、2002年開催の「モンゴル近代絵画展」だった。いままで誰もやっていない分野で、当時の学芸課長だった後小路雅弘氏を中心に、ほかの美術館4館と産経新聞社との共催により作っていった。山木氏は「モンゴルにはチベットから伝播した仏教の文化があるので、学生時代の興味とつながる部分があり、面白いと思った。調査にモンゴルへ行ったときに、国立のザナバザル美術館と近代美術館へ行ってみたら、社会主義時代の絵はどれもサイズが大きく、社会主義といってもプロパガンダ的な作品は少なく、自然や馬などの動物の絵が多く、技術もしっかりしていて感動した」と述べた。


自然のなかの偉大なもの

「モンゴル国」はユーラシア大陸にあり、東アジア北部に位置する。北はロシア連邦、南東西部を中国と接し、二つの大国に挟まれている。モンゴル民族が住む地域としては、モンゴル国以外に中国の内モンゴル自治区やロシア連邦のブリヤート共和国などもある。モンゴルとは、一部族の名に過ぎなかったが、13世紀チンギス・ハン率いる勢力が拡大するにつれ、その傘下に入った人々がモンゴル族を標榜するようになったという。つまり、モンゴルとはチンギス・ハンによって統合、形成された民族なのである。

現在のモンゴル国は、ソビエト連邦(ソ連)の崩壊を受け、1992年に資本主義国家として新しく誕生した国である。かつて1924年に世界で2番目の社会主義国であった「モンゴル人民共和国」は民主化・市場経済化を選択したのだ。日本の4倍ほどの広大な国土に比して、人口は約350.5万人(モンゴル国家統計局、2023)と少なく、標高約1,300メートルにある首都ウランバートルにその半数が集中している。

国土のおよそ8割が草原、南にはゴビ砂漠があり、降水量は非常に少ない。冬は乾燥した空気で放射冷却が進むため寒く、広大な草原が広がり雲を作る山がないことで晴天の日が多い。冬のウランバートルの気温は-20~-30℃で、年間の平均気温は-0.7℃と世界一寒い首都と言われ、冷害に襲われることも少なくない。この厳しい自然に適合した生活形態として、モンゴル草原に暮らす人々は遊牧を営んできた。

ツェレンナドミディン・ツェグミドは、1958年ウランバートルに生まれた。ウランバートル美術大学で風景画を学び、卒業後はモスクワ・スリコフ美術アカデミーに留学し、写実的表現を発展させた。1985年ウランバートル美術大学で舞台デザインの教師になり、4年後には同大学の校長に任命される。1991年にはウランバートル美術研究所の所長、1996年にはウランバートル芸術文化大学の学長を務めた。1998年からフリーランスのアーティストとして活動、2004年モンゴル美術アカデミーの会長となっている。

画家としてツェグミドは、目に見える美しい風景に留まらず、風景の美しさを支えている哲学や宇宙観を表現しようとしており、油彩のほか、水彩、パステル、テンペラ、墨も使い、また彫刻やタペストリー、インスタレーションなども制作する。モンゴル国内および日本、ユーゴスラビア、オーストリア、ノルウェー、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、スペイン、トルコ、韓国の展覧会に参加し、モンゴル芸術家組合賞(1992)やモンゴル国家賞(1996)などを受賞。名実共に現代モンゴル絵画を代表する画家である。

「ツェグミドは、自然をそのまま描写する今までのモンゴル人画家と違い、自然のなかの偉大なものを想像力で描くのが一番のポイント」と、山木氏はツェグミドの特徴を示した。


オルホン河の見方

①タイトル
オルホン河(おるほんがわ)。英題:Orkhon


②モチーフ
河、滝、女神、断崖、空、雲、女性、馬、河岸。


③制作年
1993年。ツェグミド35歳。


④画材
キャンバス・油彩。


⑤サイズ
縦200×横191cm。ほぼ正方形。


⑥構図
四分の三正面図。


⑦色彩
白、青、黄、緑、茶、オレンジ、グレー、黒など多色。


⑧技法
油彩画。


⑨サイン
なし。


⑩鑑賞のポイント
草原の国モンゴルは、東アジア北部にあり、平均標高1,500メートルと高地に位置するため、空気が乾燥し、昼夜や夏と冬の寒暖の差が激しい。モンゴルの屋根といわれるハンガイ山脈を水源とするオルホン河は、全長1,124キロメートルのモンゴルでもっとも長い河である。《オルホン河》に描かれるのは、上流にある景勝地の赤滝(ウラーン・ツタガラン滝)と呼ばれる実在の場所で、高さ約22メートル、幅10メートルの滝。水の少ないモンゴルにあって、その雄姿は際立ち、冬季には水が凍る神聖な場所として尊ばれている。ツェグミドはこの滝を屹立する女神と一体化させて、自然に宿る霊的な存在をダイナミックに表現した。女神の左腕下の崖壁には、古代の記号的な模様が散りばめられ[図1]、画面左下にはモンゴルの伝統的な髪型をした女性と馬のシルエットが浮かぶ[図2]。美しい風景をありのままに描くモンゴル絵画が多いなかで、万物に精霊が宿る精霊信仰をいまも続けているモンゴル人たちのアニミスティック(精霊崇拝的)な自然観を作品に織り込む稀な画家がツェグミドである。「わたしの作品はいつも、宇宙、自然、現象、水、空気、女性像、動物たち、犬、モンゴル人の古代の生活様式、シンボルなどというテーマから成り立っている」と言い、《オルホン河》では子供の頃に一度だけ見た赤滝に女神の姿を重ねて、「自然の力と人間の悲しみや夢、幸福との結びつきを描きたかった」と述べている。悠久の生命と大地の精霊が交錯するツェグミドの代表作である。



図1 記号的な模様がちりばめられた崖壁(《オルホン河》部分)



図2 伝統的な髪型をした女性と馬(《オルホン河》部分)


アニミスティックな力

20世紀の初頭、モンゴルは1924年に社会主義となる以前は、中国の清王朝の統治下にあって、チベット仏教の影響を受けた仏教美術が主流だった。ところがモンゴルを取り巻く周辺国の状況が急激に変化し、仏画の制作に携わっていた画家たちは、現実の社会や人間に目を向けるようになっていった。

山木氏は「その代表的な画家が、B.マルザン・シャラブ(1869-1939)で、作品《モンゴルの一日》と《馬乳酒祭り》は、モンゴル画として民俗学的にも貴重な資料である。《モンゴルの一日》はその生き生きとした表現が、モンゴル美術史上最高傑作といわれている。また、注目すべきはアップリケの作品。もともとは布を組み合わせ仏教絵画として制作されたもので、乾燥性の気候と遊牧の移動という生活様式から生まれたと推測される。それが社会主義時代に仏教が禁止されたため、社会主義的なテーマのアップリケが制作された。仏教文化でかつ社会主義でしか誕生しないモンゴル独特のジャンルとして作られた」という。

社会主義時代のモンゴルでは芸術家たちは国からの手厚いバックアップがあったが、主題としては制限があり、仏教や抽象画などは描けなかった。1992年にモンゴルが民主化を果たした以降は、主題のタブーがなくなり、画家たちは国家による経済的な保証を失ったが、代わりに自由を手に入れ、ツェグミドのほかにも現代美術的な手法に挑戦する画家ツァガーンダリーン・エンフジャルガル(1960-)などが登場し、《赤いテーブルまたは蜃気楼》といった社会批判的な作品が描かれるようになった。

近年、隆盛を見せているのはモンゴル画だという。モンゴル国立芸術文化大学の卒業生たちによって、さまざまな主題で多彩なモンゴル画が描かれるようになり、個性的な作品が制作されている。

《オルホン河》の見どころについては、「モンゴルの人は自然や馬が大好きで、その壮大なモンゴルの自然と歴史、それと時間的なものが描かれている。神聖な滝と神秘的な女神が重なって一体化し、古代から現代までモンゴルの人々が信じてきた自然のなかに潜むアニミスティックな力を表現した。ポイントは馬と女性のところ。女性の髪型が現代ではあまり見られないモンゴルの女性たちの伝統的な髪型になっており、時空を超えた感じが伝わってくる」と、山木氏は語った。

★──モンゴルの伝統文化に依拠するテーマや表現方法によって制作された絵画の総称。本来は黄土や孔雀石、群青などの天然鉱物顔料と膠(にかわ)で描かれたが、現代のモンゴル画の画家たちは、水彩絵具やアクリル絵具などを用い、画材にこだわらない。1924年に油彩画の技法が本格的に流入されて西洋美術を受容する過程で、それ以前にあったモンゴルの伝統的な絵画技法のこと。日本における「日本画」にあたる。


山木裕子(やまき・ゆうこ)

福岡アジア美術館学芸課長。1973年長崎県生まれ。1996年九州大学文学部哲学科美学・美術史専攻卒業、1998年同大学大学院文学研究科哲学・哲学史(美学・美術史)修士課程修了。同年福岡市美術館内のアジア美術館準備室に資料管理相談員として勤務、2003年福岡アジア美術館学芸課学芸員、2022年福岡市美術館学芸課近現代美術係長、2024年より現職。専門:アジア近現代美術。主な論文:「蒼天と草洋の絵画:モンゴル近代美術の展開」(図録『モンゴル近代絵画展』、産経新聞社、2002)、「モンゴルの近代アップリケについての考察」(『デ アルテ:九州藝術学会誌』第20号、西日本文化協会、2004)、「田中千智の地平線と道をめぐって」(図録『田中千智展 地平線と道』、福岡市美術館、2023)、「KYNE-GIRLとは何か」(図録『ADAPTATION-KYNE』、福岡市美術館、2024)、「『あらがう』ということ」(図録『あらがう』、福岡市美術館、2024)。主な展覧会担当:「日本・モンゴル外交関係樹立30周年記念 モンゴル近代絵画展──その源流と展開」(2002)、「現代アジアの作家Ⅲ パキスタンの現代細密画」展(2004)、「ロリウッド!──パキスタンの映画ポスター」展(2006)、「ベトナム近代絵画展:花と銃──インドシナ・モダンの半世紀」(2006)、「華麗なるネパールの神仏~ポーバ絵画の世界」展(2011)、「第4回福岡アジア美術トリエンナーレ 特別部門 モンゴル画の新時代」展(2014)、「草原の国から~モンゴル美術の50年」展(2022)など。


ツェレンナドミディン・ツェグミド(Tserennadmidin Tsegmed)

モンゴルの画家。1958年ウランバートル生まれ。1978年ウランバートル美術大学卒業、1979年から1985年モスクワ・スリコフ美術アカデミーに留学し、写実的な表現を学ぶ。1985年ウランバートル美術大学で舞台デザインの教師、1989年同大学校長、1991年ウランバートル美術研究所所長、1996年ウランバートル芸術文化大学学長、1998年からフリーランスのアーティスト、2004 年モンゴル美術アカデミー会長。主な受賞:モンゴル芸術家組合賞(1992)、文化省指導的芸術家賞(1993)、モンゴル国家賞(1996)。油彩、水彩、パステル、テンペラ、墨など使い、絵画のほか彫刻、タペストリー、インスタレーションも制作する。モンゴル国内および海外の展覧会に多数参加。現代モンゴル絵画を代表する画家。代表作:《オルホン河》《Epic of Moon night 2009》。


デジタル画像のメタデータ

タイトル:オルホン河。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:ツェレンナドミディン・ツェグミド《オルホン河》1993年、キャンバス・油彩、縦200×横191cm、福岡アジア美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:福岡アジア美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式3.43MB、600dpi、8bit、RGB。資源識別子:0375_Tserennadmidin Tsegmed_Orkhon_colorchart(Jpeg形式4.38MB、600dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。情報源:福岡アジア美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ツェレンナドミディン・ツェグミド、福岡アジア美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。


画像製作レポート

《オルホン河》の画像は、作品を所蔵している福岡アジア美術館へメールで依頼。後日、返信メールに添付されていた「福岡アジア美術館撮影等許可申請書 所蔵作品用.pdf」に所要事項を記入・捺印し、改めてメールで申請した。著作権については、画家のツェグミドへ直接メールをして依頼しているが、返信はまだ来ていない。現在、美術館の協力を得て、ツェグミドへの連絡先を探しながら許諾の依頼を継続中である。作品画像は美術館よりメールで頂き、ダウンロードして画像を入手(Jpeg、4.38MB、600dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールあり)。画像借用料無料。掲載期限なし。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。福岡アジア美術館のWebサイトにある作品画像を参考に、Photoshopで明度の調整を行い、カラーガイド・グレースケールを取り除くため、作品の額から外側を切り取った(Jpeg形式3.43MB、600dpi、8bit、RGB)。著作権者であるツェグミドへメールを数回送っているが回答がない。引き続きツェグミドと連絡を取るよう努めていきたい。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。


参考文献

・図録『宇宙樹を探せ──アジア現代美術への旅』(埼玉県立近代美術館、1992)
・図録『中国・韓国・モンゴル現代美術展) いま、時代の清新な息吹を』(秋田県総合生活文化会館、1994)
・図録『第4回アジア美術展:時代を見つめる眼』(福岡市美術館、1994)
・後小路雅弘「アジアの美術家⑩ ツェレンナドミディン・ツェグミド《オルホン河》」(『九電だより』第10号(通巻494号)、九州電力、1997.10、pp.5-6)
・内田敦之「都市化と民主化の新潮流」(図録『特別展「大モンゴル展──草原の遊牧文明」』、国立民族学博物餡、1998、pp.119-120)
・福岡アジア美術館編『アジアコレクション50──福岡アジア美術館所蔵品選』(福岡市文化芸術振興財団、2000)
・深野 治「ASIAN ART GALLERY 大自然との交歓と内面の屈折──アジア美術の対極的な表現」(『鴻都』Vol.44、福岡市、2000.4)
・パンフレット「今日のモンゴル美術」(福岡アジア美術館、2001)
・図録『モンゴル近代絵画展:その源流と展開』(産経新聞社、2002)
・山木裕子「モンゴル近代絵画──その源流と展開(平成14年9月14日~11月10日)福岡アジア美術館」(『デ アルテ:九州藝術学会誌』第19号、西日本文化協会、2003.3、p.150)
・山木裕子「モンゴル近代美術の基礎的研究──アップリケ作品についての考察」(『鹿島美術研究(年報第20号別冊)』、鹿島美術財団、2003.11、pp.514-521)
・『週刊朝日百科 日本の美術館を楽しむ 福岡市美術館』No.27(朝日新聞東京本社、2005.4)
・エンクツェツェグ・グシュダヴァー著、石松紀子訳「アジアの現代美術シーン 変容するモンゴル美術」(『第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005』、福岡アジア美術館、2005、p.194)
・福岡アジア美術館編『アジアコレクション70──福岡アジア美術館所蔵品選』(福岡市文化芸術振興財団、2007)
・黒田雷児『終わりなき近代:アジア美術を歩く2009-2014』(grambooks、2014)
・山木裕子「モンゴル画の新時代」(『第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014 完全記録集』、福岡アジア美術館、2015、pp.128-130)
・福岡アジア美術館編『アジアコレクション100──福岡アジア美術館所蔵品選』(福岡市文化芸術振興財団、2018)
・山木裕子「アジアにおける社会主義と美術 中国、モンゴル、ベトナム」(図録『アジア美術、100年の旅:福岡アジア美術館開館20周年記念展』、福岡アジア美術館、2019、p.46)
・『地球の歩き方 D14 モンゴル 2024~2025年版』(Gakken、2024)
・Webサイト:『Tsegmed Tserennadmid』)2025.1.5閲覧(http://www.mongolia-art.com/
・Webサイト:「Tsegmed Tserennadmid」(『Art of UB Gallery』)2025.1.5閲覧(https://www.artofubgallery.com/artists/tsegmed-tserennadmid
・Webサイト:「Tsegmed Tserennadmid」(『Mongolian Art』)2025.1.5閲覧(https://www.mongolian-art.de/01_mongolian_art/art/tsegmed_tserennadmid.htm
・Webサイト:「オルホン河 ツェレンナドミディン・ツェグミド1993」(『Google Arts & Culture』)2025.1.5閲覧(https://artsandculture.google.com/asset/orkhon-tserennadmidin-tsegmed/xwGkCwpXxA7jLg?hl=ja
・Webサイト:「ツェレンナドミディン・ツェグミド オルホン河」(『福岡アジア美術館』)2025.1.5閲覧(https://faam.city.fukuoka.lg.jp/collections/2646/


掲載画家出身地マップ

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2025年1月