西インドのゴア州で開催される「セレンディピティ・アートフェスティバル」へ向かう道中、ムンバイに5年ぶりに立ち寄った。そこで目にしたのは、コロナ禍を経て新たな活気を帯びた現地のアートシーンだった。当初はゴアと合わせて取り上げるつもりでいた本稿をムンバイ編、ゴア編と分け、今回は商業都市ムンバイにおけるアート事情を取り上げようと思う。
(後編「ゴアのアートシーンの歩き方」はこちら)
国内の現代美術における環境の変遷
街に繰り出す前に、インド国内における現代美術の展示環境が整い始めた2010年前後を簡単に振り返ってみたい。日本を含めた世界でインドの現代美術への関心が高まったのは、2000年を過ぎたあたりからであり、この関心の高まりは同国の急速な経済発展とつながっている★1。そして、国内で主要な役割を果たす、または果たした、美術館、財団、ギャラリー、アートフェア、アートプライズおよび、国際展や教育機関はおおかた2010年前後に誕生した★2。短命のものはあれども、全体的には、大都市からより広域に増加の一途を辿っているといえる。富裕層だけでなく経済成長で生まれた中間層が現代美術の購入や支援を活発化させたのも国内のアートフェアが始まった時期と重なる。国内アート市場は成長し続けており、過去10年間で市場は250%以上拡大したという★3。
ムンバイのアートシーンの変遷──南端地区の旧市街と再開発地区の登場
ムンバイもご多分に漏れずに時代の変化に敏感に反応し、2000年半ばから新たなギャラリーや非営利スペースが誕生した★4。2008年に市内で起きた同時多発テロは国内外に衝撃を与えたが、この流れが止まることはなかった。以前から地元のギャラリー同士の連携もあり、月に一度開催される「ムンバイ・アートナイト・サーズデー」では21時までギャラリーが開放されて、美術に関心のある若者が集う場になっている★5。また、25周年を迎える、ローカルな総合アートイベントの「カラ・ゴーダ・アーツ・フェスティバル」や、魚市場サスーン・ドックなど街中を会場にしたストリートアート「ムンバイ・アーバン・アートフェスティバル」のほか、さらに2023年に始まったアートフェア「アート・ムンバイ」が観客に多様な美術体験を提供する。
月に一度のイベント「ムンバイ・アートナイト・サーズデー」。
プロジェクト88「ラビット・ホール」展のアーティスト・トーク(アミテーシュ・シュリヴァースタヴァ)[筆者撮影]
今回の訪問で、現代美術を鑑賞する人々にとって街の魅力がさらに高まっていると感じたのは、コロナ禍のあとに形態を問わずさまざまな動きが生まれているということだ。特にデリーやコルカタのギャラリーが、ムンバイに出店(またその逆も起きている)するなど、複数都市で活動するようになっていること、ムンバイ市内のギャラリー総数が増加傾向であることは興味深い★6。ほかには、モダンアートギャラリーによる現代美術専門の店舗立ち上げや、大手ギャラリーがキャリア途上の若手を支援するスペースなども現われた。一部しか確認できなかったが、非営利スペースには建築家の後藤克史とアーティストのヴィシュワ・シュロフが設立した「Square Works Laboratory(SqW:Lab)」のレジデンスプログラム、後述のスメッシュ・シャルマの「ストレンジャーズ・ハウス・ギャラリー」などがある。
「Square Works Laboratory(SqW:Lab)」内観
[Courtesy: SqW:Lab]
また、来場者にとって好条件なのは、近年、進出・移転したギャラリーのほとんどが南端の旧市街に集約されて、公的文化施設もこの南部エリアに位置することだ。この地域は、かつてイギリス東インド会社の重要な拠点であったため、美術館やギャラリーの多くは植民地時代の影響が色濃く残る建築物内にあるのも街の魅力のひとつとなっている。
ムンバイ・アーバン・アートフェスティバル(MUAF)
Photo coutesy: St+art India Foundation’s facebook
その一方で、空港と南端地区の間にある再開発地区も急成長しており、ムンバイのアートシーンの多層性を際立たせている。その一例として、2023年3月にリライアンス・インダストリーズを率いるムケッシュ・アンバニの妻ニタ・アンバニ★7が、「ニタ・アンド・ムケッシュ・アンバニ文化センター(NMACC)」をオープンさせた。モール、コンベンションセンター、劇場、スタジオ、アートハウスを備えたリライアンスの巨大施設「ジオ・ワールドセンター」の中にあり、都市化が進むムンバイを象徴する新たなランドマークになっている。
ムンバイの再開発地区[筆者撮影]
ジティッシュ・カッラト《Here After Here After Here 19°3’56”N 72°51’58”E》(2019-22)[筆者撮影]
NMACCの4フロアある展示スペース「アートハウス」では、現代美術展が不定期に開催され、共有エリアでは、草間彌生のインスタレーション(有料)や彫刻作品、国内作家による平面作品のほか、車寄せにジティッシュ・カッラトの屋外彫刻が設置されている。2023年の開館記念展はニューヨーク拠点のジェフリー・ダイチとムンバイ在住のランジット・ホスコテによる共同キュレーション「Sangam/Confluence」展であった。インドと縁のあるアンゼム・キーファーやフランチェスコ・クレメンテを含む海外作家とバールティ・ケールをはじめとするインド国内の作家たちを通して、インドの文化に根ざした多言語性、コンセプトとマテリアルとの対話、工芸と哲学の結びつきをテーマにした展示が行なわれた。
草間彌生《無限の鏡の間─求道の輝く宇宙の無限の光》(2020)[筆者撮影]
ニタ・アンド・ムケッシュ・アンバニ文化センター(NMACC)内の共有エリア。N・S・ハルシャ《Seekers Parade》[筆者撮影]
展覧会からみるムンバイ①:ダヤニータ・シン「Photo Lies」
こうした国内の変化のなかで、インドの現代美術作家たちの活躍も目覚ましい。市内では、凱旋帰国展ともいえる二つの展覧会が開催されていた。ひとつは、ダヤニータ・シン「Photo Lies」展。本展は初期作品から最新作までを網羅した2022年の独マルティン・グロピウス・バウでの大回顧展「Dancing with Camera」を元にしている。ムンバイのほかに国内の4都市で時期をたがえずに開催される展覧会は、会場ごとにシンによって回顧展から選び抜かれた写真で構成される★8。
チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハラヤ博物館(ダヤニータ・シン「Photo Lies」展ムンバイ会場)[筆者撮影]
ムンバイでは、チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハラヤ博物館内のジャハンギール・ニコルソン美術財団ギャラリーと、テキスタイルと自然科学の展示室が会場となった。ギャラリー中央に置かれた、作品の組み換えが自由なオリジナルの木製タワー構造体「ミュージアム」のモノクロ写真たちは、並べ方や観る位置によって複数の視点を観客に提示する。何も入っていない空の構造体は、あるはずだった写真の存在について思いを巡らすことを促しているという。自作の写真を「原材料」★9と呼ぶシンは、ほかにも過去の写真を使い、手作業で制作したアナログ・モンタージュと、白いペイントを重ねたシリーズを壁に並べた。収集、保存、展示を目的とする博物館に対して、シンの生きた「ミュージアム」は、異なる風景を混在させ、縮尺を自在に操り、時系列や地域性を再構築することで、時間と場所を超えようとする。
ダヤニータ・シン「Photo Lies」展示風景(2024)
Courtesy of the artist, Frith Street Gallery, London and Nature Morte, India
ダヤニータ・シン《Montage XII》(2019)
Courtesy of the artist, Frith Street Gallery, London and Nature Morte, India
奥側より、ダヤニータ・シン《Mona Montages (Mona in the archive)》(2021)、《Mona Study Table》(2001/21)
Courtesy of the artist, Frith Street Gallery, London and Nature Morte, India
一方、常設展示室では、写真とコレクションの対話が試みられた。テキスタイルや装飾品とサリーを纏った女性たちのポートレートが、照度を落とした空間で、密やかで親密な雰囲気を醸し出す。対照的に明るい部屋の自然史室は、展示室の剥製に囲まれて、国内外の博物館で撮影されたであろう、剥製や陳列品の写真が展示された。静謐な空間の中で、シンの写真は目の前の現実とカメラ越しの対象との境界を曖昧にする。「Photo Lies」展は、写真というメディアの限界と可能性に揺さぶりをかけるシンの企みが随所に見られた展示であった。
ダヤニータ・シン《Sari Museum I》(2024)
Courtesy of the artist, Frith Street Gallery, London and Nature Morte, India
ダヤニータ・シン《Sari Museum I》(2024)
Courtesy of the artist, Frith Street Gallery, London and Nature Morte, India
展覧会からみるムンバイ②:ローヒニー・ディヴェーシャル
「One Hundred Thousand Suns」
もうひとつは、ローヒニー・ディヴェーシャルの「One Hundred Thousand Suns」展である。これまでにも科学と美術を結びつける独自の表現方法を試みてきた彼女は、本展で自称「日食ハンター」として、アマチュア天文学者の探求を存分に発揮している。2024年のオランダとアメリカでの初個展に続き、ドクター・バーウ・ダージー・ラード市立博物館の特別企画館に映像と銅板作品が巡回された。同館はムンバイで最も古い博物館で、街の歴史や文化に関する多くの収蔵品を所蔵している。かつて繊維業が盛んだった南部に位置し、2008年の大規模な修復工事を経て、現代美術の企画会場としても広く知られるようになった。
ローヒニー・ディヴェーシャル《One Hundred Thousand Suns》(2023-24)展示風景
[Courtesy: Dr Bhau Daji Lad Museum]
映像《One Hundred Thousand Suns》(2023-24)では、4チャンネルのスクリーンごとに異なる視点から太陽をどのように捉え、観測されてきたかを描き出す。その軸となるのは、南インドのタミル・ナードゥ州にあるコダイカナル天文台だ。同施設はイギリス東インド会社が設立したマドラス天文台の後継施設であり、天候が許す限り太陽の写真や画像の記録を続け、120年にわたって157,000枚以上の太陽の写真と手書きの観測記録を残してきた。映像ではこれらの膨大な観察記録を紐解きながら、天文台の歴史的背景を浮き彫りにしている。そこではイギリス植民地時代の歴史のほかに、世代を超えて観測を続けてきた地域の人々の個人的な想いが映し出され、さらにNASAの公式データのほか、デヴァシャールが撮影した日食写真とドローイング、アマチュア天文家や日食ハンター仲間へのインタビューなどが重ねられている。科学的な観察と大量のデータを巧みにもちいて、太陽の存在を新たな次元で捉え直そうという試みは、科学と美術のつながりだけでなく宇宙と人間の関係についても考えさせられる。
ローヒニー・ディヴェーシャル《Shadow Portraits》(2024)展示風景
[Courtesy: Dr Bhau Daji Lad Museum]
隣の展示室では、黒い壁に展示された銅板作品の《Shadow Portraits》(2024)、《Sol Drawings》(2023)、《Sky watch》(2023)が薄暗い空間の中から光を放つ。銅は地球誕生以前に宇宙で生成された元素だという。その地球外起源の素材に、腐食、燻し、エンボスといった版画技法を施した。大学で版画を専攻した彼女ならではのアプローチが光る作品だ。ここでは、太陽黒点や日食などの太陽現象を繊細に銅板に再現している。昨年、ドイツ銀行グループの「アーティスト・オブ・ザ・イヤー2024」を受賞したばかり。今後は海外で知的で詩的な彼女の表現に出会う機会が増えそうだ。
展覧会からみるムンバイ③:クルプリート・シン「Indelible Black Marks」
クルプリート・シン《Indelible Black Marks》(2022–24)展示風景
production support: the Mrinalini Mukherjee Creative Arts Grant, 2022–23
[Courtesy: Galerie Mirchandani + Steinruecke]
インド人作家のグローバルな活躍の一方で、若手作家の台頭を感じさせる展示も見られた。特に印象に残ったのはクルプリート・シンによる「Indelible Black Marks」展だ。インド北部パンジャーブ州パティアラを拠点に活動するシンは、大学で版画を専攻、近年、同州の主要産業である農業を取り巻く複雑な問題を主題に作品を発表している。
ギャラリー・ミールチャンダーニー+ステインルッケでの初個展では、農民の野焼きの習慣に焦点を当てている。次の収穫のため、稲田に残った茎や根を焼却する方法は、最も手軽で安価とされる一方、冬場のデリーを含む広範囲で深刻な大気汚染や地球温暖化の原因ともされている。シンは、この農民の生活と環境問題の間にある、簡単には解決できない課題を、実際の野焼きの最中に作品制作を行なうことで可視化しようと試みた。
クルプリート・シン《Indelible Black Marks》(2022–24)映像スティルより
[Courtesy: Galerie Mirchandani + Steinruecke]
展示では、パフォーマンスから派生した映像、絵画、インスタレーション作品が紹介されているが、なかでも映像《Indelible Black Marks》(2022−24)は圧巻だ。収穫後の稲田で野焼きの火がくすぶるなかを、白いクルタの男たちが、長い白布を引きずりながら疾走する。走るうちに、布と服には次第に野焼きの灰が刷り込まれ、「消せない黒い痕跡」が刻まれていく。まるで大地を版画の版に見立てたかのような、大胆なパフォーマンスだ。さらに、ドローンによる上空からの撮影が、映像に壮大なスケール感と視覚的インパクトを与えている。
クルプリート・シン《Indelible Black Marks》(2022–24)映像スティルより
[Courtesy: Galerie Mirchandani + Steinruecke]
別の場面では、白布の上に描かれた、銃を向けるイメージの前で男たちが身を屈めて横たわる。この構図は、2020年にインドで発令された農業改革法(新農法)を想起させる。農民に不利な条件とされた改革法は、パンジャーブ州を中心に全国規模の抗議運動へとつながった。運動の中心地のひとつは、シンの地元であるパティアラであり、首都に向けた農民のデモ行進や道路封鎖に対して警察が催涙ガスや放水砲を発砲したとされる。抗議の結果、翌年撤廃されたが、農民たちにとっては深い傷が残る出来事として記憶されている★10。
シンは、抵抗の歴史を「黒い痕跡」に見立てて、大胆なパフォーマンスにすることで個人と権力の関係についても深い問いを投げかけ、ローカルな事象から普遍的な問題に迫る。本展後も同ギャラリーで個展が連続開催されるシンの今後から目が離せない。
展覧会からみるムンバイ④:カーン・シャミーム・アクタル「Cenacle on Sajjada」
今回の訪問で知ったことのひとつは、クラーク・ハウス・イニシアティヴが「ストレンジャーズ・ハウス・ギャラリー」と改名して再出発を果たしていたことだった。もともとこのスペースは、キュレーターのスメッシュ・シャルマとザーシャ・コーラーが共同で設立し、若手アーティスト・コレクティブの「シュンヤ(ゼロの意)」と共に運営されていたインディペンデント・スペースだ。市内中心部の観光名所近くに位置し、美術大学を卒業したての若手作家の展覧会やトークイベント、海外作家やキュレーターとのレジデンスプログラムが盛んに行なわれていたが、個々の活動が増えるうちに終了に至った。しかし、シャルマの運営のもと、一昨年前にメンバーを刷新して再開、インドの憲法学者で反カースト運動の指導者であったアンベードカル博士と西洋主義的な歴史観を批判したセネガルの歴史学・民俗学者のシェイク・アンタ・ディオップの思想に触れながら、展示制作のなかで文化的ルーツや歴史の再評価を実践している。
カーン・シャミーム・アクタル「Cenacle on Sajjada」展示風景
[Courtesy: Stranger’s House Gallery]
訪問時には、カーン・シャミーム・アクタルの初個展「Cenacle on Sajjada」が開催されていた。プレスリリースでアクタルは、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の宗教対立が起きた1993年のムンバイ暴動の翌年に生まれたという一文を目にし、ムンバイ市民が寛容で自由な街に親しみを込めて旧称のボンベイと呼ぶことを好む一方で、地域や施設の名称がヒンディー語に改称されるなど、近年保守化が進んでいることを思い出す。ナショナリズムの高まりは、時にコスモポリタンな街の中にも軋轢を生み出す危うさを孕んでいる★11。街の活気のなかに見え隠れする、もうひとつのインドの姿だ。
タイトルにあるセナクル(Cenacle)とは、ラテン語で思想・文化的な集い、または食堂を意味し、キリスト教では最後の晩餐を指す。サッジャーダはイスラーム教の礼拝に使用する長方形のマットのことだ。アクタルは大学院在学中に、葦や高麗芝製の「チャターイー」と呼ばれる手頃な礼拝マットを絵画の支持体に使うようになった。最新作では、ムンバイのサーJJ美術大学で学んだ古典的な西洋美術とイスラーム教徒としての視点の交わりが、独自の表現を生み出している。
このような背景のもとで、伝統的なミニアチュールや幾何学模様の代わりに「チャターイー」に描かれるのは、祈りを捧げると心がかき乱れるような図像だ。最初はコーランの聖句をもとにした、個人的な葛藤や不安を視覚化していたが、2023年10月以降のイスラエルによるガザ侵攻を契機にその関心が世界で起きている事象に向かうようになった。マットには、横たわる死体、四肢が切断された死体、嘆く人、連行される人々のほか、鉄条網や破壊された建造物が登場し、どの場面も暴力と抵抗、哀しみと苦しみが、高麗芝で編まれたマットに沁みわたるように工業用の塗料で描かれている。
カーン・シャミーム・アクタル《Mass Grave》(2024)[筆者撮影]
カーン・シャミーム・アクタル《The Last Ramadan》(2024)
[Courtesy: Stranger’s House Gallery]
《The Last Ramadan》では、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を引用し、ラマダンの断食明けの様子が描かれた。そして、断食明けを大皿料理で分け合い祝う、アラブ文化特有の光景のなかで、料理の代わりに路上の草と滴る血が皿に盛られている。困難ななかでも信仰に望みを託し、過酷な日常に向き合う人々の姿がそこにある。アクタルはこの中に裏切り者のユダを描かなかった。代わりに、パレスチナでの無数の死をスクリーン越しに目にしながも、変わらない日常を送り続けた鑑賞者にその姿を委ねる。
上階はパレスチナの女性や子供たちに連帯の示して亡くなった犠牲者の人生に想いを馳せた展示となった。犠牲となった子供の遺書、ガザの上空から撒かれたイスラエル軍のビラのほか、増え続ける犠牲者の名を集めてリストにまとめた冊子とともに、彼らの名前を壁に投影した。
本文執筆中にイスラエルとパレスチナの停戦の一報が届いた。合意を発表された間にも犠牲者の数は増えているという。アクタルの犠牲者リストが更新されずに済む日が一刻も早く来ることを願いたい。
カーン・シャミーム・アクタル「Cenacle on Sajjada」展示会場にて、犠牲者の名前をまとめた冊子[筆者撮影]
結びに:新しい観客層とムンバイのこれから
経済成長に伴って発展してきたムンバイのアートシーンの流れといくつかの展示を駆け足で巡ってみた。今回の訪問で、商業都市としてのダイナミズムと歴史的背景を活かしながら、新たな芸術的試みや多様な表現が育っていることを実感した。再開発地区のアートセンターなどをみても、美術館の設立や、現代美術を支援する財団や施設の設立が今後も増えることが予想される。また、「ムンバイ・アートナイト・サーズデー」の夜には、街中で若者たちが次はどこに行こうかと言いながら歩く姿も見られ、鑑賞者の裾野が広がっていることを実感した。
「ムンバイ・アートナイト・サーズデー」の夜にギャラリー巡りを楽しむ人々[筆者撮影]
市内では、グローバルな舞台で活躍するアーティストから若手まで、幅広い層のインド人作家による展覧会が開催されており、キャリアを積んだ作家が海外での成功をムンバイで披露し、若手作家はその逆を目指す場となっていた。デリーと同様、大都市ならではの特徴が感じられるが、漁村から始まり、植民地時代に半島の埋め立てで生まれたムンバイは、移住者との多文化・多宗教の共存により多様性を育んできた歴史がある。
今回は取り上げなかったが、インド各地の作家に加え、スリランカの作家や在外インド人、ムンバイのユダヤ系コミュニティの作家による展示も行なわれており、インドおよび南アジアにルーツをもつ多様な作家を紹介している。ストリートアートやアートフェアの開催、さらにはギャラリーがこの地に集まり始めていることからも、ムンバイはインドのアートシーンの拠点のひとつとして、これまで以上に重要な役割を担っていくだろう。ナショナリズムの高まりに懸念はあるが、国際的で自由な空気が漂う街のしなやかさが、アートシーンの発展を今後も支えていくことを願いたい。機会があれば現地で街の活気を感じ、ギャラリーや美術館を実際に巡ってみてほしい。その魅力がわかるはずだ。
(ゴア編へ続く)
★1──主な海外のインド現代美術展として、テートモダン「センチュリー・シティー:近代の主要都市におけるアートとカルチャー」(2001)米豪メキシコ巡回展「Edge of Desire」(2004)、サーペンタイン・ギャラリー「インディアン・ハイウェイ」(2008)ほか多数。日本では筆者がアシスタント・キュレーターとして関わった『チャロー・インディアーインド美術の新時代』(2008)がある。
★2──国内で初めて現代美術作品を展示する私設美術館デヴィー・アートセンターの開館(2008-16/※現在は企画のみ)とインド・アートフェア(2008-)、デリーの国立近代美術館とムンバイのボリウッド・スタジオで開催されたアニッシュ・カプーアの国内初個展が2010年。以後、国立美術館で国内の現代美術作家の回顧展が催されるようになる(-2018)。ケーララ州の「コチ=ムジリス・ビエンナーレ」(2012-)などがある。
★3──https://news.artnet.com/market/india-art-fair-2024-2427318
★4──https://www.mumbaigalleryassociation.com/
★5──https://www.mumbaigalleryassociation.com/mga-art-night-thursday
★6──国内における現代美術ギャラリーのパイオニア的存在のデリーのネイチャー・モルト、商業アートの枠を越えて現代美術の教育普及・出版活動でも注目される、コルカタのエクスペリメンタが、それぞれ2024年、2022年と続けてムンバイ店を開いた。ムンバイのミールチャンダーニー+ステインルッケは、2024年にデリー店を新設した。
★7──アンバニ家は、アジア屈指の富豪で知られ、27階建ての自邸「アンティラ」はムンバイのランドマークのひとつ。次男の桁違いに豪華な結婚式は日本でもニュースになった。
★8──https://jnaf.org/exhibition/dayanita-singh-photo-lies/
★9──シンによる「Museum of Chance」(2013)のステートメント。「I work with photographs as my raw material.」
https://www.moma.org/audio/playlist/300/3846
★10──https://jp.reuters.com/world/security/7HSPHB3A35MGNBS42RBLRQWFLA-2024-02-14/
★11──一例として市民改正法(国籍改正法)や牛の屠殺を全面的に禁止するムンバイの州法などが挙げられる。美術表現においても、今年に入り、デリー裁判所が故MFフサインの絵画の押収を命ずるなどの出来事が起きている。
https://www.bbc.com/japanese/51102907
https://www.bbc.com/news/articles/cg45vk9gnw6o
Nita Mukesh Ambani Cultural Centre (NMACC)
会場:G Block, Bandra Kurla Complex, Mumbai 400 098, Maharashtra, India.
Dayanita Singh: Photo Lies
会期:2024年11月22日(金)~2025年2月23日(日)
会場:Jahangir Nicholson Art Foundation, East Wing, Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya, 159-161, Mahatma Gandhi Road, Kala Ghoda, Fort, Mumbai, Maharashtra 400001 India.
Rohini Devasher: One Hundred Thousand Suns
会期:2024年11月12日(火)〜12月20日(金)
会場:Dr Bhau Daji Lad Museum, Veer Mata Jijabai Bhonsle Udyan, Dr. Baba Saheb Ambedkar Marg, Byculla East, Mumbai, Maharashtra 400027, India.
Kulpreet Singh: Indelible Black Marks
会期:2024年11月12日(火)〜12月27日(金)
会場:Galerie Mirchandani + Steinruecke, 101, 1st floor, Commerce House, SS Ram Gulam Marg, Ballard Estate, Fort, Mumbai 400001, India.
Khan Shamim Akhtar: Cenacle on Sajjada
会期:2024年11月12日(火)〜12月30日(月)
会場:Strangers House, c/o RBT & Co , Ground floor, Clark House , 8 Nathalal Parekh Marg, old, Wodehouse Rd, opp. Sahakari Bhandar, Colaba, Mumbai, Maharashtra 400039, India.