昨年10月から11月にかけ、和田千秋の最新の展示「和田千秋 障碍の美術XV─『障害』と『希望』を巡る断章」がギャラリーEUREKAで開催された。個人的なことだが、和田さんは筆者が2018年に福岡に越してきてから初めて出会った現代美術の作家で、2022年に勤務する美術館で担当したコレクション展でも展示させていただいた。最新作を見て、和田作品との出会いは、それ以前には戻れないほど強烈であった、と改めて感じた。その強烈さについて、この場を借りて考えてみたいと思う。
「障碍の美術」との出会い
和田千秋(以下、和田)は、福岡市を拠点として活動する現代美術作家である。九州産業大学卒業後、福岡市内のアートスペース、IAF芸術研究所(現・IAF Shop)の現代美術研究会に参加したことをきっかけに、在学中からちぎった紙などで構成するミニマルな作品(和田によると「芸術が自律的に展開していく作品」)を手掛けていた。活動は、1987年に授かった子(愛語さん)が出生時の酸欠により脳に障碍★1を負って生まれたことをきっかけに一変する。子の介護のため、一時制作を中断した。1992年、35歳で、子が5歳になった時期に活動を再開し発表したのが、「障碍の美術」シリーズである。
それから現在まで、和田は「障碍の美術」シリーズを継続して発表している。障害と共にある子の姿を主題にした絵画、文章、訓練器具などを組み合わせたインスタレーションは、市内のギャラリーをはじめ、県内外の美術館、太宰府天満宮などで展示されてきた。坂崎隆一、中村海坂と協働した茶会の形式のパフォーマンスも行なわれ、つねに新たな要素を入れながら発表している。 筆者が和田の作品を初めて見たのは、2018年のことである。ギャラリーEUREKAのオープン記念展★2だった。職場の同僚に「障碍の美術ⅩⅢ─晩春篇」の案内ハガキをもらい、見に行った。
会場の壁面には、男の子のいる家族をモチーフにした絵画と、少しズレた十字の絵画が散りばめられていた。EUREKAの入っているビルの廊下にある十字と符合しているので、EUREKAのための作品かな、と思っていたが、この形は、障碍を持った作者の子どものための身体の訓練器具の形に由来することを、オーナーの牧野さんに教えていただき、上記のような背景も、少しずつ知るようになっていった。
「障碍の美術ⅩⅢ─晩春篇」会場風景(EUREKAウェブサイトより)
「障碍の美術」の特色──「写ルンです」的な描写
2024年の10月に行なわれたシリーズ15回目となる展示「障碍の美術XV─『障害』と『希望』を巡る断章」には、絵画20点と、文章作品が展示されていた。
絵画は、1992年以来シリーズの軸となる。描かれているのは、主に幼少期の愛語さんを中心とした、家族の日常風景である。公園でボートを漕いでいるシーン、母親に抱っこされているシーン、食事介助をされながらのご飯の一幕などで、タイトルは、「食事はいつも熊五郎」「ぐっすり眠れますように」などさまざまだ。「ハネがほしい」のように、愛語さんが名づけたものもある。 絵画を見ていると、家族写真を見せてもらっているような感覚に陥った。筆者は1990年生まれなので、愛語さんと3歳しか年齢が変わらない。思わず、家族が作った自分の成長記録アルバムの写真を連想した。写実的、という言葉では言い表わせない。画面に重みがあり、べたっとしている。着ている洋服の彩度は高く、照明はやや暗いところに、「写ルンです」で撮ったフィルム写真の風合いを思わせる。「障碍の美術」の絵画の傾向は徐々に変化していて、当初は漫画的なデフォルメを加えていたが、2008年の個展★3からはこの写真に基づいた描き方になっているのだという。
このいわば「写ルンです」的な視線が、「障碍の美術」を強く印象づけている。鶴見良行によれば、家族の何気ない日常を撮る行為は、大正の終わり頃から普及したという。「瑣末な営みに追われる一瞬一瞬は、かけがえのない人生の一部であると考えられるようになった」★4。和田の絵画を見ていると、母と子を画面に収めるために、カメラを構える父の姿が透けて見える。和田が意識してかせずかわからないが、平成初期の家族写真のトーンが、絵画に実装されているからであろう。
「障碍の美術XV」展示風景[筆者撮影]
「障碍の美術」の特色──絵画にしかできない表現
「障碍の美術」の作品を見ていると、プライベートを覗き見しているような錯覚に時おり陥る。しかしながら、和田は、ドキュメンタリーはなく、あくまで作家としての実体験を咀嚼し、試行錯誤したうえで表現へと昇華していることは忘れてはならない。
例えば、障碍を巡る事柄を絵画表現に盛り込む巧みな手つきに注目したい。《私を私自身から救ってください》(2007)では、絵画の下層に濃いピンク色の塊が張り巡らされているのが透かし見える。障害が身体に影響を及ぼす範囲である脳と肺の場所を示している。不穏さ、違和感を与える表現を盛り込むことで、障碍がそこにあるという状況を示している。
和田千秋《私を私自身から救ってください》(2007/「障碍の美術Ⅹ─祈り」より)
また、和田の絵画に描かれる子どもの体は、ほとんどと言っていいほど「何か」に取り囲まれている。それは黄色い粘土のようなものであったり、白い光であったりする。これは障碍を思わせる体の部分を隠すもので、ゆく手を阻む障碍の象徴であるが、障碍から新たな人が生まれ出るという希望のあるイメージも込められている。近作では「何か」は炎のように発光しており、人物を抱きしめているようにも見える。彫刻とは石の中に埋もれた天使を彫り出すものだというミケランジェロの言葉や、木の塊から仁王を掘り出す運慶の説話も思い出させる。
もうひとつ、和田の絵画の特徴として挙げたいのが、壁に垂直に展示されていることである。先に例に挙げた「私を私自身から救ってください」において、実際に自立して立ち上がることの難しい彼は、キャンバスの上に描かれ、壁に展示されることによって、重力に抗って立ち上がっている。絵画だからこそ成立する表現が、和田の作品の主題と結びつき、随所で効力を発揮している。
「障碍の美術XV」展示風景[筆者撮影]
「障碍の美術」の特色──言葉を補助輪として
最新の展示では、文章作品「『障害』と『希望』をめぐる断章」が展示されていた。ギャラリーのホームページによると、「恐らくは最後の文章作品となる」という。
和田はこれまでにも文章を作品の一部として発表してきた。障碍をもった我が子の身体訓練をするとはどのようなことなのか、人類史において、障碍者はどのような存在であったか、和田はさまざまな資料をもとに綴る。障碍をいかに受容するか、葛藤しながら生活・制作してきた作家の足跡が窺われる。
今回展示された作品は、和田がこれまで折に触れて書き留めてきた言葉の引用で構成されている。聖書、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』、フランクル『夜と霧』、横塚雄一『母よ! 殺すな』など、書名を挙げると、障碍を直接扱った書籍だけでなく、人種差別やナチスドイツによるユダヤ人迫害など、人の尊厳をめぐる言葉を和田が書き記してきたことがわかるだろう。
言葉は、壁の作品の間に、A4サイズで貼り出されていた。鑑賞者は、言葉と絵画とを交互に見ることになる。そこから選ばれた言葉の一例を挙げると、「非常に大切な事柄においては、人は障害を飛び越えないのだと思います。じっと必要なだけ、それらの障害を見つめます」(シモーヌ・ヴェイユ★5)、「生まれつきの病気持ちで不摂生なものは、本人にとっても、他の人々にとっても生きるに値しない人間であり、医療の技術とはそのような人々のためにあるべきでもないし(後略)」(プラトン★6)などである。言葉は和田の生活や心情と響き合い、時に背中を押し、時にバネとなったのだろうと思わされる。
文章作品は、鑑賞者にも、このシリーズ全体を見渡す視点を与えてくれる。中でも、17世紀スペインの画家、ディエゴ・ベラスケスの絵画《ラス・メニーナス(女官たち)》をめぐる言葉にハッとした。5歳の王女を中心に、王家に仕えるものたちが描かれており、右手には二人の低身長症の人物が立つ★7。
「このようにしてわたし達に働きかけ、わたしたちが眺めているものと無関係でいられないようにするのである。ときには漠然とした、或いは迷ったような視線であっても、その片隅の卑しい境遇から、彼らはいつも問いかけるような眼をわたしたちに据えている。完全な生の権利を訴えるように、まるで、彼らの不具と貧しさの責任の全部、或いは一端が、わたし達にあるかのように。
(エミリオ・オロスコ『ベラスケスとバロックの精神』、筑摩書房、pp.58-59)
この言葉は、和田の作品を見るときの感覚とシンクロする。先ほど、和田の絵画を「写ルンです」や自身の家族アルバムに喩えたが、そのようにして身近なものに惹きつけてしまうのは、作品のなかの愛語さんが「無関係でいられない」視線を観る人に投げかけているからだろう。
そして、作品と突如紡がれた関係のなかで、私は動揺していたのだ。絵画のなかの人物は、こちらを見つめている。その人物は障碍をもっている。そのことに、慣れていなかった。障碍はすぐそこにあるという事実から目を背けてきたのではないか。安易に作品を消費しようとしていないか。そういったことを突きつけられるから、たじろぐのだろう。
「障碍の美術XV」展示風景[筆者撮影]
答えに詰まる問い
和田は、あるインタビューで、美術とは「答えを観客に押し付けるのではなく、社会への問いかけのようなもの」だと述べている★8。答えに詰まるのが、「障碍の美術」が投げかける問いである。社会は、私たちは障碍とどのように共に存ることができるのか。この問いは、すぐに答えを出せるものでもないし、得意顔で回答できるものではない。
突きつけられているこの問いに向き合い、まずは、共感することから始めたい。和田に倣い、私も言葉を補助輪にしてみよう。
本当は「わからない」からはじめるべきなのかもしれない。安易に共感するよりも、その方が安全だと思う。でも、スイッチのように共感を切ることはうまくできないのだった。私にとって共感は「する」のではなく「してしまう」ものだから。それは勝手に動いたり、動いてほしい時に微動だにしなかったりする。
(小沼理『共感と距離感の練習』、柏書房、2024)
和田は今後、大きくなった現在の息子さんを描くことに舵を切るという。新たな表現がどのようになるか、まだ知る由もないが、さらなる展開を見るのが楽しみである。必ず見届けたいと思っている。
★1──和田は、「障碍」という文字をすべての作品に用いている。本稿でも引用文を除き原則的に「障碍」と記す。
★2──「障碍の美術ⅩⅢ─晩春篇」(EUREKA、2018年10月9日~10月28日)
★3──「第8回 21世紀の作家─福岡 和田千秋『障碍の美術Ⅹ-祈り』」(福岡市美術館、2008年1月5日〜3月30日)
★4──鶴見良行「家族アルバムその後」(『鶴見良行著作集 1 出発』、美鈴書房、1999、p.142)
★5──シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』(勁草書房、1967)p.24
★6──プラトン『国家(上)』(岩波書店、1979)p.234
★7──https://artscape.jp/study/art-achive/10175523_1982.html
★8──「障碍と美術の“Off Centered Cross”和田千秋に訊く」(聞き手:福住廉/『rhythm』vol.3、2002、p.22)
和田千秋 障碍の美術XV─「障害」と「希望」を巡る断章
会期:2024年10月15日(火)〜11月3日(日)
会場:EUREKA(福岡県福岡市中央区大手門2-9-30 Pond Mum KⅣ 201)
公式サイト:https://eurekafukuoka.com/2245/